理解の先に応援があるわけではない

EVERY DENIM共同代表のぼく・山脇と、弟・島田(苗字は違いますが実の兄弟です)は、普段、離れて暮らしています。

島田は4年前、2013年から岡山に。ぼくは5年前の2012年から茨城県つくば市に住んでいます。

EVERY DENIMが生産をお願いしているのは、岡山県にある工場がほとんど。なので、役割分担としては、島田が工場の方々とのやりとり、つまり「ものをつくるまで」

ぼくはその先の「ものを届けるまで」を主に担っています。(もちろん完全にはっきり分かれているわけではありませんが)

昨年9月に開催した無印でのPOP UPを除いて、基本的にはぼくが直接、対面で接客させていただいてきました。

無印良品での期間限定SHOPオープン|山脇、毎日。|note(ノート) 

ぼくの役割は、来てくださったお客さんに、EVERY DENIMを「きちんと応援してもらえる」ことであって、けっして「きちんと理解してもらう」ことではありません。

この2つは似ているようで全然違う。応援と理解は互いに必要な条件ではなくて、「応援なき理解」も成り立つし、「理解なき応援」も成り立つと思っています。もちろん「理解ある応援」も存在します。

もちろんベストは「理解ある応援」。EVERY DENIMのことをよくわかってくださった上で、デニムを手にとってもらう。それほど嬉しいことはありません。

でもその次に目指すのは「理解なき応援」です。究極的には「お前らのことよくわからんけど、なんか応援するわ」でも良い。「応援なき理解」はむしろワーストな状況だと考えています。

必ずしも理解の先に応援があるわけではないということ。理解の先に必ず応援があると思ってしまうと、応援してもらえないのを理解が足りないせいだと思い

自分の説明力をあげること、または情報の開示や透明化だけに固執したり、果ては、「お客さんの理解力が足りないからだ!」という話になってしまうかもしれません。

商品がコモディティ化した結果、自国の産業がなくなってしまう。それを憂うなら、もう、待ちのスタンスではいけない。

理解されようとすると、どうしても、選んでもらおうという意識が強くなってします。そうではなくて、応援してもらおう、ぼくたちEVERY DENIMがしていること、これからすることに、一緒に参加してもらおう。

小さいことかもしれませんが、そんな心構えが大切なんじゃないかと思っています。

山脇、毎日。