SNSが変える消費

月に一度Facebookに投稿される近況や報告、毎日Instagramに投稿されるランチの写真、1日10回Twitterに投稿される感情の吐露、。SNSの普及が進む中で、それぞれが棲み分けをはかり、特色を見せるようになっています。

というより、それぞれのSNSが一般に浸透していく中で、勝手に棲み分けされた。という方が正しいでしょうか。すべてのSNSが同時多発的に誕生したわけでも普及したわけでもないので、あくまでユーザーの側が発信する内容を使い分けることで、次第にそのSNSの空気感や仕様も最適化していったのでしょう。


どんな投稿が”伸びる”のか

Facebook、Twitter、Instagram、ぼくもよく投稿するこの3つのSNSには、それぞれ多くのフォロワーを抱える人たちが存在します。その人たちは各SNSの特性をよく理解し知名度を獲得したか、もしくはSNS外での知名度を持ち込んでいる人たちでしょう。もちらんどちらか片方というわけではなく、相互に関連し合うことでもあります。

この特性をうまく捉え、伸びている(FBならいいね!シェア、Twitterならリツイート、ハートなど)投稿というものを考えてみると、「そのSNS投稿をするために事前に行動をとる可能性があるか」という点において、これら3つの中に違いが見られることがわかります。

Twitterでは「うまいこと言った」投稿が伸びたり、Facebookでは「感動する」投稿が伸び、Instagramでは「オシャレ」な投稿が伸びる傾向にあると思います(実感値かつ主観で恐縮ですが)また、さきほどの多数フォロワーを抱えるような人が持つ”タレント力”によって伸びていく効果はここでは一旦除いて考えます。


SNS投稿を前提とする行動

このように整理した上で、FacebookやTwitterが過去や今の経験を編集することにフォーカスしているのに対し、Instagramはむしろ、未来における投稿を見据えることにフォーカスしているのではないかと考えているのです。

つまり、「SNSにアップするために写真を撮ったり思い出をつくる」といったときの"SNS"とは、いまでは Instagramが担っていると思います。(世代によってはFacebookが担う場合もあると思いますが、こと、若い世代においてはInstagramが主役となっているでしょう)

「インスタにあげるためにオシャレなカフェに行く」「インスタにあげるために友達とBBQする」など、似たような経験はだれしも一度はあるのではないでしょうか。

SNS投稿を前提として行為を決定する人が多いということは、いいかえれば、行為の決定に対してそれだけSNSが強い力を持っているということであり、とくに消費を通じた人間の行動を簡単に変えてしまいました。


ファッション無くして自己表現はありえなかった

とくにSNSのこういった側面はファッション業界に大きな影響を与えたと考えます。ファッションというのはこれまで、いわば”自己表現”の一種でもあり、「自分は他の人とは違う」ことのアピール=差別化という大きな役割を果たしてきました。

他者と違う着こなしができることや高価な洋服を所持することがステータスであり、裏を返せば不特定多数の人間に対して、ファッション以外で自分をわかりやすく差別化することはできなかったと思います。

そういった状況がインターネット・SNSの発達で大きく一変しました。"セルフブランディング"といった言葉もあるくらい、いまや人々はその消費行為や体験、生き方を発信することを通じて自己表現を行っています。そこではファッションの役割は相対的に薄まり、食やレジャーや友達づきあいも、差別化のツールとしてみんなにみせびらかすことができるようになったのです。

こういった発信を前提とする時代において、世の中に消費されやすいものはなんなのかを考え、そしてそれを踏まえて、ものづくりの人間としてどういったものを生み出していくべきなのか。むずかしいなぁと思います。

山脇、毎日。