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3.11に寄せて

3月11日、午後14時46分。

甲府市でも市長の演説が流れ、1分間の黙祷が捧げられました。
今日は在宅ワークをしていたので、家でその瞬間を過ごすことになったのですが、やはり今年は思うところがありました。
3.11に黙祷を捧げることが鎮魂を意味するのなら、来年からは毎年元旦が、また鎮魂の日となることでしょう。
年が明けるということの意味合いが大きく変わる、その瞬間に、私たちは立ち会っています。

もう誰もが語り尽くしたかと思いますが、3.11のその瞬間、私は北千住の荒川沿いを散歩していました。
今思うと大地震の瞬間に川沿いにいたなんて、危険極まりない状況だったのですが、その瞬間はそんなこと露にも思わず、近くのおじいちゃんと「大きな揺れでしたねぇ」なんて笑い合っていたのでした。

だから私にとって3.11は、地震そのものよりも、その後東京で帰宅難民が続出したことや、自動販売機やコンビニから水や食料がなくなったことのほうが印象的で、「人の業」を大きく感じた出来事だったのでした。

その後、2013年には単身気仙沼と陸前高田を巡ってみたり、毎年3.11の日にはいわきに行ってみたり、福島からの避難者と語る集いに参加してみたり、地の利もあって、普通の人よりはほんのちょっと深く3.11には深く関わってきたのかな、と思います。

3.11や能登半島だけではなく、この国では多くの地域で災害の爪痕が今もなお深く残されています。
人間は強いようで弱いようで強いようで弱い。どんな傷跡の中からも立ち上がり、涙を流しながら歩みは止めない。そういう生き物です。

当たり前の話なのであまり言及されることはありませんが、鎮魂とは、人に思いを寄せることです。
大切な人へ心を寄せる1つのきっかけとして、鎮魂の機会と風習が、いつまでもいつまでも、風化しないで残り続けてくれれば良いなと、そう思います。

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