捨てられたモノに悲しい目を向けたくない

今週末9(日)、鎌田安里紗さんと一緒に、鹿児島でトークイベントを開催します。

「こころを満たすモノの循環」を考えよう!鹿児島発グローバルリユースの現場から

イベント前日には、鹿児島でリユースやリサイクルをグローバルに行おうとしている株式会社エコミットにお邪魔し、消費者が廃棄したモノを整理する現場を体感してきます。

(エコミットについてはこちら)

先月岡山で行った2泊3日のスタディツアーは、「こころを満たすモノの生産と消費を考える」でした。

今回は生産と消費から一歩踏み込んで、消費のあと、"廃棄"や"循環(リユース・リサイクル)"に目を向けたいと思っています。

「考えよう!」と呼びかけ風になっているのは、「こころを満たすモノの循環とは」という正解のない問いについて、みんなで一緒に考えたいから。

満たすべきこころは1人1人の中にあって、自分だけが、きちんとそれに向き合うことができる。自然環境に負荷をかけずに作ったモノを好む人もいれば、生産工程で誰も泣かないモノを好む人もいる。

丁寧な接客で売られたモノを好む人もいれば、自分がカスタムしたモノを好む人もいる。

自分にとって、どんなモノの手にし方が心地いいのか。それを考えることは、すなわち、モノが作られて売られて買われて捨てられてという、大きな大きなサイクルの中に、どう自分を位置付けるか決めることなんだと思います。

買い手として向き合うとき、まずは自分のこころを満たすことを前提に考えてほしい。「考えすぎた結果、買い物がつまらなくなった」「何も買えなくなった」そうなってしまうのが、ぼくは1番悲しいです。

逆に、「何も考えず買ってしまった」「とりあえず買っておいた」というのも、同じように悲しい。デザインでも、コスパでも、どんなことでも、自分がそれを選んだ理由がある方が、ぼくは素敵だと思います。

みんながモノを買うときに、自分のこころを満たすことを何より大切にすれば、きっとそれは売る側にも、作る側にも、良い影響を与えるし、大きな大きなサイクルに好循環を生み出すきっかけになると信じています。

作られたけど誰の手にも渡らず捨てられたモノ、手に渡ったけどしばらくしてすぐ捨てられたモノ、とびきり愛されて寿命を迎えて捨てられたモノ。

いろんな捨て方があるから、「捨てる=悪い」とは思いたくないし、「捨てる=終わり」だとも思いたくない。

「捨てる=始まり」になるような、また誰かのこころを満たすきっかけとなるような、素敵な循環を少しでも作れたらワクワクするし、作れるように努力したい。

ぼくは、鹿児島で目にするだろう、捨てられたモノたちに、悲しい目を向けたくない。温かな目でもって、歓迎したい。

まずは、自分が素直に受け入れられるのか、そんなところも楽しみな週末になりそうです。

山脇、毎日。