理想を実現するために現実を受け入れよう

札幌で一番あつい場所、「ゲストハウスwaya」「ゲストハウスyuyu」へ行ってきました。

札幌は昨年11月以来の3ヶ月ぶり。今回も滞在中にyuyuでトークイベントをさせていただき、多くの方と熱い夜を一緒に過ごせて嬉しかったです。

トークの中盤ころ「理想と現実のギャップ」についての話になり、「理想と現実のギャップに苦しんだことあるか」という質問に対して、ぼくは反射的に「ない!」と答えました。

それは本当に苦しんだことがなかったからなのですが、「なぜ?」と聞かれると全然うまく答えられない。そこで苦しんでいなかった理由を考えることになり、そこからのトークは半ば即興的に進んでいったのです。

まず、「理想と現実のギャップに苦しむ人」を考えたとき、ぼくは最初に「高すぎる理想を掲げる人」をイメージしました。理想が高すぎるから、現実がちっぽけに見えて、苦しんでしまうんだと。

それはそれで一理ある気もしますが、高すぎる理想を掲げても楽しそうにやっている人は周りにもいるし、なんだかこの理由はしっくりこない。ギャップの大きさは問題じゃないという結論に至りました。

そこで、今度は現実の方に目を向けます。

そもそも「理想を持つ」という素敵な行為は、「現実とのギャップを認識する」という行為とセットだと思います。理想自体が現実とのギャップなのですから、ある意味当然と言えるでしょう。

ここで考えたいのは、「現実とのギャップを認識する」のと、「現実とのギャップを受け入れる」のは違うということ。この「受け入れる」という行為が簡単なようで難しいんじゃないかと。そう考えました。

理想と現実のギャップに苦しんでしまうのは、現実を受け入れられないから。「本当の自分はこんなもんじゃない!」といつまでも本当の自分を探し続けるのは、体力的にも精神的にもとてもハードだと思います。

ぼくは、本当の自分はいまここにしかいなくて、それも今日、明日でどんどん変わっていくと考えています。その解釈で現実を肯定も否定もせず受け入れているからこそ、理想とのギャップに苦しまないのかもしれません。

現実を否定するというのは、さっきの「本当の〜!」に近いと思いますが、逆に、肯定するというのは「満足している」と言い換えてもいいでしょう。その意味でぼくは現実を、現実の自分を全く肯定していません。

うまく言葉に表せないのですが、本当に泣く泣く現実を受け入れているのです。「現実なんだから仕方ないよね」と。でも、この「仕方ないよね」は、すなわち「このままでいいよね」というわけではないのです。

受け入れた現実に全く満足せず、「もっともっとこうしたい」と、つねに理想に近づけたいと思っている。

この、理想に近づけたいと思う気持ちを持続させられたら、毎日がめちゃくちゃ楽しいと思っています。だから、このままでは、よくない。

気持ちを持続させないと、いつまでも理想に近づきません。だから、現実を受け入れる。現実を否定してしまえば、ギャップに心が折れてしまう。現実を肯定してしまえば、歩みが止まってしまう。

楽しく理想を実現するためには、楽しい理想を描くよりも、まず現実を受け入れることの方が大切なんじゃないかと。

札幌で一番あつい場所、yuyuのイベントが、そう教えてくれました。

山脇、毎日。