正しさを楽しく追い求められるのか

「なにが正しいのか」は、心の内に問いかけても、全然、わからない。

「なにが楽しいのか」は、心の内に問いかければ、なんか、わかりそう。

だから、ぼくはいつも、「正しさより楽しさ」について真剣に考えるようにしています。

心の内に問いかけて、わからないことは、深く考えないようにしました。

自分の人生を、どんな人たちと、共有していきたいか悩んだときに、

「正しさでつながった仲間」

より

「楽しさでつながった仲間」

と生きる方が、ワクワクすると思ったからです。

こう言うと、正しさと楽しさがトレードオフのように聞こえるけど、全然そんなことはない。

ただし、正しさを追求する行為の中に楽しさを見いだすのは、とても、難しいと思います。

正しさも、楽しさも、どう頑張っても主観の域を出ないのなら、ぼくは、楽しさを優先したい。

嘘をつくことの醜さとか、貧困の上に成り立つ幸福とか、そういった、わかりやすい事柄を、正しさという言葉を使わずに語りたい。

そして、正しさを追求しすぎて、がんじがらめになってしまう、心のきれいな人たちとこそ、ぼくは、楽しさを共有したい。

まず、なによりも、自分の存在を受け入れること。そして、自分が何を楽しいと思うのかを、自分に問いかけ続けることが大切なんじゃないかと思います。

楽しさの追求は、楽しい。

山脇、毎日。