【鷹平について】
始めまして、鷹平(ようへい)と申します。
この度、自己紹介をさせていただくために自分と向き合い、ひたすら鷹平という存在について考えました。
自分の人生の良かったところも悪かったところもたくさん見えてきました。
今はすべての問題を解消し、自信を持って今の自分を愛する事ができています。
過去の経験が今の自分を形成しているので、全ては起こってよかったものではないだろうか。そう考えています。
簡単にですが略歴をお話させて下さい。
20代後半、東京都港区在住の個人事業主です。
趣味はシーシャ、サウナ、神社巡り、格闘技、お散歩、読書
おじいちゃんとイケイケを合わせた趣味を持っております。中身はおじいちゃん強めなので普段はぼーとしていることが多めです。
仕事は生きづらさの解放カウンセリングとコーチングをしております。
外見と恋愛、生き方を軸として自分に自信をつけ、自分を受け入れられるようになることをサポートさせていただいております。
今回はそんな自分について、辛かった体験も最高に嬉しかったことも全てお話させていただこうと思います。
テーマは「絶望を乗り越え、コンプレックスを自信に繋げる物語」です。
どんなに絶望していても、今を全力で生きていればなんとかなることを伝えられればと思っております。
僕自身、自分の弱さとコンプレックスに向き合うことで外見、顔つきはこれだけ変わりました。僕のようにというのはおこがましいですが、この位人は変われるということを皆様にもお伝えできればと思っています。
1枚目は借金100万円絶望フリーター時代。2枚目はストレスの原因だった仕事を辞め、モテるようになり非モテから開放されたイケイケ時の写真です。
酒で酔いつぶれたチンピラ風から、イキイキした青年に変わりました。顔の生気が全然違います。生きてるって感じがしますね。
では、自分の人生を振り返っていこうと思います。
【因みに、最後まで読んで頂いた方には絶対嬉しい特典を準備しております】
気まぐれで特典が無くなるかもしれないので興味ある方はぜひ最後までお楽しみください。
●目次
・学生時代編、父について
・イケイケの最高潮、留学編
・BLACK企業編
・借金まみれのフリーター時代編
・命をかけた女遊び編
・最終章、覚醒の独立編
・総括~天命について~
【学生時代編、父について】
小学生の頃は基本的に幸せだった記憶があります。
家は裕福ではなく、なんなら貧乏に近かったのですがそれでも両親からの愛をしっかりと受けてすくすくと育ちました。
小中学時代はしんどいことや楽しいことなど色々ありましたが、僕の人生の本当の至難が始まったのは高校生からでした。
勉強ができずに苦労したり、体罰に悩んだりはありましたが人生軸で見た時それは大きな問題ではありませんでした。
高校生の頃は人生の中で1番落ちていた時期でした。
正直、書くのもしんどいのですが、これを読んで救われる誰かがいると信じてここににまとめます。
理由は父との対人関係の中にありました。僕はメンタルが壊れて人格が2つに分かれてしまいました。二重人格です。解離性同一性障害とも言います。
1人は本来の自分、もう1つの人格が暗闇の中1人で泣き続ける小学生の頃の自分です。恐らく、小学6年生の頃に父の怒りを目の当たりにしてあまりの恐怖からできた人格です。
イメージはこの写真に近いです。暗闇の中でずっと泣いています。
もう1つの人格はひたすら負の感情だけがぐるぐると頭の中を回り続けます。
「もう嫌だよ」
「逃げたい」
「怖いよ」
「つらい」
「苦しい」
「誰か助けて、、、」
小学6年生の僕の人格はこの辺りをひたすら唱えています。
父は幼い頃、両親から厳しく育てられたと聞きます。その教育から自分の子供には家を出るまでは厳しくしつけることを決めていました。
擁護するわけではないのですが、父は自分を愛していました。ただ、父は教育の面でかなり不器用で僕はメンタルが弱すぎました。
高校時代の帰宅時間は部活のない日は17時に設定され、実質的に学校終わりに友人と遊ぶことを禁止されていました。
学内では話す友人もいるのですが、遊ぶことを禁止されてしまったストレスでどんどん自分に自信が無くなり、遊べない事自体がコンプレックスになり人と話すのが苦手になっていきました。
「みんなと仲良くなっても遊べないから話す意味ないや。」
「どうせ俺なんてひとりぼっちでいいんだよ」
「遊べないんだから話せないのも普通だろ」
自分は誰とも遊ぶことができない。
遊ぶことができないから話せない。
そう思い込んでしまってからはどんどん学校でも言葉が出なくなっていきました。話に入ろうとしても空気を読めなかったり、意味の分からないことを話して話を途切れさせていました。
そうして自分はどんどんコミュニケーションから離れていくようになりました。
思春期への突入で流石に父の言っていることはおかしいと思うのですが、反抗すると暴力があったので自分の心を押し殺して無になり、言うことを聞き続けました。
いつからか父へは完全に心を閉ざしてしまいました。
今考えてみるとトイレ掃除をしてくれとか、庭の草むしりをしてくれとか大したお願いではなかったのですが、断ると暴力。これは命令。それがかなりのストレスになっていました。
それを繰り返すうちに自分は学校でも家でもほとんどしゃべらない、ずっと下を向いていて声は小さく、目には生気が無くなっていました。
気がつけば父が怒っている時、その対象が自分でなくても僕は泣いてしまうようになりました。僕というか、表に出てきたもう1つの人格がです。
中学時代、部活動の監督からしごかれすぎて学校で先生に怒られても「うるせーな」位しか思わなくなっていた自分が父親が少しでも怒っている時、涙が止まらないのです。
普通に異常だなと思いました。
気がつけば自分でも全く覚えていない行動をしていると言われることが増えました。
父にいきなり土下座をして許してと言い続けたり、気がついたら暗い部屋で泣いていることが増えました。
二重人格とか当時は考えもしなかったので恐怖でしかありません。
土下座の話を聞いた時は最初は自分のことではないと思ったのですが僕がしたと聞かされ、
「え?そんなことしたの?どゆこと?
土下座とかやばいでしょ。するわけないじゃん」
そんな感じでした。それと同時に
「もしかしたら、やったのかな?
やっててもおかしくはない気もする」
と冷静に感じたりもしました。
気が付いたら暗い部屋で体操座りで泣いていた時は
「そういえばさっき親父怒ってたよな。なんで今ここにいるの?てか俺むっちゃ泣いてるじゃん
、、、どゆこと??いつこの部屋来たの?」
「いや分からん分からん、どゆこと??????」
もう困惑です。
途中から自分の心の中に小学生の頃の自分がいることに気が付きました。意識を向けると見えていたのですがその子は暗闇の中で体操座りをしてずっと泣いていました。
記憶に無い時この男の子が表に出てきていることに気が付きました。
原因が父にあると気付いていてもその当時はひたすら耐え続けることしかできませんでした。
大学生になり、実家を離れることで一時的ではありますが父から開放されました。ただ、父が怒った時涙が止まらないという症状にはそれから10年もの間悩まされ続けました。
当時仲良くしていた友人からたまたまですが、この症状を治せるよという人を紹介してもらう事になりました。
自分の1つ年下の女性でしたが、この方には今でも感謝しています。
施術台に仰向きになって特殊な心理療法を受けました。あまり覚えていないのですが、ボーとした意識の中2時間近く施術を受けました。
施術内容は衝撃すぎたので気になる方は僕と会った時でも聞いて下さい笑
終わった頃には身体がすごく軽くなっており生まれ変わったような気分でした。
「今までの暗い気持ちが全くない!?」
「肩がむっちゃ軽いし、頭もスッキリでなにこの感覚、自分やないみたい!」
「俺は何でもできるぞ!こんなに身体が軽いんだからもう怖いことなんてない!もっと自分の為に人生を楽しめる!」
「ふぉぉぉおおおおおおぉぉぉおおおおおお!!!」
「自由だぁぁぁああああああぁぁぁああああ!!!」
自分をブロックしていた全てが解放された感じがしました。変な表現かもしれませんが、本当に新しい人間に生まれ変わった感じがしました。
心にいるもう1人の自分もいなくなっていたのはそこからしばらくしてから気が付きました。
【イケイケの最高潮、留学編】
話は大学時代に戻ります。
高校生の頃、父との関係に悩んだ自分は大学入学と共にひとり暮らしを始めました。
大学では今までできなかった事を埋めるために全力でした。全てはコンプレックスの解消の為に。
コミュニケーション能力を取り戻すために本を読みまくり勉強をしました。基本月5冊位はずっと読んでいました。
サークルに入り、バイトを始め、恋をして、誘われた飲み会は全て参加。音楽にハマりライブやフェスに友人たちと参加。国内旅行も海外旅行にも行きました。3日間ほとんど寝ずに遊び続けるなど、全てが最高の時間でした。
大学時代はほとんどいい思い出しかありませんでした。
大学2年生の頃、海外で仕事をしている父や叔父の影響で留学に興味を持ちました。
「海外での生活かっけえ!おしゃれ!絶対楽しい!」
「もっと遊びまくりたい!」
「BBQ、海、クラブ、酒!女!遊びてえええええ!」
両親には英語を話せるようになりたいからと言いましたが遊びモチベ120%でした。
しかし大学生のアルバイトでは到底稼げない額のお金が必要なので両親に頼み、なんとか留学への許可をもらいました。
ビザの取りやすさや雰囲気、カフェが有名だという点から留学先はオーストラリアのブリスベンという街に決めました。
留学が決まってからは遊びを控え、少しでもお金を稼げるようにバイトをしながら英語の勉強を増やし、全然取れていなかった単位を全力で取得していきました。
大学3年生の終わりに僕はオーストラリアに旅立ちました。留学期間は1年間。
日本を1年間離れ、友人にもその当時いた彼女にも会えないのは寂しかったのですがそれ以上にこれから起こることを想像するとワクワクが止まりませんでした。
オーストラリアでの生活は想像の369倍楽しいものでした。
昼間は語学学校で日本の教育とは全然違う、おもろい授業を受けてその後友達と公園でBBQをしてクラブに踊りに行くなど遊びまくりました。
そんな中、自分の住んでいるシェアハウスに新しく住むことになった女性と恋に落ちました。
彼女は自分の2歳年下で身長は低かったのですが、顔は小さく目は大きい、少し痩せているけど胸はしっかりとある美人な女性でした。秋田美人という感じの日本人の女性です。
最初はシェアハウスに一緒に住んでいるだけでそんなに話はしなかったのですが、クラブでたまたま会って流れで一緒に帰ることになりそのまま真夜中のリビングでS◯Xをして流れで付き合うことになりました。
3ヶ月ほど一緒にビーチに遊びに行ったり、カジノに行ったりとよく遊んでいました。
「これぞ留学や!!最高すぎる!!!」
幸せだなと思いました。
しかし、幸せはそう長くは続きませんでした。
少しずつ喧嘩が増え、一緒に住んでいるのに全然話さない日が増えました。自然消滅のような状態になり気がついたら別れていました。
好きだったので本当にショックでした。一緒に住んでいるので彼女を忘れることもできずどんどん精神が落ちていきました。
彼女は色々な男と遊んでいるのに自分は遊ぶ相手がいない。遊ぶ相手というかS◯Xする相手がいないという状況に更に病んでいきました。
「なんで抱けねえんだよ、俺のどこが悪いんだよ。まじで許せねえ」
完全に余裕がなくなっており自分勝手ながら「怒りと悔しさ」が湧き上がっている状態でした。負の感情に飲まれた余裕も自信もない男がそりゃモテるわけありません。
自分の心の弱さには本当に呆れます。彼女を抱けない状態に病んでしまい鬱病から睡眠障害になってしまいました。
病院には心理カウンセラーを紹介されましたが、何故かプライドが邪魔をして軽い睡眠薬だけもらい、心療内科には行きませんでした。
1日1.2時間しか眠れずボロボロの状態で学校に行き、学校で寝落ちすることが増えました。起きている間もぼーとしてしまい授業には全然集中できませんでした。
周りの友人や仲間は自分の話を聞いてくれて優しく受け止めてくれました。そのおかげで少しずつ回復していき、思考ができる程度には回復しました。
色々考えましたが、友人の支えもあり今の状況を脱却して全てを取り戻す覚悟を決めました。
留学から半年、ブリスベンからシドニーに編入することを決めました。
シドニーに引っ越すとすぐに心は以前のように元気になり、普通に眠れるようになりました。
結局はもしかしたらよりを戻すことができるのではないか、という期待が自分を更に追い込んでいたのだと気付きました。
物理的に距離を置くことでその可能性は無くなり心が一気に晴れました。
また新しい挑戦が始まることに胸が踊りました。
最初はブリスベンにいる頃より友人づくりに時間がかかり、アルバイトを始めたので遊ぶ時間も限られた生活をしていました。それでも時間をかけて笑顔で色々な人に話しかけて、一生懸命話しているうちに友人は増えました。
日本人なのにむちゃノリええし明るいやん!みたいな感じでクラスの人気者になりました。
シドニーでも相変わらずで新しい恋をして別れてが短期間で2度ありました。僕は恋愛体質でした。
今の僕の考え方にも彼女との影響は大きく反映されています。
出会いは語学学校でした。
彼女は自分より5歳年上の女性で、小松菜奈をちょい太らせて顔を大きくした感じです。ぶっちゃけ顔はそんなにタイプではありませんでした。
今までは外見で女性を選んでおり、そこそこ可愛い子と付き合うことが多かったのですが、初めて女性の内面に恋をしました。
その子はまさに’’今’’を生きていました。
次の日朝から予定があっても朝までクラブで踊り、喉が乾いたし疲れたと言って道路の端に座り込んでレッドブルを飲む、痩せたいと言っていきなり断食を始める、自分の欲望に素直で先のことを全く考えない子でした。
今を生きる彼女に人生で初めて本気になりました。留学開始日が違うので長くても3ヶ月しかできない恋でしたが、だからこそ僕たちはいつも一緒にいました。
一緒にビーチで遊び、ファストフードを食べてベッドでお互いを愛し合い何時間でもくだらない話をしました。
しかし、そんな彼女に僕は裏切られました。
ブリスベンで起こったことよりもずっと悲劇でした。が、それは最初から覚悟していたことであった気もします。
学内で開催されたクリスマスイベントで事件は起こりました。
その日は彼女や友人達と話して踊ったり、みんなでお酒を死ぬほど飲みました。
かなり酔っ払ってしまいましたが、語学学校の自分の担任が企画した二次会に彼女と一緒に参加することになりました。
エアビーアンドビーで一軒家を借りて15人位でお酒を飲みながらみんなで話しました。
恐らく1時間程度みんなで話して、その途中で僕は寝てしまっていたみたいでした。
、、、
どの位眠っていたのかは分かりませんが、目を覚ますと隣のソファーで僕の語学学校の担任と彼女がけっこう熱めのキスをしていました。
時が止まりました。完全に思考停止して5秒位2人のキスをただ見ていました。
「???!!?!??!」
「待って、なんで担任と彼女がキスしてるの?」
「いつから?浮気してたの?てか本命はどっち?なんで今?どうして???え???は??????」
自分は怒りと屈辱、悲しさで頭が真っ白になりながらも彼女の名前を呼びました。
彼女は急に呼ばれて驚き、顔を真っ青にして言い訳をしていましたが自分の頭にその言葉は何も入ってきませんでした。
怒りに唇を震わせながら、目からは涙がボロボロと溢れていました。
僕はその場でどっちについていくか決めるように言いましたが、彼女は僕を選んだのでそのまま一緒に帰ることになりました。
僕は浮気されていたみたいでした。
しかし彼女の性格上浮気していてもおかしくないなとも思いました。
今を生きる彼女にとって、この人に抱かれたいと思ったら抱かれる。キスをしたいと思ったらキスをする。それはある意味筋が通っていました。
こんなにひどい形で浮気されても彼女への熱を冷ますことができなかった自分は全てを受け入れ彼女を許しました。
ブリスベンにいた頃より残酷な仕打ちでしたが、彼女はずっとそばに居てくれたのでメンタルが崩れることはありませんでした。
結局この彼女とは留学で帰国する最後まで一緒におり、日本に帰ってもたまに会う関係がしばらく続きました。今はお互い連絡はしていません。
この一件で元々闇が深かった自分は更に闇が深まりました。よく言うと肝が更に座りました。
オーストラリアへの1年間の留学は語学上達以外に人として大きく成長するきっかけになりました。
この経験が無かったらおそらくずっと非モテで女の子に振り回されてきたんだろうなと思います。
1年間の中にどん底と最高潮な時期が何度もあったので明らかにメンタルが強くなりました。
【BLACK企業編】
留学から帰って1年間はアルバイトをしながら大学に通いました。
就活は順調にいき、ベンチャーでしたが社員100名ほどいる第一希望の会社に入社することができました。
合格通知をもらった時は死ぬほど嬉しかったです。嬉しすぎて速攻で家族に連絡しました。
遂に社会人!これからたくさん稼いでもっと人生を楽しむぞ!という心意気でした。
引っ越しをして親から車を譲り受け、新しい社会人生活がスタートしました。夢と期待でいっぱいでした。
同期は20人ほどいたのですがみんな仲良く、この仲間たちとこれから頑張るぞ~とか思っていました。
が、入社初日からBLACK全開でした。
先輩に送る謎の出し物、毎日の読書感想文、入社したら行う全力挨拶、入社初日から全力で怒鳴られる先輩、初日から仕事の量が半端ない環境。
どう考えても地獄でしたが、社会人1年目の自分は社会って厳しいなくらいしか思いませんでした。というか知らなかったのでこんな感じなんだなと思っていました。
厳しくても自分はやりきる。会社の役に立つんだと自分を奮い立たせてけっこう頑張りました。
かなり不器用で仕事を覚えるのは遅かったし、そのせいで毎日上司に怒鳴られて途中から嫌がらせなどもありましたが、たくさんの経験からメンタルが強くなりすぎた自分に恐いものはありませんでした。
毎日怒鳴られる自分を同期は心配してくれましたが、最初のうちはそこまで問題はありませんでした。
「俺ならまだいける。」
「こんなもんじゃない、もっと辛いこともたくさんあっただろ?」
「早く結果を出してもう馬鹿にされないようになってやる」
「こんな職場でも問題ない、大丈夫だ。まだいける、まだやれる!!諦めるな!俺!!!!!!」
「がんばれ!!!!!!」
そう思っていたのですが途中から少しずつ、少しずつ心も身体もおかしくなっていきました。
本当に気がついたらこの状況になっていましたが、それでも会社を続けました。
出勤する時はサンボマスターの可能性を聞きながら自分を奮い立たせて会社に行きました。
ビリギャルの主題歌です。可能性終わらせんなよ〜!てやつです。狂ったようにリピートし続けていました。
入社から3ヶ月で一人目の脱落者が現れました。
毎日泣きながら仕事していた女の子ですが、会社終わりに奇声を上げておかしくなったと思ったらその数日後にひっそりと会社を辞めました。
元バーテンダーのイケメン同期も気がつけばかなり老けており全然イケメンではなくなっていました。
鬱が発覚し会社をやめることになりました。
会社が不当に給料を払わずクビにした先輩がいることに気がついてしまった女の子はその事をネットに書きクビになりました。
その頃僕はというと、会社の倉庫で10人近くがボイコットして一気に消えてしまったのでその手伝いとして倉庫で荷物運びをすることが増えました。上司と仕事をしなくていいので心はだいぶ楽でしたが倉庫の状況も地獄でした。
倉庫の先輩は過労で休みが無く、疲れとストレスから鼻血が止まらなくなったようで倉庫内はいたるところに血痕がありました。
倉庫にいる他の先輩たちも目が死んでいました。
「もう無理かもしれない。」
鼻血を出しながら死んだ目をして仕事をしている先輩を見た時そう思いました。そう思ってしまいました。
既に20人いた同期は半分になり、残った人たちも生気のない死んだ魚みたいな目をしていました。
そんなある日、自分は大きなミスをしてしまいました。今考えると大したことないミスですがミスした人間は潰す文化があったので上司からボロクソに詰められました。
謎でしかないのですが、罰を与える係りの上司が1人おり、私はその人のもとで罰を与えられる事になりました。
その罰はシンプルで、反省文を書いて会社の上司たちに送信するというものでした。本当は会社全体に送るように言われたのですが半泣きになりながら何度も謝ると上司たちだけで良いことになりました。
反省文の内容は僕ではなく罰ゲーム係の上司が考えて自分が書くという内容でした。
鷹平がいかにダメで使えない人間であるかをひたすら書きました。自分で自分の人格を完全否定する文章を一生懸命書きました。
内容は覚えていないのですが、その時の怒りと悔しさは忘れられません。
「この上司絶対許さねえ、何がしたいんだよ、こんな事して楽しいのかよ」
「俺がダメなことなんてもう嫌なほど知ってるんだよ。それでも頑張ってミスしたらこの仕打ちは無くないか?」
「同期にもこんなこと書いたの知られたくない、恥ずかしすぎる。」
「くっそぉぉおおおおおおおおおおおぉぉ」
何故か反省文を送った上司たちには褒められました。よく分かってんじゃんとか、これからだなとか言われましたが気持ち悪いとしか思いませんでした。
その次の月に行った中国出張で上司は高級なホテルに泊まってるのに自分はホテルが用意されず、会社のソファーで1週間程寝泊まりをしました。
自分はそれがどうしても許せませんでした。
日本に帰った次の日の出社日に上司に中国出張での不安を全て伝え口論になり会社を追い出される形でクビになりました。
あっけなく辞める事になったのですが、むちゃくちゃスッキリしました。今後の不安とかはなく、もう会社に行かなくて良いことが本当に嬉しかったです。
「やっと解放された!自由だ!俺は自由だ!!!」
「てか何で今まであんな会社で働いてたんだろ?もっと早く辞めて新しいこと挑戦すればよかったんだよ」
「まあいい、これからだ!まだやり直せる、絶対に!人生まだまだこれからだ!!!」
自分が会社を追い出された事件に便乗してその日に3名が会社を辞めたという話は後日聞きました。
入社してから会社を辞めさせられるまで6ヶ月しか経っていませんでしたが自分的にはよくこれだけ耐えたなという感じでした。
もうその会社とは一生関わりたくないと思っています。
人生これから、挽回してやると思いました。
【借金まみれのフリーター時代編】
辞めてしばらくは土木の派遣仕事で日銭を稼ぎましたが、続けていても仕方が無いので、その後東京のトラック運転の会社にアルバイトで働くことになりました。
家を借りるお金はないので会社の社宅がある条件で探し、雇ってもらえた会社です。
ここから人生更に落ちていきます。
1社目を半年間で辞めてしまった自分には既に20~30万円くらいの引っ越し費用、車検など車関係の借金がありました。
とりあえずはこの借金を返済するためにトラック運転の仕事を続けました。
月収は社宅の家賃光熱費などを引いて手取り16万円ほどでした。
仕事の環境は良くてとても働きやすかったです。
先輩も自分の事を可愛がってくれて飲みにも誘ってもらいとにかく一生懸命働きました。年齢が近い男の子もいたのでよく一緒に遊びました。
前職と比べると天国すぎました。怒鳴られないしやるべきことをすればいい。
ストレスもなく心地よく働けました。これぞストレスフリーです。
そんな生活が続いたある日、僕はちょっとした事故を起こしてしまいトラックのヘッドライトを壊してしまいました。
その修理費として30万円ほどが分割して給料から引かれる形になりました。普通に考えれば保険があるので自分が直接払う必要はないし30万円は絶対おかしいのですがその時は気づきませんでした。
どうやら会社に騙されていたみたいです。
しかもその時と同じミスをまた犯してしまい、借金は一気に100万円近くまで増えました。
今までとは違う意味で人生に絶望しました。
「地元の友達や後輩はちゃんと正社員としてしっかり頑張れている。自分はなんだ?」
「あの頃俺を慕ってくれてた後輩に、ずっと仲良くしてた友達に顔向けできるか?こんな現実誰にも知られたくない。」
「もう逃げたい、、、」
それでもなんとかしなくてはいけません。僕はアルバイトを2つ増やすことに決めました。
1つは薬局、もう1つはバイク配達の仕事です。
そこからの生活は、基本こんな感じです。
配送業が休みの週2日は、薬局で8時間働き続けました。
薬局は半年位で店長と喧嘩してしまいクビになりましたが配送業の仕事は2つとも1年近く続けました。
余った時間は何者かになるために毎朝5時に起きて自己分析を行いました。
その時の状況を知れば知るほど行動していないことが恐くなってしまい、とにかく動き続けました。
自分で稼げるようになる為にプログラミングを勉強してみたり音楽を作ってみたり料理系のYoutubeをしてみたり色々行動しましたがどれも中途半端で1円も稼げずに終わりました。
その気持ちだけで自分はいくらでも頑張れました。人間追い込まれたらやるもんです。
配送業の会社に就職して1年近く過ぎたあたりで借金は返済できたので家賃3万5000円のボロボロシェアハウスに越しました。就活も上手くいき投資用不動産の会社で働くことになりました。
社会人になって初めてマイナスからゼロになることができました。
この時は本当に嬉しかったです。久しぶりに絶望から開放された気分でした
「遂に借金返済したぞ!まじで頑張った俺!」
「これからやってやるぞ!今まで失ってきたもの全部取り返してやる。」
「絶対に自分に自信の持てる、強い男になってやる」
そう思いました。
ここから人生怒涛の大逆転劇の始まりです。
【命をかけた女遊び編】
あれだけ恋愛体質だった自分が社会人になってから全く恋愛しておらず2年近く彼女はいませんでした。
今までは環境的に女性が多かったのでそれとなく出来ていたのですが、25歳で貯金額ほぼゼロ、安い服を着て、肌はストレスと生活習慣で荒れまくっていました。
とりあえず始めたマッチングアプリも全然会えず、その頃1人だけ会えたのですが全然可愛くないポチャな女の子でした。
全く気持ちよくないS◯Xをした後はLINEブロックされて関係は終わりました。
虚しさと悲しさだけが残りました。
「こんなに女性が多い東京で自分は女性と出会えずにひとり寂しく死んでいくのか」
「けっきょく正社員になっても俺の人生あんま変わんないのかな?」
「男に生まれたのに本気で恋愛できないとか辛すぎる、モテない俺が自信つけるとかできるのかな?」
正直、モテるようになるイメージが全く持てませんでした。
平日は朝から夜まで仕事をして疲れて寝る。土日はすることもなくごろごろしていたら終わる。月曜日からまた仕事に行く。その繰り返しでした。
こんなに人で溢れている東京で自分はひとりぼっちでした。
思い返してみると、今まではどんな状況でも何かしらの友達や支えてくれる人はいました。
目標も無くなんとなく生きており、ただただ孤独でした。
「なんとかしよう、なんでもいいから動こう」
そう決意しました。
その当時Youtubeでたまたま中星一番さんという方を見つけました。
この方はその頃ストリートナンパで人生を生きやすくするという内容で発信しており、自分もそのノウハウを学び女性との出会いを増やし金銭的にも余裕を持ちたいと思いました。
気になってしまったらもう動くしかありません
自分を変えるため中星さんに会いに行くことに決めました。
SNSで連絡してストリートナンパの単発講習を申し込みました。
「本当に会えるのかな?SNSで連絡して会うとかやばくないか?」
「やばい人だったらどうしよ?普通に怖いぞ」
「でも!!!俺は変わるんだ!変わらなきゃいけないんだ!!!何がなんでも人生挽回してやるんだ!!」
「俺は人生を変えるんだ!!!!!!」
正直むちゃくちゃ不安でした。ですが実際に会うと意外といい人でした。
ずっとバナナを食べていましたが丁寧にストリートナンパを教えてくれました。なんでバナナなんだろうと思いましたが一生懸命頂いたアドバイスを実践していきました。
その単発講習で人生が変わったというわけでは無かったのですが、その挑戦は自分に大きな自信を与えてくれました。
次に自分はマッチングアプリに目をつけ、ツイッターで色々な人を見て情報収集をしました。
その中で稼ぎながら女を抱くみたいな感じの内容で発信をしていた五十嵐先輩というアカウントにどはまりしました。
五十嵐先輩はその当時20代で不動産会社をメインにいくつかの会社の代表をしており、仕事以外の時間は全力で女遊びをするというどの角度から見ても分かる明らかな成功者です。
自分に持っていないもので大成功してる。
「金と女」かっこいい!!
「俺も金と女で大成功したい!みんなに自慢できる最強の男になりてえ!!!」
とりあえずその当時の五十嵐先輩が出していた中で1番高いnoteを購入しました。
「仕事とマッチングアプリで人生の成功を掴む」という内容でした。
そのnoteの中にTinderの攻略法など詳しく書かれていたのでとにかくそのnoteの内容通り行動していきました。
写真、プロフィール、運用方法全て変えると今まで上手く行かなかったのが嘘かのようにマッチするようになりました。
ただ、デートしても勝てず自分で分析してこれ顔だわと結論づけました。
そこから全力でメンズメイクを学びました。それ以外にも肌や服も気を使うようにして外見改善の為の努力は全く惜しみませんでした。
メンズメイクはYouTubeを見ても女の子に聞いても全然情報が無かったので給料をほとんどつぎ込んで独学で勉強しました。
YouTubeで最低限のメイクの方法を女性のメイクチャンネルから学び、男の肌に合いそうなものや男でも自然に使えそうなアイテムをドン・キホーテで片っ端から購入していきました。購入したコスメを自分で試し毎日ひたすらに研究しました。
そんな事を続けていると気がついたら韓国風イケメンになっていました。Tinderは間違いなく外見ゲームです。明らかにアプリの調子が良くなりました。
メンズメイクを初めて、ファッション、ヘアスタイル、美容など外見全体を気にかけるようになることで1000マッチ超え。毎日20人位の女の子たちとやり取りをして毎日違う子を抱きました。
こんな気持です。もうウハウハです。頂点に立ったぞみたいな気分でした。
普通に脳みそが溶けていました。毎日S◯Xの快楽に溺れていました。
仕事は疎かになり上司に怒られることが増えましたがそれでも死ぬ気で女遊びを続けました。もうそこしか見えなくなっていました。
気がつけば3ヶ月で50人位の女性と関係を持っていました。
この頃は女性と会って口説いて、ホテルに行ってその帰りに違う女性と電話して次のデートの約束をするのをほぼ毎日繰り返していました。
孤独からは開放されましたが、どんなに女性を抱いても自分の中身は一向に成長していないことに気が付きました。
外見はある程度自分で学べたのでここから自分が学ぶべきことは内面的な成長についてでした。
内面的にも、金銭的にも強い男を目指すことを決意しました。
もう人生楽しむしかありません。
【最終章、覚醒の独立編】
投資用不動産の仕事は好調とは言えませんでした。
あれだけ女遊びに全力で仕事をほったらかしにしていたので成果が出るわけはありませんでした。当然です。
恋愛である程度満足できる結果を出せたので次は稼ごうとは思っており本業を本気ですることに決めました。
Tinderを本気でした時の熱量ですれば何でもいけるだろと思いました。
とにかくTinderの時と同じ熱量で同じステップですることにしました。
会社の中で成果を出している人はいなかったのでこれではしょうがないと思い、知り合いにいる同業の社長さんに連絡しアドバイスをいただくようにお願いしました。
色々話しましたが、とりあえず身体を動かして他の人の何倍も動くことに決めました。
とにかく結果を出して稼ぐ。
脳内をそれだけにして土日も出勤し平日は3時間ほど残業を行いました。
女遊びは一旦完全に捨て、全てを仕事の為に動きました。
上手くいくことは少なかったので知り合いの社長さんに毎日アドバイスを頂きながら本気で仕事を行いました。
しかし全く成果が出ないまま、そんな生活が3ヶ月続きました。
自分的にはやるべきことはやったと思っていたのですがここまで難しいんだと思いました。その期間会社で成果を出している人は誰もいませんでした。
ある日いつものように仕事をしていると急に自分は何故この仕事をしているんだろうと考えてしまいました。そこから急に頭が回らなくなり仕事ができなくなりました。
「てか俺なんでこの仕事してるんだ?」
「意味なくない?これを続けた先に何があるの?」
「これだけ頑張って、これだけ動いて結果が出ないんだったら俺には向いてないだろ。普通に違うことした方が良くない?」
「いやもう無理だわ、頑張れん、しんどい、疲れた」
やらなきゃいけないのに身体が動かない。稼がなきゃいけないのになにも成果が出ない。
仕事をすることに絶望してしまいました。
それから仕事には行くのですが全くやる気になれずほとんどの時間をぼーとして過しました。
緊張というか努力しなければならないという糸がプツリと切れてしまったみたいでした。
完全にグレてしまい、会社に行っても外回りしてくると言って筋トレに行ったり帰って寝たりしていました。
普通にバレて給料が無くなり、事実上のクビになりました。
すぐに次の就職先は決まったのですが、あまり熱量が乗らず辞退しました。
その当時Tinder無双の経験からメンズメイクのコンサルを副業としてやっており、月に5万円ほどの収入があったのですが、ここを拡大する為にその当時から親しくして頂いていたトヨトミさんという方にビジネスを教えてもらうことになりました。
トヨトミさんは五十嵐先輩との繋がりで出会った方で一言で言うと超イケイケ経営者です。「男は稼いでなんぼでしょ」「イケてる遊びしましょうよ」みたいなイメージです。自身のビジネスも好調で、この人についていけば間違いないなと思いました。
トヨトミさんに教えていただいたことを実践し、サービスの見直しから始めました。
どのようにして今持っているサービスの価値を大きくするのか、顧客が求めているものはなにか。自分の価値はなにかなど必死に考えました。
会社員時代と同じ位の熱量で命を燃やし、全力でビジネスにコミットしました。
その結果、奇跡が起こりフリーランスになってわずか1ヶ月目で100万円近い売上を作ることができました。
もう嬉しい超えてHAPPYです。
「やったぜ!稼いだ!!遂に!!!あれだけ苦労したけど俺も遂に稼げた!!!!!!」
「よっしゃああああああああああああああッッッ」
「きたああああああああああああああああッッッ」
自分にも価値はあるんだなと思えました。
あれだけ会社員時代に結果が出なかったのにフリーランス1ヶ月目でこれだけの成果が出たのです。
環境ってむちゃくちゃ大事です。付いていく人ってむちゃくちゃ大事です。
そこからは自分と向き合い、顧客と向き合い、幸福と向き合い、ビジネスを続けました。
自分を見つめ直した時に刺激にまだ慣れきれていない部分が多くあったので、内面強化とより強い自信をつけるための色々な挑戦を行いました。
このあたりの修業はやる時は結構しんどいし普通に嫌だったのですが、やり終えた時の満足感もたまりませんでした。
自分のやりたくないことや逃げてしまうことを1つずつ潰していき、自己成長のためにお金も時間もガンガン使いました。
これらは無駄なようにも見えますがこの全てが内面強化した今の自分を形成してくれている大切な経験になりました。
トヨトミさんに教えていただいたことを実践し、1年間全力でビジネスを行いフリーランス1年目から年収1000万円までなることができました。
コンプレックスだった貧乏も乗り越えることができました。
2022年も半分が終わりましたが、これから自分はまだまだ新しい挑戦を始めていきます。
【総括~天命について~】
最近、天命についてよく考えます。
いきなり天命とか言われても恐いわ、なんやねんと思う方もいると思いますが要するに「人生単位で成すべき目標」のことです。
なぜ生まれたのか。何をするために生まれてきたのか。生まれた目的とは。
みんな何かしらあると思います。生まれた目的。人生単位で成すべきこと。
そこに気がついた時、初めて今本当にするべきこと、乗り越えるべき壁が見えてきます。僕に起こった困難は、全て乗り越える強さを手に入れるためにあったのだと思います。
この乗り越える力、乗り越えたからこそのエネルギーは誰かの役に立って初めて活かされます。
天命を見つけることで自分は過去の自分に与えたかった、1番のもの「自分を好きになること、自信をつけること」を多くの方に届けたいと思いました。
自信という名のゴールのために一緒に心を燃やしましょう。
長かったと思いますが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
この物語があなたの挑戦するきっかけ、勇気になればこれ以上嬉しいことはありません。
まずは少しずつでも行動していきましょう!
あなたが挑戦するための
"自信”に繋がりますように。
鷹平
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?