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ビー玉になった日⑤(振り返って/これから)

10ヶ月を振り返って

これで、ルンドを拠点とした僕の10ヶ月については大雑把にだけれど語り尽くしたと思う。ここで、改めて振り返って、10ヶ月の生活が僕にどのような変化をもたらしたのかをまとめておこうと思う。

「何者かであろう」と(以前よりも)しなくなった

何よりも、これが大きな変化だと思う。

実はこの表現を思いついて腹落ちしたのは留学から帰ってきたあとなのだけれど、その価値観の変化は留学中からゆっくりと起こっていたのだろう。

以前の僕は今より「何者かであろう」としていた、というのは、僕にとってはかなり納得のいく表現だ。「何者かである」というのは、つまり不特定多数の誰かや社会にとって重要な人間である、ということだ。特に大学に入って以降、人間関係に恵まれ、いろいろと尊敬するところの多い友人に囲まれていたこともあり、僕自身自然と「誰かにとって重要な人間でありたい」と思うようになっていた。また、将来的にどのように社会に貢献したいか、と考えるときも、その出発点は「社会に求められる人間でありたい」ということだった。それはもちろん部分的には良いことであった。それまで自分が自分にはめてきた「どうせ自分はこんなもん」という足かせにとらわれず、自由に可能性を思い描き、より大きな人間であろうと志すことができた。

ただし、当時の自分には大事なものが欠けていた。それは「自分は何をやりたいのか」という思いに素直になることだった。どれだけ大きなことで、不特定多数の他者に求められることであったとしても、それを等身大の自分が本当にやりたい、と思えていなければ、それは自分がすべきことではないのだ。仮に無理して取りかかったとしても、自分の中に燃料がなければやり遂げることはできないのだ。僕はそのことを忘れがちになっていたのだと思う。あるいは、他者や社会に求められている、ということと、自分がやりたいと思っている、ということを混同しがちになっていたのだと思う。他者に求められていること=自分がやりたいこと、では決してないのに。

何かに求められている状態というのは、その外部からの要請に素直に従っていればいいから楽なのだ。逆に、誰から要請されるでもなく自分の意志にのみ基づいて行動するというのは、誰に言い訳することもできないから結構大変なのだ。そして僕はすべての行動の責任を自分で負うことを怖がっていたから、外的な要請に従うことに無意識に甘えていたのだと思う。結果として、僕は自分基準ではなく他者基準でものごとを考え、「誰かにとって」重要な自分であろうとし続けてきたところがあった。身近な友人にとってであれ、不特定多数の顔の見えない人々にとってであれ。それが「何者かであろうとする」、ということだった。

でも、それはそれで修羅の道であることは間違いなかった。まず、どれだけ人に求められ称賛されれば「何者かである」と言えるのか、わからない。おそらくその努力には終わりがない。上に登れば登るほど遠ざかっていくタイプの天井だ。さらに、結局それが等身大の自分にとって本当にやりたいと思えることでなければ、持続的なモチベーションは湧いてこない。どこかの時点で燃料切れになってしまう。「やるべき」なのはわかっていても、心底「やりたい」とは思えない。僕が留学前までに感じていた「いきづまり」は、そうやって説明すればとても納得のいくものだった。

かたや、スウェーデンの人々は「何者でもない人間として」生きることがとても上手だった(便宜上思い切って一般化してしまうが、もちろん個人差はある)。地味に大きなカルチャーショックだったのが、いわゆる「エッセンシャルワーカー」に数えられる人たちの働いている様子に余裕や温かみが見られたことだった。スーパーのレジ係の人からバスの運転手に至るまで、つまらなそうに仕事をしている人を見ることは少なかった。日本でよく見るようなお客様対応用の他所行きのスマイルではなく、パーソナルな親密さをたたえた笑顔で接してくれた。ほかのお客さんと雑談をしていることもあった。「仕事」という観点ではもっとも「何者でもない」彼らが、むしろその仕事を楽しんでおり、特に不満を抱えているように見えない様子はとても新鮮に映った。

また、その余裕のためだろうか、ちょっとした注意書きやなんかに遊び心が見受けられるのもなかなか好きだった。洗濯室の忘れ物置き場には「あなたの大好きなセーターがここにありますように!今日はあなたのラッキーデーかもしれません」と書いてあった。日本だったら「忘れ物置き場」と一言書いて終わりな気がする。コリドーの点検や世話をしてくれる女性も素敵だった。毎週点検に来るたびに、ライフハック的な名言が書かれた小さな紙を冷蔵庫に貼り付けていく。ばったり会うととても気さくに話しかけてくれる。退去日に部屋の点検をしてもらったときは楽しげにこう言っていた。「今日も何件も部屋の点検があって忙しいわ。でも2週間後からバケーションがあるから、それまでに頑張るの!もし私が今サボってて、他の人に全部押し付けちゃったら良くないでしょ?」

そのような人々の態度は何に起因するものなのだろうか。そもそも人々の態度に関する僕の見立てがどれくらい妥当かわからないし、もし仮にある程度妥当であったとしてもその要因は文化的・歴史的に複雑なもので簡単に説明できたりするものではないだろう。ただ、10ヶ月をスウェーデンで過ごす中で、その大きな要因について僕の中である程度納得のいく答えは見つかった。それは、①仕事外の過ごし方を重視していること②日常的で些細な人との付き合いを大切にしていること、である。

1つ目——仕事外の過ごし方を重視していること——について。余裕や温かみを感じる人は、自分のアイデンティティを仕事だけに依存していない。仕事と同じかそれ以上に家族や友人関係を重視し、それらに時間を割くことを惜しまない。だから、仮に仕事が最高のものでなかったとしても、それで他者と比較して一喜一憂したり、プライベートの時間を捨ててまで社会的地位の高い仕事に就こうとはしない。

2つ目——日常的で些細な人との付き合いを大切にしていること——について。多くの仕事のモチベーションの少なくない部分が「誰かのためになること」なのだとすれば、別にそれは仕事を通じてでなくても達成できる。日常生活において、家族や友人、通りすがりの見知らぬ人のためになることをすればいいのだ。もちろん仕事よりも規模は小さい他者貢献かもしれないが、逆に日常的な他者貢献は特定の誰かを対象としているために確かな肌感を伴っている。それに、それは替えの効かない、その人自身にしかできない貢献の仕方だ。

これが僕の捉えたスウェーデンの人々の生きるスタイルの特徴であり、日本との違いだ。かなり一面的な見方になっているのは否めないが、僕に強い印象を与えた部分を抽出するとこんな感じになる。

留学生活を送る中で、何人かのスウェーデン人に教えてもらったスウェーデン語の単語がある。Lagom(ラーゴム)。”Not too much, not too little”と説明された。やり過ぎもせず、やらなすぎもせず、ちょうどいいくらい。日本語だと「適当」に似たコンセプトだろうか。ひとつの物事にひたすらに打ち込むのも悪くはないけれど、価値ある生き方はそれだけではない。人生のいろいろな側面に満遍なくスポットライトを当てて、バランスよく全体的に人生をデザインする。そういう姿勢は今まで自分に欠けていたし、大事な考え方だと思った。
それに、夢を持ってそれを追うこととLagom的な生き方は必ずしも二者択一ではないと思う。夢を持って仕事に打ち込んでいたら温かみと余裕のある生き方ができない、とかその逆ではなく、うまく人生の舵をとってそのときそのとき自分にとって最良だと思える選択をすれば自ずとそれらは両立できるのではないか…?

とにかく、そういうスウェーデンの空気に影響を受けて、「何者かであろう」という僕の意識はわりと鳴りを潜めた。代わりに、いろんなことを「自分のため」に考えるくせがついてきたように思う。キャリア選択も、もちろん他者貢献という要素は大事だけれど、第一に「自分のため」になっているかを考えるようになった。他者貢献というのは考え詰めると欺瞞のように思えてくることもあるし、実際自分のしたことがどれだけ本当に「誰かのため」になっているかはわからない。それに、なるべく自分の内側にモチベーションがあったほうが安定していて、自分を見失わずに済むように思われるのだ。

もちろん、このあたりの価値観はかなり流動的なので、遠くないうちに全然違う考えを持つようになることもあるだろう。今記しているこの考え自体も、ここまでしっかり持つようになったのは留学後だったりする。その前はもっと岡本太郎的な「幸福なんざ生温い。人間が求めるべきなのは歓喜だァ!情熱を迸らせて爆発しろォ!」にひどく共感していた時期もあった。僕が上に書いたことと完全に矛盾しているようにも見えるが、僕は今でも岡本太郎には共感している。岡本太郎もLagomも僕は好きだし、それらはなんらかの方法で両立できる…と期待している。

その他の諸々の変化

・海外大学院への進学のモチベーションが高まった

将来の進路やキャリアについての思考は流動的だからここで何かしら宣言することはできないけれど、率直に、海外大学院に進学したい、という思いは留学を経て強まった。理由はいくつかある。コリドー、授業、サッカークラブなどで日常的に大学院以上のアカデミアに所属している人たちと関わる機会が増え、大学院という存在が身近になったとか、自分が現在学部で勉強していること(だが正直あまり興味が持てていないこと)ではない分野でも、直接海外のマスターに応募できる可能性が十分あると知ったとか。

でもいちばんの理由は、海外のマスターで勉強したいと思える具体的なテーマが見つかってきたことだろう。今現在は具体的にはパレスチナの社会について人類学的なアプローチで研究することにはとても興味があるし、それピンポイントではなくても途上国開発・紛争解決あたりのテーマを人類学的に深掘る分野には十分モチベーションを感じられそうだと思っている。そして、ただなんとなく「海外かっこいい」「日本飽きた」という動機だけではなく、そういったテーマを追求するための最適な場所として日本以外のどこかが自然とリストアップされるようになってきた。まだ具体的にどこを目指すかは決まっていないけれど、ヨーロッパに帰ってきたいと薄々思っている。

それでいうと、海外大学院の選択にあたってプログラムや教授をベースに選ぶことが大事なのはもちろんだが、国や街が自分にフィットしているかも考慮することの重要さも実感した。それは、前述の「キャリアだけではない」的生き方に共感したことにもつながっている。確かに海外のマスターに行くとしたらその第一の目的は勉強だけれど、自分の人生は勉強だけで構成されるのではなく、むしろそれ以外の生活がその大部分を占める。そうやって人生を全体的に見たとき、自分が自然体のありたい自分でいられることはとても大事であり、それが満たされるかどうかは自分が住む街や国に少なからず左右されるはずだ。

・いろんなことが当たり前じゃないと考えるようになった

これはいろんなレイヤーに当てはまる。まず、両親に対して前よりもしっかり感謝するようになった。ルンドには、日本人だけ見てもさまざまなところからきたさまざまなバックグラウンドを持っている人がいて(もちろん同じときにルンド大学にやってきた、という意味である程度の類似性はあるけれども)、それは僕が今まで教育を受けてきた環境の同質性に比べれば多様だった。日本人という共通項があるからこそ、違いも見えた。そういうことから、僕がこれまで満足に高いレベルの教育を受けて、今普通に大学に通えていて、留学に来させてもらって、ほとんど好きなだけ旅行をしたりできることがどれだけ当たり前でなくて、どれだけ自分の努力の賜物なんかじゃないのかということを考えるようになった。そして今まで自分がどれほどそういうことに無頓着で甘えた人間であったかも。そんなわけで家族には前よりも感謝の念を抱くようになった。

それから、パレスチナをはじめとしたさらに大きく異なる世界を見たことも大きかった。パレスチナでは、僕にとって当たり前すぎて頭をよぎりもしなかったことが当たり前ではなかった。毎晩、安全でそこそこ楽しい明日が来ることを疑いもせずに眠りにつけること。学校に行けること。好きな道を通って、好きな場所に行けること。部屋の鍵を閉められること。それらの、人間生活の基礎の基礎である部分が、パレスチナで生きる人たちにとっては不安定だったりした。今はパレスチナから帰った直後ほどには毎分毎秒そのことを意識していられるわけではないけど、きちんと時おり思い出して自分が当たり前に生きていられることに感謝したいと思う。

・Open-mindedになった(?)

これはある程度間違っていないと思う一方で、クエスチョンマークがつく。間違っていないと思うのは、実際に留学開始時よりも人と(特に英語で)コミュニケーションを取るのを恐れないようになったと思うからだ。授業で隣の席の人に話しかける。旅行でホステルの同部屋の人に話しかける。お店で店員さんに気軽に質問をする。そういったことが気軽にできるようになった。間違えることが怖かったり、相手の反応が読めなくて不安だったりして話しかけることを渋っていた最初の頃からすれば、コミュニケーションを取りに行く障壁は下がったと思う。

一方で、それは別にOpen-mindedになったからではない気もする。そもそも内向性とか外向性は割と生得的なもので、10ヶ月程度では変わらない気もする。そして、コミュニケーションを取りやすくなったのは、異邦の地でのコミュニケーションのマナーに慣れたからであったり、間違いをいちいち気にしていると英語が喋れなくなるので間違いのリスクに対して鈍感になったからというだけな気もしている。あるいは、性格が変わったというよりは、より表面的にコミュニケーションを取る「スキル」が身についたという感じもする。まあそれはそれで十分価値のある変化だとは思うんだけれど。

これから

留学を終えての、次のステップ。
とりあえず数日後から、タイで行われる大学のサマープログラムに参加する予定だ。コペンハーゲン大学とUCバークレー校が主催しているプログラムで、テーマはざっくり言えば人類学×開発だ。つまり僕の興味のかなりドンピシャだったのだ。プログラムの情報を見つけたのがちょうど僕がその分野に対してある程度強い興味を持ち出した時期だったので、申し込まない理由はなかった。留学が終わって、日本ですることもなく、何もなければだれてしまいそうな時期なので、ここでもう一段階ギアを上げられるのはちょうど良い。同じような分野に興味関心を持つ他国のハイレベルな学生たちと出会い、親交を深められるのも楽しみだ。

そのあと、短期的に何をするかは何も決まっていない。メインは海外マスター進学に向けてのプランを立てたり、そのための一歩目としての学部の卒論について考えたりするかなと思っている。学部の卒論は現在の所属学科とマスターの進学先の両方に関連づけたテーマで書く必要があるので、内容をきちんと練らないといけない。自分の関心のあるテーマそのものについてごりごり書いてみたいという野望はあるけれど、どれくらい実現可能なのかはまだわからない。

中期的には十中八九海外マスターを目指すことになるだろう。場所や深堀りたいテーマなど決まっていないことは多いけれど、大まかな道筋は見えてきたので、これからはよりピンポイントで自分が次に進むフィールドを見定めるフェーズに入っていきたい。

長期的には、わからない。マスターを卒業したあとは、一度働きたい気もする。ずっとアカデミアに残り続ける自分というのはあまり見えていない。実践の世界に身を置く時期があったほうが、人生長い目で見ても楽しめそうな気がする。でも先のことすぎてわからない。それなりに長期的なことについても考えて情報を仕入れながらも、あまり考えすぎずにいても良いのかなと思う。


これで一通り留学の振り返りは終わりです。最後は備忘録的な、味気ない文章になってしまいましたが、自己満足に任せて書き連ねた文章でもあるので悪しからず。。読んでくださった方、ありがとうございました。

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