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言葉が難しい。困った本当に難しい。

ありがとう。

言わずもがな、感謝を伝える魔法の言葉である。
口に出すことは何も難しくないし、回数制限もない。言わば、他人に無限に渡せるインセンティブの一種とも言えるのかもしれない。
それ故に、相手に軽く採られることもあるし、
ありがとうにもっと重みをもたせることはとても難しい。

ありがとうを伝える方法は、もちろん他にもあって、言葉にデザインを添えて伝えることもあるし、言葉をもっと細かく、理由を具体的にしても伝えることができる。

〇〇してくれて、△△と思ったよ。
ありがとう。

たしかに、ありがとう単体よりも
心がこもっている気がする。
でも、長くなればクドくなってくるし、
結局相手が何も核心を理解出来ずに終わるケースもありえる。

入ってくれてありがとう。

誰かは察してほしい。大人の事情です。

色々と話題になったこのワード。
下世話な解釈をする人もいますが、
それは言葉として、どこに?とか
何を?をという抽象的な部分を残しているからこそ、生まれている。

でも、もちろん理解出来る間柄で有れば
ちゃんと伝わる事であって、そこにあえて、
抽象的な部分を残しているからこそ、読み手が
思案する行為が必要となる。

言葉はそれ自体に意味があるものだか、
結局、その意味の核心は、読み手の認識にコールしているだけで、理解には必ずブレが生じる。

だからこそ、感情を言語化するのは難しい。
好き、愛してるを並べれば伝わるものでもない。
比喩や情景描写、抽象性など様々な技法が必要となる。 

今一瞬あなたが好きよ
明日になればわからないわ
港の引き込み線を
渡るときそうつぶやいた

(蒼いフォトグラフ/松田聖子 作詞/松本隆)

「今一瞬あなたが好きよ。明日になればわからないわ」
これだけでは人によっては高飛車な女性が、
煽ってると捉える人も居るかもしれないし、
個人的にもこの言葉だけであれば、
冷たく感じてしまう。
でも、次の情景描写がうまく感情を伝えている。

「港の引き込み線を渡るときそうつぶやいた」
字面だけ見れば、つぶやいた場所、時を伝えているだけで、
あとは個人の想像に解釈を委ねている。
でも、おそらく2人でいる、関係性はよくわからないけど、
一緒に遊んでいるのだろうぐらいは共通で想像できるだろう。

今の時代となっては、港の引き込み線と言われてもピンとこないかもしれない。サクッといえば、港周辺におもむろにある、貨物用の鉄道。
旅客用の鉄道とは違い、結構な工業地帯にあったり、
人の気がほとんとなくて、静かな場所。。
そんなイメージがある。

なんとなく、港の引き込み線を渡るという行為を考えたとき、
踏切の有る場所を車で普通に渡ったのか、
それとも、歩いて踏切の無いところから、本当はダメだけれども、渡ったのか。
いろんな思案が出来るのだけれども、個人的には後者の方がしっくりくる。

秘密というか、ふたりだけで楽しむ時間が、
「いま一瞬あなたがすきよ」という感情を創り出したというのが自然な流れだと思うからである。

このように少ない言葉から、連想させるフックを作り、
類似する感情を相手に創り上げることが、
感情を伝える有効的な方法であると云える。

しかし、言葉で感情を創り上げることは難しい。
情景描写に関しては、物語以前、以後まで、想像が及ぶ。
その様な感情まで相手を誘導するのは、
到底一瞬で出来るものではないし、不備があれば、
全く違う感情を連想させる恐れもある。
まさに「入ってくれてありがとう」である。

そもそも、「入ってくれてありがとう」ってなんだよ。
うさんくさい会とか集まりに嫌々入ったとか、
そういう時にしか使う、使われない気がしないまでもない。
たぶん、一生の間に使う言葉の65,536位ぐらいだとおもう。

あとはなんだろう、詰替えの洗剤がこぼれずに
キレイに入った時ぐらいか。。








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