常にコモンセンスから最も遠いところを志向する「明和電機」土佐信道さんの偏愛道【よなよなビアファンド】
2021年4月に始まった、笑顔を生み出す多様性人材“よなよな人(びと)”へのビール投資プログラム「よなよなビアファンド」。様々な分野で活躍する人をよなよなエールで支援するこの取り組みのキャッチコピーは「出る杭に心打たれる」です。
…そう、よなよな人の共通項は心を奪われるほどに突出していること。自分がやりたいと思ったことを探求する「知性」と、それに情熱を傾ける「偏愛」を併せ持つ、愛すべき変わり者なのです。「偏愛」と「知性」が重なり合うところには、必ずや笑顔が生まれる…。世界に笑顔を生み出すよなよな人たちのチカラの源を垣間見たい!
今回は、芸術ユニット「明和電機」を率いる土佐信道さんが、新しくよなよな人の仲間になってくださいました。土佐さんが歩んできた偏愛の道を、ご一緒に旅してみませんか?
<聞き手=ライス、ヤッホーブルーイング・よなよなビアファンドスタッフ>
まずはご挨拶。そろそろ30周年です
皆様、いつも大変お世話になっております。明和電機の土佐信道です。明和電機は2023年で30周年を迎えます。なぜ30年続いたのか? うーん、たぶん仕事じゃないからでしょうね。「仕事」ではなく「営み」なんです。原始人は30年どころか、延々とマンモスを獲り続けていると思うんですよ、食べなきゃいけないし。それと同じで、僕の場合は考えてつくって見せるという営みが当たり前のように続いてきたのだと思いますね。もちろん「マンモス見つからないよ!」とか「10本も槍を刺したのに倒れてくれないよ!」とか、そんな辛さもあると思いますけど。
これぞ我が道
そんな「営み」を我が道だと理解したのは、明和電機を始めたとき、言い換えれば魚器シリーズを始めたとき、1993年ですかね。それ以来ずっとブレてません。自分とはなんだろう? という問いは芸術家の皆さんはみんな考えることなんです。自分らしさとか、自分の作風とか。ものをつくることで、それをみつけることができるのは、僕にとってすごくラッキーでした。もしそれがなかったなら、ものすごく探し続けていたと思います。魚器シリーズは20代の作品、「女性とは何か?」というテーマで作った「エーデルワイス」のシリーズは30代に、40代には声をテーマにした「ボイスメカニクス」というシリーズをつくってきました。僕の場合はつくることで自分を探すことができたので、年齢や年代ごとに見えてくる世界が違う。それが面白いところです。
作品の正体はつくりながら見えてくる
決断力がないと人から言われます。作品の制作も決め打ちはあまりしない。プランニングはせず、反応をみながらつくっていくんです。臨機応変に状況に合わせて決めていくので、スタッフはもちろんなんですが、自分も振り回されます。「言ってることが違うじゃん!…だって閃いちゃったんだもん!」ということの繰り返しですね。「パーーーン!」と見えるものがある。それを元にスケッチを描くんです。かなり描きます。そこからつくり始めるんですが、つくりながら気づくんです。「そうか。いま自分がつくっているのは全部“声”でつながっているぞ」とか「そうだ! 勢いでつくってきたものは“花”という共通点があるぞ」とか。物語やストーリーが最初にあったのではなく、花のイメージが「ぱぁーーーん!」ときてつくっていたら、物語やストーリーが付いてきたのが、例えば「エーデルワイス」のシリーズです。
植物でいうと、そこにある土と水と空気でしか成長しないのと一緒で、芸術家は今そこにある環境からしか影響は受けられないので、逆にいうとその環境がおもしろくなければ作品はつくれない。わざとそういう環境にしていかなきゃいけないんですよね。前と同じものをつくるのはコモンセンス。これはやりたくないんです。コモンセンスの対義語はナンセンス。明和電機がつくるのもナンセンスマシーンなんです。
すっごいフツーのものを作ってしまったときに「あぁ無駄なことをしてしまった」と思いますねぇ。すでにあるもの、すでにある概念。そのために時間と頭を使ってしまったり、使わざるを得ない状況になってしまったときに「無駄だぁ」とね。
マーケティングはしない。プロモーションはめっちゃする。
芸術作品とマスプロダクト。両方ともつくっていますが、それぞれ制作に入る前に頭の切り替えをしないのも、決断力の欠如によるものです(笑) 一般的には、マスプロダクトはマーケティングしながらみんなは何が欲しいんだろか?ということを考えながらつくると思うんですけど、明和電機のマスプロダクトは、自分が面白いと思うものは絶対みんなも面白い…というところまで突き詰めてからつくるので、アートのつくり方とそんなに変わらないんです。
マーケティングはしないんですが、プロモーションはします。いや、芸術家はプロモーションめっちゃやります。岡本太郎は必ずカメラを向けられた瞬間にすごい形相になるし、ダリは必ず口ひげを宇宙に向けて立たせていました。特に20世紀以降の芸術家は見られ方や撮られることに対して鋭敏なくらいすごい考えていますねぇ。明和電機も「こんなにプロモーションをする芸術家はいない!」とよくいわれるんです。
でも、つくりながらプロモーションの手法を考えるのではないんです。作品は出来上がるまでそれが何かよくわからないので(笑)。子どもも、生まれてきてようやくその子の個性がわかる。それと一緒で、作品も出来上がってから、いや人に見てもらってリアンクションを確認してから、そこで初めて理解できるというか。デュシャンという芸術家がいるんですが「芸術作品とは作家と観客の中間にあって、そのどちらでもない」と言っているんですね。それには同感で、作品ってつくり手と受け手の間で常に揺らいでいるような感覚で見ています。
ビールを明確に美味しいと感じた時期
そういえば、前に一度「シュポン抜き」という道具を考えたことがありました。CMなんかでよく耳にする「シュポーーーン」というやつ。あれを再現できる栓抜きなんです。拡声器とかが付いてて(笑)めちゃくちゃデカい音がする。…あ!よなよなエールは瓶ではなくて缶だけですか!? そうか…じゃぁNGですね(笑)
明和電機はライブのあとの片付けが尋常じゃないんですね。自分で分解して、配線も全部まとめて…という具合なので「あとやっといて〜」みたいなことがないんです。片付けが終わったあとはクタクタになるんですが、いいライブが終わったあとはその片付けも苦にならないぐらい高揚している。…ので、ダサい言い方をしますけど、いいライブをしないとビールは美味しくないんです。
ビールは毎日飲んでますよ。今やデフォルトです。僕にとってのビール観ですか? そうですね「美味しいと思えるようになった時期が明確にあった飲み物」ですかね。もともとお酒も飲めなかったですし、ビールもあまり美味しいと思っていなかったんです。…ところがあるときビールが突然美味しくなった。仕事の責任感が増えたときでしたね(笑)。お兄ちゃんが辞めてひとりでいろんなものを抱え「うあ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜〜」ってなってたときに「ぷしゅっ!」と開けて「ぷふぁーーー」ってなった瞬間に「美味しい!」と。そうならないと美味しく感じないのがビールという飲み物なのかなと思って(笑)
愛すべき馬鹿馬鹿しさのために、心身を砕く。
「いいライブをしないとビールは美味しくない」という素敵なエピソードを、とても恥ずかしそうに教えてくださった土佐さん。――土佐さんは、ナンセンスな作品を生み出すことに、ナンセンスなコミュニケーションを追求することに、そして自分自身がナンセンスであることに対して真摯に向き合われているように感じました。
このインタビューに先立って行われた打ち合わせの際に、土佐さんが「ナポレオン銃」のお話をしてくださったことが思い出されます。「ナポレオン銃」とは、かつて土佐さんがフランス滞在時に遭遇したテロ事件で使われたAK47という銃にヒントを得て誕生した、発泡酒を“発砲”するための銃。スイッチを押すとシャンパンが高速でシェイクされ、トリガーを引くとシャンパンシャワーが数メートル先に飛ぶという仕掛けです。1949年にソビエト連邦軍が採用した自動小銃AK47が、その単純な機構ゆえに複製されやすく、世界中で1億丁以上出回っているという現実や、最初にシャンパンシャワーをやったのはナポレオンだったという史実などを受け、「人類が初めて発砲したのは、銃ではなく酒だ!」という閃きを得た土佐さんはAKではなくSAKEの銃をつくりました。土佐さんの強烈なまでの偏愛は「思わず吹き出してしまうほどの馬鹿馬鹿しさ」を生み出すことに、終始傾けられているようです。
そんな土佐さんと何らかのかたちでご一緒できることを夢見つつ、今夜もよなよな抜栓します。
「よなよなビアファンド」では、これからも新しい“よなよな人”の発掘や、“よなよな人”への支援を行っていきます。これからの「よなよなビアファンド」も、お楽しみに!
(おわり)
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