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ビー玉になった日②(夏〜秋)

留学中に起こった具体的なことについて、今改めて文章にまとめ直すのは容易なことではない。過去の経験の解釈は、今の自分の状態によってころころと変わるから、今僕が留学中に起こったことについて語ることは、それが起こった当時の新鮮さをすでに失っている(それは「留学前に考えていたこと」でも同じだ)。ある非日常的なイベントがほかを遥かに凌駕する衝撃を持っていたと考えることもできれば、逆に日々の些細な出来事こそが僕の変化のベースにあって、それこそがここで取り上げる価値があると考えることもできる。言ってしまえば、僕が明日とか昨日この文章を書いていたら、書く内容もかなり違っていたかもしれない。せめて僕にできるのは、そのような記憶と解釈の揺らぎを抵抗しようのないものとして受け入れつつ、なるべく幅広い揺らぎの可能性を考慮して、昨日や明日の僕に対しても中立的な記述をすることだと思う。
前置きが長くなるのは僕の悪い癖なので、ここらで具体的なことを書き始めようと思う。多少前後しつつではあるが、概ね時系列に沿って書きたい、書くべきだと思ったことを書いていく。思い出深い写真も添えて。

夏〜秋

留学初日のことはよく覚えている。はじめてスウェーデンの街に降り立ったときの感動は忘れがたい(「思ったよりちゃんと北欧っぽい!」)。それから、ちょこまかとトラブルがあった。最も萎えたのは、最初の2週間を過ごすことになるホステルの部屋のドアのキーパッドに指定されたコードを入力してもドアが開かず、管理会社に電話して対応をお願いしなければならなかったことだ。初日のばたばたを終えて疲労困憊でやっと宿にたどり着いただけに絶望感は甚だしく、さらにいきなり慣れない英語で電話のコミュニケーションを取らなければならなくなり、かなりストレスを感じたのを覚えている。でも一方で、すべてを自分でなんとかしなければならないことに、言いようのない解放感や身軽さを感じていたことも覚えている。「自由だ!」と叫び出したくなるような気持ちだった。

ホステルがあったルンドに隣接する都市マルメで留学初日に撮った写真。ヨーロッパ風情あふれる風景を前にして、留学に来た実感が湧いてきた。

最初の2週間のオリエンテーションウィークは怒涛の勢いで過ぎていった。ルンド大学は留学生へのサポートが基本的に手厚く、毎日何かしらのイベントで予定が埋まっていた。友達づくりに勤しむ周囲の留学生のモメンタムに押されて、僕も新しい人間関係の構築に精を出した。何も予定がない日は、街に出てちょっと散策をしたりするだけで、何か目新しいものに出会えた。
英語は思ったよりなんとかなるかも、と多少の自信が持てた。海外の長期滞在経験はなかったので決して流暢に喋れるわけではないが、短い英語でなんとかコミュニケーションは取れる。リスニングは最低限何とかなる。思ったより英語を使って人と心を通わせることもできるかもしれない。そう思った。
スウェーデン語のクラスで出会った子たちと仲良くなった。それぞれシンガポール、オーストラリア、カナダから来ていた。「グループ」みたいなものができて安心したしそれなりに楽しかった一方、一日小旅行に行ったときに全然英語で複数人での会話に割り込めなくてちょっと自信を失ったりした。それでも、この子たちとは気があって、長く交流が続いた。

9月のはじめ、仲良くなった人たちと小旅行に。

ルンドの街に慣れることはそれほど難しいことではなかった。比較的小さい街で、自転車が1台あればたいていどこにでもいくことができた。留学の始まった8月から9月にかけては夏の勢いがまだ十分残っており、日は長く、天気は基本的にとても良かった。旧市街の石畳の道路はスーツケースを引いて歩くには少し骨が折れたけれど、なんとなく想像していたような「北欧風」の可愛らしい家々や街並みは僕の心をときに高揚させ、ときに癒してくれた。街のシンボルである大聖堂の中に入って椅子に腰掛けると、キリスト教徒でもないのに心が落ち着く感じがして、そこはルンド生活初期の一休みポイントになった。大学のホームページで初めて見て目を奪われた大学のシンボルの建物や図書館は、実際に訪れてみるとより色鮮やかで感動的だった。大学の授業は日本にいた頃よりもかなり数が少なく、僕が最初にとっていた国際法の授業がたまたま講義中心だったこともあって、ストレスにはあまりならなかった。

ルンド留学初期にとった街の一角。北欧風の可愛らしい建物にテンションが上がった。
大学のシンボル的な建物。ホームページで最初に見て憧れた場所に立った。

9月からはルンドの寮に引っ越して、寮生活が始まった。寮は10人ほどが一つの単位で、一つのキッチンをシェアするその単位は「コリドー」と呼ばれていた。1学期目のコリドーはとても静かだった。パーティーをやるような雰囲気はあまりなく、キッチンで会った人たちがときおり短い言葉を交わす程度だった。もっとも、ゆったりとした時間を過ごしたかった僕にとってそのコリドーの雰囲気は好都合だった。毎週のようにパーティーをやっているようなコリドーも建物の中にはあって、そのような場所に当たらなくてよかった、とつくづく思った。ただ、隣の部屋のスウェーデン人とは仲良くなった。落ち着いた、どちらかというと内向的な人だったが、日本が好きで、アニメからいくらかカジュアルな日本語を学んでいたりもした。部屋に3Dプリンターがあって、はじめて部屋に遊びにいった日に3Dプリンターで自作したマリオに出てくるキノコのストラップをプレゼントしてくれた。僕の1学期目のコリドー生活は、時たまその友人と話す程度で、概ね静かに過ぎていった。

留学中10回くらいお世話になったサウナ。またの名をエデンの園。海に向かって突き出した桟橋の先にあって、水風呂の代わりに海に飛び込む。初めて行った時の衝撃は計り知れなかった。

9月からはルンドのサッカークラブにも入った。サッカーは大学に入ってからずっとご無沙汰していたが、スポーツは海外で友人を作る良い手段だと考えていたし、単純に何かしらの運動をしたかったので、サッカークラブを見つけて入ることはルンド生活が始まる前から決めていた。チームは半分ほどが留学生だったので浮くことはなかったが、アジア系の人は少数派で、ヨーロッパ系のチームメイトは皆それなりにがたいが良くスキルも思ったより高かった。特に最初は英語でのコミュニケーションにも苦労したこともあり、あまりチームに受け入れられているとは感じられなかった。有り体に言えば、少し舐められていると思うこともあった。どう考えてもパスを出したほうがいい場所にいるのに出してくれないとか。ただ、仲が良くなく実力も未知数の人に積極的にパスを出したいとは思えない気持ちは理解できた。だから、僕の方から積極的にコミュニケーションをとりにいく努力はある程度した。あとは「実力で認めさせる」しかなかった。特に最初のころは練習に行くのが億劫な日もあったけれど、異国の人々とボールを蹴るのは純粋な楽しさがあった。「言葉を介さなくてもコミュニケーションが取れる」というやつだ。

サッカークラブの集合写真。写真自体は留学末期に撮ったもの。最後の頃はわりとチームの人たちとも打ち解け、試合にも出られるようになってとても楽しかった。

ルンド生活になれてしばらくした頃、僕はアコースティックギターを買った。留学前から「何か新しいことをはじめてみたい」と思っていたし、音楽は昔から好きだった。ピアノが好きだったけれど、さすがにお気に入りのピアノをはるばるスウェーデンまで持ってくることはできなかったし、ルンドの街の中にも気軽にピアノを弾けそうな場所はちょっと見つからなかったのだ。とにかく僕はギターを買って、暇なときに弾くようになった。

ルンド生活を共にした相棒。

国際法の課題の5,000単語のレポートをカフェに缶詰めで書き上げたあと、10月の前半にはフランスのパリに行った。(旅行は本当にいろいろなところに行ったけれど、全部書いているとそれだけで大変な量になるので、自分にとって大事だった旅行を、大事だったところだけに絞って、書こうと思う。)パリに対しては人によっていろいろな評価があるけれど、僕は素晴らしい街だと思った。パリは街そのものが凛としていて、訪れる人に背筋を伸ばすように促す力があると感じた。パリに留学している友人にも会いに行ったのだが、彼女も僕の尊敬する人の一人で、そんなパリの性格をある意味で体現しているような人だ。留学が始まって2ヶ月ほど経ち、精神的な中だるみが顕著になってきた時期だったこともあって、パリには「気合を入れ直せ」と言われた気分になった。

パリは美しい街だった。

気合を入れ直して毎日きちんと朝ごはんを作り、部屋のインテリアにも凝ってみるようになったのは僕にある程度ポジティブな影響をもたらしたものの、全体として10月から11月はうだつの上がらない日々が続いた。睡眠の質が悪いことは日本にいた頃から抱えていた問題だが、それが改善しないどころか悪化したような感じになり、起きても半分目は覚めていないみたいな状態の日々が続いたりもした。考えはまとまらないのに、頭は常に何か考えたがっていた。自分の思考を整理し、トラッキングできるように、自分だけが見るメモ帳のようなものを作り、ことあるごとに自分の思考や悩みを垂れ流すようにした。その頃に自分が何を考えていたかがそれなりにはっきりとわかるため、そのメモ帳はこうやって今留学中のことを文章に起こすときもかなり参考にしている。とにかくこの時期は10ヶ月の中で最も「うまく行っていない」感が強かった時期だと思う。

この時期通い詰めたパン屋さん。とても優しい店主のおじいさんと仲良くなった。

そんな時期の中でも大事な経験をとった。11月の初旬、Lund Innovation Challengeというアイデアソンのようなイベントに参加した。スタートアップ的なビジネスに対する興味は尽きていなかったし、コンフォートゾーンを抜け出すにはちょうど良いレベルの機会だと思ったからだ。実際、レベルは高かった。僕の振り分けられたグループの他のメンバーは年上の経験豊富な人たちで、もちろん英語も流暢だった。僕は彼らの議論やアイデアに必死についていくしかなかった。それでも食らいついた結果、彼らには少なくとも足手まといよりはましな存在として認めてもらえたと思うし、僕の英語力や異文化コミュニケーション能力も一定上がったと思う。経験値が上がった、成長した、と明確に感じられた。また、そういった種類のビジネスに対する自分の適性に疑問を抱くなど、具体的なキャリアについて考える上でも示唆的な機会だったと思う。

Lund Innovation Challengeのチームメンバーと。

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