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穂と葉について、コミュニティカフェについて

札幌にあったコミュニティカフェ穂と葉(あえてこんな書き方をします)が2020年1月末に閉店します。
多くの大学生高校生若者が出入りし、色んな出会いを創出したこの場で人生に大きな影響を受けたという人もいるだろうし、多様化する社会の中で満たされず承認されずにもがいている若者の居場所として機能し、心が救われた人もいるでしょう。
私は部外者ですが、穂と葉を作った方とは友人なのでまずはお疲れ様と言いたいです。理不尽ないわれをうけたり、誰かに唆されてやりたくない事業を行ったり、コミュニティ運営でめんどくさい話をたくさん聞いたりと思います。(しかもこんな批評も書かれて何様やねんという感じですがまあ許してください。)
それ以上に楽しいこともあったと思います。色んな出会いもあったと思いますし充実したんだとも思っています。先日話したときに「やってよかった」と言っていたのがうれしかったです。これからもよろしくお願いします。

さてなんでこれを書こうかと思ったかというと別の友人が「札幌って色んな学生コミュニティできては消えてですけどそろそろちゃんと評価とか学びを蓄積していかないといけないっすよねー」って言ってたからちょっと考えてみたことをまとめました。
私が学生の頃はインザループというよくわからない(ググっても出てこないから何なのかほんとにわからないんです)場所があって、とりあえず学生が集まる場所があったんです。たまにイベントとかで使わせてもらいました。
将来13LABOもなんかよくわからん場所あったよねって言われるのはまじで癪ですしこうやって文章などに残しておくのって大事だと思うんですよね。
穂と葉チルドレンたちは写真いっぱい残しておいてね。

まあ稚拙ですが書いていきたいと思います。

前提

穂と葉の評価というと正直まだわからなくて、ここで出会った人たちが10年後20年後どうなっているのかというところに価値を感じている人たちもいるんじゃないでしょうか。事象は複雑で計画不能なのであくまで現時点の所感を書いていきたいと思います。私じゃない穂と葉に精通している人が書いたらいいんですが誰もやらなそうなので私が書きました。
私が勝手に書きたいと思って書いた文章で、筋を通すために穂と葉の方の掲載許可は頂いてます。内容については穂と葉の意見というわけではありませんのであしからず。

野暮だなーと思いつつもまあいいや。

評価の話

コミュニティカフェを評価するのは難しいです。札幌市でも行政評価の手法を通してコミュニティカフェ事業を評価していますが店舗数でしか指標を持ってません。(まじか)
場所としての評価とコミュニティマネジャーとしての評価を分けることがまずあるかなと思います。あとは利用者のグラデーションを整理する、その地域の中での役割や地域特有の課題関係性を重視しているか(利用者まで浸透しているか)をインタビュー。その他想定していない生み出された成果は何か?それがどう影響しているか?あたりが評価する所になるかなとざっと思います。ということで以下ちょっと整理しました。

・場所×利用客
ここはよくわからないので私からは言及しません。印象としては同じメンバーがいるなという印象でした。がどうなんでしょう?コミュニティの強度としては強かったですが、弱い紐帯ではなかった印象です。
存続可能なコミュニティの条件に新陳代謝があるというのが持論としてあるのですが高校生の団体が入ってからはその団体経由の若い風が入っていてよかったのではないでしょうか。

・コミュニティマネージャーの手腕
コミュニティマネジャーの最大の使命はコミュニティの存続です。そういった意味では2年で閉まってしまうのは少し物足りない。やめる決断は早いほうがいいのでそういった意味ではいいと思いました。
コミュニティマネジャーと利用客の関係は非常に良い関係であったと認識しています。これは素晴らしいことです。
金銭的に安定させる、学生コミュニティ特有の卒業という入れ替わり、後任をどうするかなども含めてのマネジャー手腕となります。

・地域の中での穂と葉(場所)
札幌駅近くの都市中心部に位置しているため、その町内会やビルの中でのコミュニティはほぼ皆無の印象。
札幌市単位での関わりは少なからずあったと思っています。NHKとの関係や札幌市や地元企業がたくさん関わっている事業(NoMaps)にも穂と葉は密接に関わっていた印象です。

・穂と葉の役割の浸透度
これは穂と葉=居場所であるという意味では満場一致するくらい居場所事業として成り立っていたのでないでしょうか?「ホッとしてハッとする場所」という神のようなコンセプトがそうしているんだと思います。

・想定していない新たな成果
高校生コミュニティ元から存在はしておりましたが、集まれる特定の場所を持つことで、規模多様性ともに拡大してきました。これは穂と葉という場所、マネジャー両方の力量があっての成果ではないでしょうか。
他には、例えば厚真との連携が元々あった中で、震災をきっかけに場所を持と人が集まる強みを活かし、より密な関係につながったのではないでしょうか

あとは穂と葉の場が生み出す偶然性と場所の強みによって発生した成果と呼んでもいい人たちを紹介します。
〇種市さん
→札幌の高校生団体UKARIを設立。NoMapsなどの札幌のイベント企画運営に従事。

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〇蝦名さん
→穂と葉でコーヒーを提供するネオ純喫茶 陸と菫を実施。稲垣さんと一緒に地域のイベントなどに出向き出前コーヒーを提供。2020年2月16日で札幌にて行われるTEDxYouth@SAPPOROに登壇予定。


〇稲垣さん
→蛯名さんと一緒に穂と葉でネオ純喫茶 陸と菫を実施。くらげっきーという自分で作成したお菓子を販売をするようになる。地域のイベントやケータリング事業の際に自作のお菓子を提供。

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彼ら彼女らは穂と葉の場所とマネジャーを最大限活用して自己を表現している人たちでした。本人たちも穂と葉に出会う前の自分からは想像していない生き方をし始めているのではないでしょうか?そしてその変化を一番見ていたのは穂と葉のマネジャーだったのだと思います。
人の人生に見える形で影響を与えるのはその場とマネジャーの力量でもあります。突然の名指しですいません。
彼らは代表的な例で他にもFacebookで知るだけですが主体的に活動を始めた人は数多く、その背景として穂と葉がチャレンジを応援する文化があったから自分の活動を始めることができたという人たちが規模の大小問わず存在してました。

という感じで偉そうに書きましたが(まじですいません)もっと学のある人ならちゃんと整理できるんじゃないでしょうか?自身でコミュニティ持っている人は勉強して自分の所はどんなんかなというのを考えていきましょう。このあたり調べるの楽しかったです。

個人的な穂と葉について

穂と葉というのは「これがいい、こうあるべき」という価値観ではなくて、「これでもいいんじゃね?」という価値観で存在していました。これが穂と葉の良いところであり継続しない理由でもあったと思っています。
往々にしてコミュニティカフェ的なものは金銭的に継続しなくなる傾向があり、大体のところは別に収益事業を持ってこういった事業に手を出します。(それか行政の後ろ盾を持ちます。)
でも穂と葉は特にまあ閉まってもいいやという感覚でやっており、それが色んな人を巻き込めた理由でもあるんじゃないかなと私は思っていました。あくまでこれは外部の人間の考えなので本心はわかりません。

私が穂と葉にあまり関わらなかったのは、私にとっては穂と葉は必要ない存在だったからです。ちょっときつい言葉かもしれませんが、許して下さい。イベントで刺激的な人に出会う必要もなく(本の中にいるし)、居場所は必要なく(家族も友達も仲間もいるし)、誰かに承認される必要もないし。
でも穂と葉に関わっている人にとっては穂と葉は必要なものだったんだと思います。なぜなら人は合理的に判断して意思決定しているから。みんな通っていたのは自らの意志で穂と葉っていいなと思って通っていたんだと思います。そんな場所を作れるのは本当にすごいし、正直憧れも嫉妬もします。そしてなくなるのは寂しく思います。

Facebookに何人も穂と葉なくなって寂しいという投稿を見ました。感傷的になりますね。
穂と葉はなくなりますが、そこで影響を受けた人たちがまた違う場所で穂と葉ではない名前で穂と葉のようなコミュニティを作りたいと言っています。マネジャーが変わるので同じものではありませんが、影響は受けているものと私は見ていてどのような形になるか楽しみです。次に繋がる状態を作ったうえで穂と葉を閉めることができて色んな意味で良いタイミングでもあったんではないでしょうか。(そこは本人に聞かないとなりませんが。)
リアルの場所はなくなっても穂と葉の冠をつけたイベントを行えば懐かしむメンバーがたくさん集まるでしょう。これができるのは良いコミュニティだった証左ではないでしょうか?集まらないイメージはありません。

何かができて、なくなって、また新しいのができてのサイクルに、穂と葉は一つ文化を遺してくれたんだと思います。ヘーゲルが言っているように螺旋階段を上っていけるきっかけになりました。ありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いします、穂と葉さん。

2年間お疲れさまでした!

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最高の笑顔。お別れ会参加できなくてすいません。

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