見出し画像

コロナ禍における美術への支援の要請書とその背景について思ったこと

コロナ禍における美術への支援の要請書の署名集めも残り一日です。7日に政府や各省庁に郵送予定です。
現在2500名ぐらいのご署名があるのですが、目標の5000まではまだ足りません。まだの方は、よろしければ、ご検討ください!
https://sites.google.com/view/artforall-jp/

今回の要請書の作成には沢山のアートに携わる方にご参加いただき、様々な立場や意見がありました。必ずしも一枚岩ではありません。それどころか、細かいところにおいては、相容れない考えをお持ちの方たちにも相参加していただいています。
たとえば、要請書の主語の「私たち」を定めるだけでも、沢山の議論が交わされました。「美術」という言葉を使うのか、「アート」なのか、「関係者」なのか「携わる者」なのか。それはどこまでの範囲なのか。など議論はエンドレス。。。

さらには、個人的な意見の違いや立場の違いだけでなく、パワハラ、セクハラや個人的な対立の両サイドの方も、参加してくださっています。これに関しましては、こうした場に両側にお声がけしてしまった僕の無神経さ(僕がお声かけしていた場合)をお許しくださり、可能な限りの配慮をした上で参加してくださっています。今回のはこれらの問題はなかったことにして無視するのではなく、その存在を認め、そしてこれらについて、学び、今後健全に話し合いが可能な場を作っていくことも大切だと思います。もちろん、構造の問題もありますし、さまざまな点に関しては、ご専門の方や当事者の方からいろいろ教えていただきたいと思っています。その意味においても、第一歩ですし、これから話し合って、整備していくべき者だと思います。
これはまた、大きな運動として広い範囲の意見を集めて届けようとすると、どうしてもその中には立場の異なる者同士が混在することになり、その問題が潜在化してしまうという問題もはらみます。その大局的な動きと、一つ一つの立場の声を両立させることの難しさを実感しています。

そして、政府に対して要請をすることがいいのか、あるいはその内容に関しても様々な両論があり、参加者の中でも、各個人の中でも様々なレベルでいくつもの葛藤があると感じています。たとえば、アートが社会の全体を考える批判性や利他性(時には破壊性もですが)を持つと信じつつ、今回は美術分野が、ある意味では利己的に主張をしなければならないというジレンマもあると思います。

しかし、そもそも集って群れる行動を苦手とする傾向にあるアーティストたちが、それぞれのこだわりを一端に置いておいて、こうした大きな要請のために妥協をしながら行動をし始めたことが一つ大きなことだと思います。
こうした、まとまらない、ならず者や強者のヘンなつながりのこの運動のようなものの芽生えにご理解をいただき、至らない点についてはご批判、ご指摘をいただいた上で可能な範囲でお力を添えていただけたら、嬉しく思います。
やや陳腐なことばですが、これが一人一人の社会の構成員にとってより豊かでよい社会につながると信じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?