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自分の“好き”を問い続ける。「日本モダンガール協會®」淺井カヨさんの偏愛力の構造【よなよなビアファンド】

2021年4月に始まった、笑顔を生み出す多様性人材“よなよな人(びと)”へのビール投資プログラム「よなよなビアファンド」。様々な分野で活躍する人をよなよなエールで支援するこの取り組みのキャッチコピーは「出る杭に心打たれる」です。

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よなよなエール/ヤッホーブルーイングのよなよなビアファンド公式アカウントです🍺知性と偏愛を持った愛すべき変わり者(=よなよな人)をビア投資で応援しています。よなよな人との活動や、ビアファンドプロジェクトの様子などを発信。
「出る杭に心打たれる。」愛すべき変わり者であふれた世界をつくりたい。

…そう、よなよな人の共通項は心を奪われるほどに突出していること。自分がやりたいと思ったことを探求する「知性」と、それに情熱を傾ける「偏愛」を併せ持つ、愛すべき変わり者です。「偏愛」と「知性」が重なり合うところには、必ずや笑顔が生まれる…。世界に笑顔を生み出すよなよな人たちのチカラの源を垣間見たい!

今回は、新たによなよな人として活動してくださることになった「日本モダンガール協會®」の代表、淺井カヨさんのご自宅までお邪魔してきました。ファッションや暮らしの道具はもちろんのこと、築いた家まで“大正&昭和初期”。読む本や聴く音楽も当時のもの…ということはもしかして脳内も? …とそんな妄想が現実のものとなっている淺井さんの偏愛力の原点を探す旅へ、いざご一緒に!

<聞き手=ライス、ヤッホーブルーイング・よなよなビアファンドスタッフ>

(写真撮影:佐藤桃)

【プロフィール】淺井カヨ(あさい・かよ)さん
大正65年(…つまり1976〔昭和51〕年)愛知県名古屋市生まれ。幼少時代からの歴史建築好きに端を発し、大正末期から昭和初期を生きた日本のモダンガールのファッションと大学時代に出合う。2007年に日本モダンガール協會®を設立し、モダンガールやその時代の生活文化の調査・研究、講演活動を続けている。ファッション・生活様式だけでなく脳内も「大正・昭和初期」に照準を合わせた暮らしを実践し、大正から昭和にかけて建てられた洋館付き住宅を再現した「小平新文化住宅」を2016年9月に新築し居住。この住宅を会場に蓄音器鑑賞会や建物紹介などを開催するほか、自身の暮らしぶりも発信している。著書は『モダンガールのスヽメ』(原書房)。

今回お邪魔した淺井さんのご自宅「小平新文化住宅」

▼「醸造」には「ヂヤウザウ」とルビを振る。そんな時代のビールのポスターから抜け出してきたかのようなファッションに身を包む淺井カヨさん。“大正&昭和初期”の世界観一式を「体の一部のようになくてはならないもの」と語る淺井さんの“好き”が壮絶過ぎて、もはや思考がかなた後方に置き去りにされている感覚です。
なぜ淺井さんはひとつの対象をそこまで愛せる人間になったのか? 人が物事を好きになるメカニズム、すなわち偏愛力の構造を踏まえなければ、淺井さんのことは何ひとつ理解できない。そんな気持ちです。

洋装は各地で調達、もしくは仕立て屋に相談。

今日被っている帽子は100年くらい前のアメリカ製で、1920年代に当時の女性が実際に使っていたものですね。服装も当時のものは100年ぐらい経っていますので、破れやすかったり、貴重なものでもあるので、家ではなるべく当時の洋装を元に復刻したものを着ることが多いです。または、当時の洋服を仕立て屋に持って行きまして、それをもとに同じ形の洋服をつくってもらったり…。

▼「モガ」とも略称される「モダンガール」とは、衣服も生活も和式が中心だった大正末期から昭和初期に、洋装のファッションや海外の文化をいち早く取り入れ、新しい考え方や暮らしぶりを取り入れた女性たちのこと。

私が好きな1920年代当時の日本の女性の洋服は少なく、なかなか残っておりませんのでとても手に入りにくいです。…長年、集めてはおりますが、数は少ないです。欧米のもので同じ時代の洋服は比較的入手がしやすいので、インターネットを使って海外から取り寄せたり、そういう洋服を扱っている古着屋や、骨董品店などでも手に入れます。骨董市で古い洋服を探したり…ということもあります。日本の女性が1920年代に着ていた洋装は本当に少ないです。もう少し後の時代になると洋服の数も増えてきますが、自分が好きな時代(1920年代)となると、女性がほとんど和装の時代ですから、着物が多いのです。

▼ファッションだけでなく、都市文化や大衆文化ものびやかに花開いた大正時代。住宅も1920~30年代になると洋風生活を取り入れた「文化住宅」が一般向け住宅として多く建設されていきます。閑静な住宅地にある淺井さんのご自宅「小平新文化住宅」は、板壁の和風住宅の玄関脇に小さな洋館を併設した2階建て。周囲の家々と比べても空気が異なって見えるほどです。当時の暮らしぶりについて、淺井さんに訊いてみましょう。

道具が暮らしを決定づける!?

洗濯機は電気ではなく手でハンドルを回して使うもので、これは比較的新しくて昭和30年代に作られたものです。脱水機は現代のものを買いました。洗剤は固形石鹸です。汚れている部分にだけ石鹸をつけて手で洗います。あとは酸素系漂白剤を溶かしたぬるま湯に漬け込みしておいて、そのあと汚れた部分に石鹸をつけて手洗いをすることもあります。

電球も今のものですが、LEDではなくて白熱電球を大量に持っています。普段は20ワットのものを使っておりますが、さすがに暗いなぁと感じるときには40ワットのものに付け替えたりもしますね。夕飯時はやはり少し暗いので、都度電球を変えたりする場合も多いです。

食事も和食が多いですが当時の献立で作ることもあります。当時の献立なので電子レンジは不要です。鋳物コンロ(ガスコンロ)はマッチで火を付けて使います。今のものですが、昭和初期にはすでに同じような形のものが出回っていました。ご飯は土鍋で炊いています。

電気ではなく氷で冷やす木製の冷蔵箱は「田島式冷蔵庫」です。川越(埼玉県川越市)にある田嶋木工所という業者にお願いしてつくりました。高級な寿司屋などで氷で冷やしたいという需要があるようです。そういうプロの需要のための冷蔵庫なので、さすがに個人で…というのは珍しかったようで(笑)。購入当時(2016年)30万円でした。さすがに中の木製の棚の部分は修繕が必要かもしれませんが、内側はステンレスで外側は一生使えますね。氷は近所に氷屋がたまたまありまして、そこで買ってきています。2つで約1,000円です。ビールを冷やすと本当に美味しい。真冬だと一週間ぐらい氷がもちますが、真夏は1日か2日で溶けますね。食材の貯蔵には床下貯蔵も使っていまして、手を入れるとちょっと温度が低いでしょう? ビールにもちょうどいい温度になりますね。

WEBと医療は…

実はパーソナルコンピュータとインターネットは調べ物や捜し物で重宝しますので、暮らしに取り入れています。例えば、老舗が閉まる…閉店情報などはニュース検索で調べることも多いですね。あとは期間限定で大正、昭和初期の建物公開や、当時の生活文化を展示する展覧会の情報、昔の建物を利用した店の情報など。でも、インターネットだけでもなかなか見つからないので、実際に足を使って探しに行くことも多いですね。

そういえば私が以前に住んでいた町に、大正時代から建物も当時のままという歯医者がありました。「わぁやった!」と思って中へ入りましたら、器具も昔のままで「歯がダメだから何本か抜きます」と言われました。「…ちょっとおかしいな」と思って、また別の最新設備の歯医者へ行ったら「…いや、これは全く抜く必要ないですよ」って言われまして。それ以降は、見た目だけにまどわされないように、その都度よく考える様になりました。

すべては「私」にとって心地よいものを求めた「結果」

美術がずっと好きで20代まで絵を描いていましたので、大学のときに高畠華宵や蕗谷虹児など、当時の画家の作品などを目にしてモダンガールと出会って「いいなぁ」と感じていました。そういうなかで、2004年の春に大正時代の格好をしないと参加ができないという花見会がありまして、そのとき初めて自分なりにモダンガール風の格好をしました。それをきっかけにして、格好だけでなくて生活にもいろいろなことを取り入れて、結婚相手も蓄音器の時代の音楽史研究家で、ついには一緒に家を建てたり、本当に自然と今のような暮らしになっていきました。

古いもの至上主義ではなくて、同じものがあるなら新しいもので、という考え方もあります。必ずしも古いから買っているわけではなくて、私にとって良いものがたまたま古いというだけです。1920年代のものだから欲しいのではなくて、自分が欲しいと思ったものがその時代のものがとても多いのです。多くのものがそこに集約してきます。…それはなぜか、言葉にすることは難しいですね。雰囲気、美しさ、自分の好みという点が多いですね。

▼「心技体」という言葉があります。衣食住を「体」とすれば、それに伴って「心」もまた大正&昭和初期のそれに染まっていく様子が、淺井さんからは手にとるように見て取れます。「体」と「心」を大正&昭和初期にチューニングするために、淺井さんはいったいどのような「技」を使っているのでしょうか?

大正から昭和初期の生活文化を取り入れ始めた2004年頃は、当時の暮らしをご存知の高齢者の方も多くいらっしゃいましたので、直接お話を聞くことができました。今はそれが難しくなってきていますので、どちらかというと本を読んで当時の暮らしの知識を得たり、映画や映像などを観たり、日々吸収しています。

当時の雑誌と百科事典を参考にする「技」

よく読むのは当時の雑誌ですね。1920(大正9)年に大日本雄辯會講談社が創刊した「婦人倶楽部」、1906(明治39)年に実業之日本社から創刊された「婦人世界」などの雑誌は、当時の暮らしを知る上でも興味深いです。辞書や百科事典もよく読みます。例えばコロッケのつくり方なども載っています。

当時の仮名遣いで読み書きする「技」

当時の仮名遣いで読むとまた味わいが違うので、子どものころに読んでいた近代文学を、当時出された文章と当時の仮名遣いで改めて読むと、しっくりきますね。仕事のメールなども当時の仮名遣いです。「ありがたう」などですね。…現代の仮名遣いを書くと、違和感がありますね。

「心地よさ」を求める。極めて強く

常に楽しい気分でいたいです。極力、ストレスを溜めないようにして生きています。やはり大正・昭和初期のものに触れているときが、一番心地よくいられることが多いです。多くの方々が身の回りにあることをそのまま受け入れて「これでいいかなぁ」と感じているのかもしれません。それで心地よいのならそれで問題はありませんが、私の場合は心地よくいられないことが多く、「まぁいいか」では済まないことばかりで、結局自分なりに追求ばかりします。

たとえば私は、缶ビールをそのまま飲むことをあまり好みません。家ではひと手間をかけても必ず気に入ったグラスに注いで飲みます。そういうちょっとしたことなのですが、でもやはり自分はこう飲みたいという気持ちが勝ると言いますか、日々自分のしたいことを追求しているのです。よなよなエールをいただく時には、氷の冷蔵庫のほうがいいかな? もしかしたら床下貯蔵庫のほうが適温かな?など。

▼自分の“好き”に正直であること、それが淺井さんの偏愛力を突き動かしているようです。さらにその偏愛力は誰も傷つけることなく、みんなが近くに集まってくる重力にもなっているという……。まさに“よなよな人”! 淺井さんにとって、よなよなエールとはどのような存在なのでしょうか?

もう何年か前になるのですが、親しい友人でビールにとても詳しい方から「インドの青鬼」を薦められました。「あれ? 普通に売っているのになんだか美味しいな」と感じたことが出会いでした。以前からビールが好きですがあまりたくさんの量は飲めませんので、美味しいビールを少しだけいただく、ということが好きで重宝しています。あくまでもビールの味を楽しむという飲み方をしたいですね。

昔のラベルの絵柄もおもしろいです。一時期は、昔のビールのラベルをコピーして今売られている瓶に貼り付けて飲んでいました。

“よなよな人”としてやりたいこと

ビールは嗜好品で、ひとりよりも仲間と味わうのが楽しいですから、例えば着物やモダンな洋装を着てよなよなエールを一緒に味わってみたいです。それから、全く違う分野で自分の好きなことを追求していらっしゃる方と話したいですね。それは私にとっても大変刺激になります。今日は私が話すほうですが、本当は聴いているほうが好きです。自分とは違う価値観に触れることはおもしろいですね。

自分の“好き”を問い続ける

自分の内側に対して常に丁寧に耳を傾けている――。淺井さんとお話をしていると、そんな印象を受けます。もしかすると自分の“好き”に対するセンサーが鋭敏なのかもしれません。自分の気持ちがどう動くのか? に対して瞬時に直感で感じ取って「よき方向」へと向かうことができるのです。

翻って考えると、現代の多くの人は心に蓋をすることに慣れすぎている気がします。ちょっとしたことに対して自分で折り合いをつけてそのままにしてしまうのです。

淺井さんのように、好きなものに対して無垢でいられるというのは決して珍しいことではなく、「好き」に対して正面から向き合って、それが本当に「好き」か否かと問うているだけ。そう思うと、自分の声にもう少しだけ耳を傾けようと感じるのです。

「よなよなビアファンド」では、これからも新しい“よなよな人”の発掘や、“よなよな人”への支援を行っていきます。これからの「よなよなビアファンド」も、お楽しみに!

よなよなビアファンド公式Twitter(@yona2_beerfund)
よなよなエール/ヤッホーブルーイングのよなよなビアファンド公式アカウントです🍺知性と偏愛を持った愛すべき変わり者(=よなよな人)をビア投資で応援しています。よなよな人との活動や、ビアファンドプロジェクトの様子などを発信。
「出る杭に心打たれる。」愛すべき変わり者であふれた世界をつくりたい。

(おわり)


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