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ぼくを生きづらくしているのは、だれ?

 ぼくは、たまに発狂する。心のなかで、だ。その理由は、ぼくだけが感じる変わったものというわけではないと思うのだが、その頻度が人よりも高いと思う。

 「わかりにくい」

 これが、ぼくが発狂する理由である。
 「わかりにくい」ということに対して、人よりも強く嫌悪感を抱くと気がついたのはいつだろうか。もちろん、いまの職に就いてからは、「わかりやすさ」について、仕事として取り組んでいるので、意識する時間は多い。でも、もっと前から、ぼくは心のなかで発狂していたと思う。身のまわりに溢れる「わかりにくい」ことについて、この機会に改めて考えてみた。

 例えば、交通ルール。まず、数多くある道路標識を覚えられないし、とても複雑だ。しかも、知らない道で走りながら標識を見て、瞬時に判断するのも難しい。ぼくの記憶では、運転免許をとりたてのときですら、すべてルールを理解できていなかったと思う。世の中の人は、すべて理解しているのだろうか。もし、あいまいな状態で、あんなに大きく危険な物体を運転しているのだとしたら、狂気の沙汰としか思えない。まあ、ぼくは車を乗らないのだが。
 新しい飲食店に入ったとき、「さあ、ここはどんなシステムだ」と、気合いを入れる必要がある。自由に座っていいのか、店員さんを待つべきなのか。ランチメニューはどこまでがセットで、どの部分を自由に組み合わせられるのか。そもそもメニューに写真が載っていなかったり、やたらとカタカナや英語が使われていたり。なんともわかりにくい。ちょっと洒落たカフェや、ぼくの好きなハンバーガー屋などは、要注意だ。
 飲食系になにか恨みがあるわけではないのだが、コンビニでのコーヒーの注文もわかりにくい。カップを自分で取ったり、店員さんに渡されたり。ちがう種類のコーヒーマシンが並んでいたり、操作画面が使いづらかったりする。まあ、コーヒーもぼくは買わないのだが。たまに頼まれて買うときに、発狂しそうになる。
 ホテルの予約も、しんどい。「秋を満喫! スペシャルプラン」とか「アプリ予約限定! 大満足プラン」とか、タイトルはまだ許せたとしても、詳細ページに書かれている内容が、ぼくを苦しめる。「こんなに素敵なプランなんです」というようなアピール文はほどほどにして、内容を完結に書いてくれ。特にビジネスホテルには、そのアピールポイントは求めていない。値段とスペックと写真で十分だ。
 携帯電話やインターネットの契約内容は、だれしも発狂したくなるのではないだろうか。「実質無料」だの「3万円キャッシュバック」だの、表面上はいいことを言っている裏に隠れている条件や規約が複雑すぎる。パンフレットに小さな文字で大量に書かれた注釈を読まないと、正しく把握ができない。2〜3年前、自宅にインターネットの回線を引いたときは、サポートセンターに何度も電話して契約内容を完全に理解したのだが、もう忘れてしまった。そのときに自分でまとめたノートを見返しても思い出せない。次の引っ越しのときにかかる費用が心配だ。

 ところが、「わかりにくい」ことに魅力を感じることがある。音楽や映画に触れたときだ。これらが好きなぼくは、「わかりやすい」作品に対して「ダサい」とか「つまらない」という感情が生まれるのだ。この矛盾はなんだろうか。
 次の結論に至った。デザインは「わかりやすい」が正義であり、アートは「わかりにくい」も価値となる、ということだ。デザイン=Designという言葉は「設計」という意味がある。ぼくが発狂するときは、「設計」がわかりにくいからだ。「サービスの設計」や「コミュニケーションの設計」など。世の中にあるものはすべて、だれかが「設計」したものである。その設計者が、ぼくを生きづらくしているのだ。

 みんなにやさしい世界をつくろう、なんてことを心から言えるほど、ぼくは素敵な人間ではない。とりあえず、ぼくがもう少し生きやすい世の中になってほしい。そんなレベルの小さな男だ。でも、ぼくが生きやすくなれば、もっとまわりの人にやさしくできるかもしれないし、笑顔も増えるかもしれない。ハッピーな空気はいい連鎖を生むはずだ。
 世界平和のため、世の中にもっと「わかりやすい」や「使いやすい」が増えることを切に願っている。


(ある仕事で2023年10月に執筆したコラムを、少し編集して掲載)

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