見出し画像

ビー玉になった日④(春)

3月の末から4月の頭にかけては、去年まで本屋を一緒に運営していて当時アイルランドに留学中だった友人と一緒に少し長めの旅行に行った。僕に『シーシュポスの神話』を紹介してくれた友人だ。目指す先はモロッコのサハラ砂漠。ポルトガルやスペインを経由して、ジブラルタル海峡をフェリーで渡り、さらに夜行バスを乗り継いで一路内陸を目指すエキサイティングな旅だった。ラマダン中のモロッコは異国情緒に溢れていた。安いホステルをはしごする中で、いろいろな人や場所との出会いを経験した。一つ一つの出会いは濃密で、ここには書き切れないけれど、それぞれの出会いが目新しく、ときには衝撃的で、確実に僕の世界は広がったと思う。

ラクダに乗って大砂丘の真ん中にあるキャンプに向かい、そこで1泊。時間によって変幻自在に色を変える砂漠の風景はとても幻想的だった。

イスラエル、パレスチナ 、モロッコ、とヨーロッパのすぐ外に広がる世界を経験したことで、徐々に僕の中であるテーマに対する興味が湧き起こっていた。宗教だ。日本では自らの宗教性について顧みることはほとんどないけれど、世界の違う場所ではこんなにも「神」を信じることや信じないことが大きな意味を持っている。ほとんどの争いや平和は宗教なしで考えることはできない。そもそも人間にとって歴史的に「宗教」は欠かせなかったものであるはずであり、「人間を知りたい」と思ったときに宗教について知るというのは非常に本質的なのではないか、と思うようになった。
宗教の中でも、自分の体験を踏まえて特にイスラム教やユダヤ教に関心を抱いた。未知のものに対する好奇心が最初にあった。それに、キリスト教を含めたこれらの宗教が、ユーラシア西部をはじめとした世界全体でなぜこれほどに強い影響力を持っているのかを知ってみたいと思った。折りよく取っていたユダヤ教・キリスト教・イスラム教の関係について学ぶという授業はとても面白かった。ほかにも、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に行ったり、スウェーデンのシナゴーグ(ユダヤ教寺院)を訪ねて礼拝に参加してみたりした。

モロッコのマラケシュのホステルで撮った集合写真。母国に見切りをつけて脱出してきたロシア人や、日本のルーツを持つベルギー人などたくさんの興味深い出会いがあった。旅の出会いは一瞬だけれど忘れがたい。

また、その関連で、イスラエル・パレスチナ問題にもピンポイントで強い関心を持つようになった。イスラエルとパレスチナに旅行から帰った当初の衝撃の大波が去ったあとに、より持続的な興味のうねりがやってきたという感じだった。イスラエル・パレスチナ問題に関しては、もちろん宗教も大きな役割を演じているが、それ以外にも政治・社会・文化・歴史的な諸々の要因が重なっており、それらを総合的に考えることに興味が湧いた。なぜ人はこれほど簡単に互いを憎み、傷つけあえるのか。そんな中でも誰かが誰かを許し、愛そうと決めることができるのはなぜなのか。そういった問いに向き合うことはとても有意義なことに思えている。
以前から人類学に興味があったこともあり、人類学的なアプローチでイスラエル・パレスチナ問題について考えることはできないかと思っていた矢先、ルンド大学にまさにそれを実践している先生を見つけた。人類学者で、実際に何度もパレスチナに足を運び難民キャンプでフィールドワークを行ってきたような先生だ。強く興味を持ちメールを送ると快く返信をくださり、実際にお会いして話をお伺いすることができた。優しいけれど、芯の強そうな先生だった。同じような研究をしたいと思ったら何から始めればいいのか、フィールドワーク先のコネはどうやってつかめばいいのか、など、詳しくお話をお聞きすることができ、自分が中期的に取り組みたいことの解像度が少し上がった。

Valborgという4月末に行われるお祭り。伝統的には冬に使っていた農具やなんかを焚き火にくべて初夏の到来を祝うらしいが、このときはまだまだ肌寒くて初夏なんていう気分ではなかった。こういうローカルで温かみのある行事を半現地人として経験できるのが長期留学の良いところ。

5月、ルンドには春がやってきた。長い冬と、心を決めかねるかのように暖かさと肌寒さの間を揺れ動いていた季節の変わり目を耐えたあとの、待ち望んでいた本格的な春の到来だった。初夏の到来を祝う4月下旬の祭りを終えたあともしぶとく居残り続けた冬の空気は、5月のなかばのある日気付くと跡形もなく消え去り、代わりに穏やかな春の陽気が小さな街に静かな高揚感を生み出していた。街のところどころに植えられた桜の木が花を咲かせ、チューリップがボタニカルガーデンを彩った。春の訪れを確信したリスが再び人間の前に姿を見せるようになった。いろいろな種類の鳥が控えめで透き通ったさえずりを響かせていた。冬の間はつたが絡まった廃墟にしか見えなかった大学図書館は、今やその壁のいちめんが緑で覆われ、れんが造りの赤と混ざり合って健康的な美しさを取り戻した。

緑が壁を覆い、本来の美しさを取り戻してきた大学図書館。

街全体が冬にまとっていた古い殻を脱ぎ捨てて遠くに放り投げてしまったみたいに、春から初夏のルンドは冬のそれとはまったく別物のようだった。太陽は街とそこに生きるものたちすべての上に惜しみなく降りそそぎ、海岸から吹いてきていた肌寒い風はぴたりと止んだ。気がつくと夏至が近づいており、太陽は夜遅くまで沈まなかった。街を歩く人々の笑顔も心なしか柔らかくなったようだった。冬の間彼らがどこにいたのか不思議になるほど、たくさんの人が街の小さなカフェやレストランのテラスでくつろいでいた。ボタニカルガーデンはパラダイスの様相を呈しはじめていた。若い学生たちが平和なピクニックと日光浴を楽しみ、年老いたカップルはゆったりと散歩をしていた。一人でやってきて読書にふけるのにも最適な場所だった。人と人、人と街の関係のすべてが穏やかで活動的な調和の中にあった。夏と冬、2つの明確に区別された季節の無限の繰り返しは、そこで生きてきた人々の集合的精神にある種の不文律を植え付けたようだった。僕も、無意識のうちにそのルールの切れはしを受け取り、人々と同じように穏やかに思考し行動することを志向するようになっていた。

ボタニカルガーデンのお気に入りの場所から。

春がやってきたことは、留学生活が終わりに近づきつつあることも意味していた。僕は少しずつルンドでの生活に別れを告げる準備を始めた。10ヶ月近く相棒を務めてくれていた自転車やギターを売り、ありふれた景色の写真をたくさん撮った。コリドーメイトたちとも、別れに関する話題が多くなった。6月初旬にヨーロッパに来てくれた母との10日間ほどの旅行を終えると、はやくもルンドでの生活は残り1週間を切っていた。

旅行で母親と。家族との関係性を良い意味で再考するきっかけにもなった。

最後の1週間は、結果的にルンドで過ごしてきた時間の中でもっとも思い出深いものとなった。最後に会っておきたい人々と会い、行っておきたい場所に行き、やっておきたいことをやった。数人の日本人の親友と、コリドーメイトたちが僕の限られた人間関係のほぼすべてだった。特にコリドーメイトたちと過ごした最後の2日間は忘れられない。彼らは「君が行きたいところについて行くよ」と、僕がしたいことをすべて実現しようとしてくれた。僕らは、学生たちが学期を終えてルンドから離れて行くことを哀しむかのように久しぶりに降った夕立が止んだあとに、ロンマビーチに赴いてはじめて綺麗な日没を見た(ロンマビーチは特筆すべき何かがあるわけでもない、大きくも小さくもない普通のビーチだけれど、どこかニッチな聖地のような憎めない魅力を持っていて、ルンドの学生たちに愛されていた)。

出発の日に僕を見送ってくれた日本人の友人たち。精神的にキツかったときをはじめとして、留学中はとてもお世話になった。
ロンマビーチで、コリドーメイトたちと。良い写真。

次の日、ルンドを発つ前日には、ボタニカルガーデンに繰り出して1週間早いミッドサマーのパーティーをした。夏至の頃に行われるミッドサマーのお祭りに参加できないのをとても残念に思っていたから、僕がいるうちにお祭りの雰囲気を一緒に楽しむことができてとても嬉しかった。ボタニカルガーデンでピクニックをするのも、僕のバケツリストの最後の項目だった。たまに土砂降りの雨が降ったけれど、それも楽しかった。素敵な手紙やプレゼントもいただいた。寮に帰ったあとは、疲れて寝落ちてしまった人たちを除いて折り鶴を折って、遅い時間までいろいろな話をした。彼らとの距離が縮まって安心してコミュニケーションを取れたというのもあるだろうけれど、英語で複数人の会話に混ざったり冗談を言ったりするのもあまり苦にならずできるようになっていて、改めて成長を感じた。最後の2日間を通じて彼らとはより距離が縮まったと感じられたから、ここで別れを告げなければならないことは正直とても寂しかった。けれど、やりたいことはすべてできたし、後悔もない今がお別れをするには適切なときだとも思っていた。何より、ルンドの街や人々が大好きだと思って別れられることが幸せだった。そもそも別れがなければ、彼らとこんなに向き合うこともなかったのだ。

前倒しミッドサマーパーティー@ボタニカルガーデン。

ルンドを発った日はさすがに涙を禁じ得なかったけれど、個人的にはとても良い終え方ができたのではないかと思う。ルンドでの生活は、すべての伏線が見事に回収されたミステリー小説みたいに、僕の中で綺麗に完結した。締め方が綺麗だったから、今のところ僕の中で続編を求める声は高まっていない。

寮を出発するときは、コリドーメイトたちがみんなで見送りに来てくれた。

そのせいもあるのだろう、ルンドでの生活が僕にとって非現実的に感じられるのは。それは留学前後の自分とゆるやかにつながりを持ちつつも、それ自体で一つのはじまりと終わりを持ち、完結した世界になったのだ。それはビー玉の表面のガラスくらい明確な境界を持っていて、その内側に直接手を触れることを許さない。僕にできるのは、ときにそのビー玉を取り出して、その透き通ったガラスごしに、内側に保存された記憶のかけらを様々な角度からためつすがめつ眺めて懐かしむことだけなのだ。でも、そのビー玉に浮かぶ文様は一度として同じことはないだろう。僕がそれを取り出す人生のタイミングによって、それは違った色彩を見せるだろう。僕がその中に見るのは、純粋な過去の記憶ではなく、それを見る未来の自分の反射なのだから。未来の自分がそのビー玉の中に何を見出し、それにどんな意義づけをするのかはわからない。けれど、そのビー玉が未来の僕を励まし、寄り添ってくれるものであることを、僕は信じている。

出発の日の朝にとったポラロイド。後ろのソファにみんな座っているのだが全然見えない。そんな不完全さも愛せる1枚。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?