「使命」ってなんだ?「生きる」ってなんだ?
「生きる」ってなんなんでしょうね。
人生の目的とか、使命とか、考え出したらキリがない。
キリがないくせに、そして考え事としては割とポップな類に含まれるほどよく議論されることでもあるのに、こんなに答えが出ない問いが他にあるだろうか。
答えが出ない、という表現は合っていないかもしれない。
「どんなに答えが出たように見えても、結局は個人の価値観の範囲内にしか留まらない」と言った方が正しいかもしれない。
つまり、どんな使命だろうと、それは「その人にとって」という注釈を入れることが可能であり、批判なり、チャチャを入れることが可能であるということだ。
例えば筑波大准教授の落合陽一さんは、メディアでも政治の世界でも経済界でも有名な人間であるが、彼の多様な活動(常軌を逸した活動の数々!)を素人目にまとめると「日本を良くしたい」という目的のために行われているものだと思う。
その活動は素晴らしく、僕のようなパンピーがどんなに頑張って追いかけようにも、追いきれない情報量を発信されているが、こんな「日本のために頑張っている日本人の代表例」みたいな人にだって、文句を言おうと思えば言えるだろうし、実際に文句を言う人もこの世には存在するのだ。
「結局、日本のために日本のためにって言って、世界のことは考えてない」とか。
明らかに屁理屈というか、「それ言ってどうすんの?」と思うようなクソリプだが、こんなクソリプが溢れている世界に僕たちは生きていると思う。
何が言いたいかというと、どんな崇高な理想や使命、目的にだって、文句を言おうと思えば言うことができるし、熟練の陶芸家のように屁理屈をコネコネして立派な批判(に見えるクソリプ)を仕上げることを生きがいにしている人間もいるということである。
どうやったって批判はされる。敵はできる。自分の利益を追求する限り、利害関係は生まれてしまう。
「地球のためにこうしようよ!」って言っても、「それ、宇宙から見たら良くないんじゃない?」って、言うこともできるわけなのだ。(宇宙規模のクソリプ)
「どうやって生きるべきか」という問いには、正解はない。人間一人ひとりに、「個別の回答」があるだけだ。
「正しい答え」を追い求めてしまうと、出口のない迷宮に入り込んでしまうし、「だとしても、その道の探求は絶対必要だろ!」と思う人もいるだろうが、その人にとってそれは「崇高な行い」であったとしても、外側の他人から見ればただの「宗教」や「哲学」なのである。
2チャンネル創始者の西村博之さんがしていた話で、好きなエピソードがある。
生物がどう生まれたかは、すでに結論が出ていて、海ができてから、そこにある水や二酸化炭素、空気といった「無機物」に、雷による放電や紫外線直射によりエネルギーが加えられ、アミノ酸や糖、核酸塩基物などの「有機物」が生まれ、これが生物になった、という話である。(詳細は覚えてないです、すいません)
つまり僕らは元々、海に雷が落ちて出来た泡が化学変化によって性質変化していった結果「たまたま出来たもの」であり、そこには「神の意志」なり「使命」なんてものはない。
そういったものは、人間が進化して生きていく中で「楽しく生きるため」や「他の人間を統率するため」に、過去の人間が生み出した「ツール」である。
「サピエンス全史」という本で語られていた「人間は『虚構 』を共有することでここまで進化できた」という話からもわかるように、そういった人間が作り出した、いわゆる「作り話」を信じることで、僕らはここまで進化してきたし、今も80億人もの人間が、この狭い地球で寄り添って生きているわけである。
何が言いたかったかというと「使命とか、人生の目的とかは、どんなに偉くなっても、どんなに結果を出しても、考えても、正解がわかるものではないのだから、悩んだって仕方ない」ということだ。
そうだ。こんなに長々と語ってきた割に、最終結論はいつもと同じだ。「結果、好きなことやって生きていくしかない」だ。
ただ僕が「悩んでも仕方ない」と書いたのは、「悩んでも仕方ない、けど考えることに意味はある」という思いもあるからだ。
「人生の目的」と言うと少し重くなってしまうかもしれないが、シンプルに「自分にできることは何か」「周りの人を幸せにするにはどうしたらいいか」「貢献できることはないか」といったことを、日々考え続けることは、決して無駄ではないと思う。
その「考える」という行為自体を、楽しんでいければ最高だなとも思う。
どういったことを日々アウトプットしようか、どうしたら周りに貢献できるか、、毎日考えるが、明確な答えは出ない。
でもそれなりに、僕も30年間生きてきたということで、少しづつ自分のやりたいことや、どうしたら(自分も含め)周りが幸せになるかのコツが、わかってきた気がしている。
いま僕が取るべきは、「成功しそうな道」ではなく、「失敗するかもだけど抜群に面白そうな道」だと確信している。
失敗は敵じゃない、味方だ。失敗しないと、前に進めない。
「でも失敗しないなら失敗しない方が良くない?」と思う人もいるだろうが、僕は「失敗しない=チャレンジが少ない」だと思っている。
少し強引な理論であることは重々承知しているが、失敗していないということは、もっとできることがあったということだと思う。
たくさんチャレンジして、楽しいこといっぱいして、周りの人とたくさん楽しんでいけたら幸せだなあと思います。
ということで、今日で31歳になりました。これからも精進いたしますので、皆様ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
ちなみに、今日の内容を書こうと思ったのは、昨日「サンクチュアリ」という漫画を一気読みしたからです。
何度読んでもいい、、、サンクリュアリ。僕のバイブル。僕の好きな漫画ナンバーワンです。
ということで、素敵な一日をお過ごしください。
現場からは以上です。
@yohjihonda fdy.incというアパレルブランドの代表をしています。@fdy_inc SenveroOnDemandという飲み会を企画しています。