人との距離の詰め方について。
バイトを始めて約一週間が経った。
今日がバイト5日目である。
仕事は問題なく、徐々に慣れてきた。楽しくやっているし、上司の人たちもとてもいい人たちである。
そして一緒に現場で動く同僚の人たち。これまたみんなすごくいい人である。優しいし、聞いたら全部教えてくれるし、僕が無理しないように気遣ってくれる。
とてもいい職場だ。文句はない。
いま自分を悩ませているのは、ごくごく個人的な、人との距離の詰め方である。
まず前提として、僕は人見知りだ。そして相手の気持ちを推し量ることが苦手である。
その人と仲良くなる前、仲良くなりたいと思っている状態のときに、どこまで突っ込んでいいのか、どの距離感がセーフなのか。相手の話にどういうリアクションを取るべきか、相手から見て自分のリアクションはどう見えているのか。
そういったことをごちゃごちゃ考えてしまう。無意識的に、自然体で振る舞うことができない。
意識して行動している自分を意識してしまい、わぁーいまのリアクション良くなかったなーとか、わぁー今のは返しとしてこちらから会話を続けるべきだったのかなーとか、考えてしまって結果緊張してしまうのだ。
ここまで書いてきて、自分にも原因が見えてきた。緊張する、という時点で僕は、相手に対してええカッコしようとしているのだろう。
相手を傷つけたくない、嫌われたくないと思うから、緊張してしまい、演技している感覚を感じて、そこに嫌悪を感じているのだろうと思う。
こういうときにこそ、嫌われる勇気の出番である。あの本に書いてあったことを活かすときがきた。
なんて書いてあったんだっけ。
詳細はまったく覚えていないが、結論としては
「誰にでも好かれるのは無理だから諦めなさい。それより好きに生きて、その生き方に共感してくれる人と人生を歩みなさい。マジ全部メンタルだから。God bless you.」
確かそんな話だったと思う。
僕の話に当てはめて考えると、自分はさっさと距離をつめたいなと思っている相手に対して、自分が嫌われたらどうしようと気に病んでいるわけだが、嫌われる場合は遅かれ早かれどうやっても嫌われるだろうし、だったらさっさと自分の理想の距離の詰め方をして、失敗したら次に行けばいい。
という感じになるだろうか。
なんか全然違う気もするし、合っている気もする。むずい。
結論、人それぞれで不快になる距離、快適な距離は違うし、その日、その時によって感じ方も違うだろうし、これは割りと考えても仕方ないことなんだよな。
普通はここで、だからこそ一般的な距離感で問題が起きにくいところ、ギリギリのラインよりもセーフ寄りに動くのが無難だよねって話になるんだろうけど。
無難にやってちゃつまんないもんな。
そしてそう思ってしまう、この感情が僕にとっては厄介だ。
嫌われたくないのなら、無難に、一般的な枠のところで攻めればいいだけなのに、嫌われたくないという感情は継続させつつ、その上で無難にやるのは嫌だっていう感情が起こるから引っ掛かりみたいなものを感じて、結果こんなことをブログに書き始めるのだ。
ではどちらに合わせればよいか。どうしたらこの2つを相反させずに、同居させることができるのか。
シンプルに、無難なのは嫌だっていうのは、もはや自分の道である。それがオレの忍道なのである、いや、だってばよ。
普段からの行動、人生の選択、根本にこの道が流れているから、ここを変えるのは無理である。ここを変えると、オレがオレじゃなくなるのだ、チョコになっちゃえ。
だから嫌われるのが嫌だ、この部分を変えていきたい。これはメンタルを変えれば、というか、この部分の捉え方を変えればいけそうである。
嫌われるのが嫌だ→別に興味ない人には嫌われてもいい→自分が好きな人に嫌われたくない→どんな人が好きなのか→そんな程度のことで人を嫌いになるようなやつを自分が好きになるだろうか→いやならない→じゃあ自分の思う距離の詰め方で問題ない→それで嫌われたなら、その人は元々気の合うやつじゃない→むしろ嫌いなやつを早めに弾けてラッキー
美しいフローチャートの完成である。これだ。これ以外の何物でもない。
テーマだけ決めて書き始めたが、思わぬ収穫を得た。結論、ガンガン距離詰めていっていいな。
迷ったら攻めよう。迷ったら発言しよう。
僕はこれからこのフローチャートを味方に、初対面やそこまで関係性まだない人にも、ガンガン距離を詰めていこうと思う。
そして僕は横浜に居酒屋を開く。初対面でもガンガン距離を詰めてくるタイプの店長になる。
現場からは以上です。
@yohjihonda fdy.incというアパレルブランドの代表をしています。@fdy_inc SenveroOnDemandという飲み会を企画しています。