買ったあとも、ちゃんと売られて

もし、悩んで悩んで悩んで、やっと決断して買った、自分にとって安いとは言えない、大切にしていきたいと思ったモノが、あとから粗末な売られ方をされているの目にしたら、ぼくはとても悲しむでしょう。

お金で買えるモノの中には、「愛着が湧くモノ」と「愛着が湧かないモノ」の2種類があって、ぼくは、自分では前者の方を売りたいと思っています。

もちろんどちらが優れているというのではなくて、どちらもあって当然。一個人として両方持っているのが自然な状態だとも思います。

ただ、今の時代は、新しいモノを買うだけでなくシェアできるようどんどんなってきて、実際、家(空間)も、車も、洋服も、したければ簡単にシェアできる。

自分が「愛着が湧かないな」と思ったモノに関しては、シェアしてしまった方が身軽にさえ感じることもあります。

ぼくは、昔から、どうしても家電に愛着を持てなくて、今も、電化製品で「これ!」というのを所有していません。

それは、家電自体が「愛着の湧きにくい性質のモノだから」というわけではないでしょう。お気に入りの家電を持っている人はたくさんいると思います。

性質も関係なくて、多分、買う時の値段も関係ない。あるとすれば、「買った後」なんだと思います。

ぼくが買ったシチュェーションではなくて、むしろ、その後。値段がめちゃくちゃ下がったり、とても雑な売られ方をするようになれば、いままさに自分が持っているそのモノへの愛着も、すぅっとなくなるように思います。

モノにあふれたぼくたちは、選択肢に恵まれ、買い方も吟味できるようになりました。「コストパフォーマンス」しかり、「自分への投資」しかり。

生活を豊かにしてくれるモノに対して納得いくお金を払うという行為に、本質的に善悪はないはず。ただ、もし自分がお金を出して買おうとしているそのモノが、

今後大切に愛着を育てていきたい、できればシェアしたくないモノなのであれば、そのモノ自身が「これからもきちんと売られ続けるのか」という判断基準を取り入れていいのかもしれません。

逆に言えば、モノを売る側にとって、それをいつまでも大切にしてもらいたければ、「売って終わり」だと思わないこと。

どれだけ低価格で高品質なモノを提供したとしても、今ここ、の自分は常に判断され続けているんだと、気を引き締めた方がいいでしょう。

ぼくがデニムを売っていてよく聞かれる質問に、「簡単に壊れるモノを作った方が儲かるんじゃないですか?」というのがあります。

この質問自体は何も間違っていなくて、ビジネスの仕組みとしては、本当にその通りだと思います。

質問者は続けます。

「愛着持ってもらいたいなんて、キレイごとじゃないですか?」

「そんなんで本当にやっていけるんですか?」

これも、何も間違っていません。

ぼくは、この3つの質問を否定しようと思ったことは1度もありません。

単純に、いまこれだけコストパフォーマンスの高い洋服にもあふれているなかで、「壊れやすいモノを安く作って大量に売る」方向でやっていけると全く思えないのです。

身の回りの、すべてのモノがシェアできるようになって、ではなく、身の回りの、すべてのモノをシェアしたいと思うようになって、はじめて、ぼくらのような業態は役目を終えます。

「愛着を持つ」=「捨てない」ではありません。「愛着を持った捨て方」があるから、古着という業界も存在します。

愛着を持っても小さな経済は回ると気付いたとき、ぼくは、少し勇気が出ました。

山脇、毎日。