マスターから学んだ2つのこと

季節ごと、約3ヶ月に1度、必ず訪れる場所があります。ぼくが大学に入学したのと同じ2012年にオープンしたお店で、今年で5年目。定年まで勤め人だったマスターと素敵な奥様2人が経営する、暖かい雰囲気に包まれた喫茶店です。

大学1年の夏からほんとうに3ヶ月おきくらいに行っていて、さいしょはそのことにも気づいていませんでした。1年くらい通ったころにようやく、そういえばいつもマスターと季節の話をしていることに気づいたんです。

変な言い方ですが、いつもそこのことを覚えているわけじゃなくて、季節が変わった時に、自然と思い出す。なので、逆に言えば行きたいと思った時には必ず行っています。

「いつぶりでしたっけ」マスターと交わすさいしょの、このひとことに時間をかけたくて、あえて、いつ訪れたかの日付は記録していません。

記録していないから二人とも、前の記憶をあれやこれやと引っ張り出して、「あの日は暑かった」とか、「確か混み合ってる時間だった」とか互いに言いあうのです。

「事実」より「想像」から始める会話の豊かさを、ぼくはマスターから学びました。

季節のこと、家族のこと、地元のこと、街のこと。マスターと交わす会話は、言葉だけを取ればありふれたものなのかもしれません。でもその会話は、次に会うときの2人のために必要で、むしろ、そのためだけに話しているのです。

日常の中で「なにかをはっきりさせる必要のない時間」というのは、さいしょに訪れた4年前からずいぶん減っていて、とても貴重になってきています。

常連として店に貢献しているわけでもない自分が、「そうだ、あそこに行こう」と思い立ち、訪れれば、必ず営業している。そして、マスターはいつもと同じ笑顔を見せてくれる。

そんな居場所があることがどれだけ幸せなことか。

「いつも」より「たまに」だからこそできる店の愛し方を、ぼくはマスターから学びました。

山脇、毎日。