小説 200km先からの伝言

南無妙法蓮華経。

唱える念仏は毎回適当だ。南無妙法蓮華経だったり南無阿弥陀仏だったりする。
ついでに言うと、お墓に行くと念仏や戒名が書かれた木の札のようなものを見かけるが、あれもどこで売っているものか分からないので、いろいろ考えた結果、お寺で売っている絵馬で妥協することにした。
絵馬にボールペンで書き込みをする。今回は78歳のおじいさん、膵臓がんで闘病中だったが、ついに力尽きるようだ。絵馬に火を点け、手を合わせる。

私は他人の死期を正確に読み取ることができる。ただし、それは200km以上距離が置かれている人に限るという制限があった。
まるで予知夢やひらめきのように、誰かの死期が頭の中に読み込まれる。初めは妄想や幻覚の類かと思っていたが、気になって国会図書館で地方新聞の死亡記事をチェックするうち、自分の“それ”は妄想や幻覚などではなく、正確な能力であると確信するに至った。

ただ、一方的にはるか遠くにいるどこかの誰かの死期を知らされるというのは気持ちの良いものではなかった。一時期はその罪悪感に耐えられず、狂ってしまいそうだった。
頭がおかしくなってしまいそうだったので、いろいろ考えて、一人で勝手にその人の葬式を行うことにした。だったら念仏だってお札だって自分なりに調べて立派なものにしたらどうかとも思うが、そこまで深入りしてしまうと、それはそれで別の意味で狂ってしまいそうで怖かった。

自分の能力を信じるならば、先の78歳のおじいちゃんが実際に亡くなるのは4ヶ月後のことになるはずだ。どうか安らかに、お眠りください。

ある日、家に女性が訪ねてきた。まったく知らない人だ。歳は40〜50代くらいだろうか。様々な伝を頼って、ついに私を見つけ出したのだという。
何のご用か。

「残念ですが、あなたは今日、亡くなります」

彼女には、他人の死期を読み取る能力があった。ただしそれは200km以上距離が置かれている人に限るという制限があった。
彼女は誰かの死期を読み取ると、あらゆる情報を頼りに、その人に直接会いに行くのだと言う。当然間に合わないことが多い。でも奇跡的に亡くなる数ヶ月前に本人に出会えることもあって、毎回奇跡を信じて旅をするのだと言う。
そして今回私の場合、亡くなる当日に当人に辿り着いた。

なんてことだ。私のような能力を持つ者は、私一人ではなかったのだ。
そして彼女は、私よりも行動力があった。私が罪滅ぼしとして一人葬式を執り行っていたのと同じように、彼女は罪滅ぼしで私に直接会いに来てくれたのだ。

彼女は泣いていた。私も泣いた。それが後悔だったのか感謝だったのか分からないまま、夜の帳が下りるように、私の意識は消えていった。

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