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映画「母の聖戦」

監督:テオドラ・アナ・ミハイ

〜メキシコ北部。夫と別居中のシエロは娘のラウラと2人で暮らしている。
ある日ラウラが犯罪組織に誘拐されてしまい身代金を支払っても帰されず、警察も取り合ってくれず、シエロは自力で調査を始め娘を探し続ける。

"母の聖戦"って邦題とチラシやポスターのビジュアル見ちゃうとスティーブンセガールばりのアクション映画かと勘違いされちゃいそうで。それが客足に影響出るならばもったいない。

メキシコは年間で推定6万件!も誘拐事件が起こってるらしく。犯罪組織にとって誘拐はビジネス化してるという衝撃。そんだけ発生しちゃうと警察も対応しきれないって悪循環なのでしょうか。必死に娘を探す母シエロと対照的にあきらめが早い父グスタボの態度は父母論じゃなくてメキシコだと家族の反応も分かれがちってことなのだと思います。

私。公開の数ヶ月前にチラシを手に取った時からかなり気になって楽しみにしてました。なんせプロデューサー陣が大変豪華!ダルデンヌ兄弟+クリスティアン・ムンジウ+ミシェル・フランコ。カンヌ常連監督の彼らがこぞって製作に名を連ねてテオドラ監督を支援しとる、そら気になりますよね。で鑑賞前にその辺の情報を検索して読んじゃっておりました。
テオドラ監督は10代の頃サンフランシスコで暮らした時期があってメキシコルーツの友人が何人かいてメキシコは身近に感じる国だった。で映画監督になってからメキシコ出身の脚本家に現代メキシコの闇深さを聞いて当初ドキュメンタリーで暴力が蔓延る同国社会と若者を描こうとした。その取材中にミリアム・ロドリゲスさんと出会いフィクションとして映画化する方向に舵を切るんですね。ドキュメンタリーで撮れる限界とフィクションの方が主張が正確に伝わると判断してのこと。
今作の主人公シエロのモデルはそのロドリゲスさん。彼女の実体験を基に映画製作する最中、ロドリゲスさんは犯罪組織に殺害されてしまうんですね。なんとも痛ましい。3人の著名すぎる監督達がどの時点から参加したかまでは分からないけど、ロドリゲスさんの物語を世に出したいテオドラ監督の執念に共鳴したのは確かだろうな、と。

ここまで鑑賞前に情報に触れちゃうのは稀なんでちと不安もありました。
舞台裏を読んでしまって〜鑑賞→ガッカリパターンだったらどうしよう?火サスみたく都合良い演出で説明クサくて音楽とかダサかったら目も当てられんぞ!と。
そんな不安は杞憂に終わって良かったwお見事に想像を超えてきました。
ただの母の復讐劇にしなかった本が特に秀逸。極限状況の人は時に道を外れガチ、被害者と加害者の境が曖昧になる。シエロも事件に関わる人々も身を守るためだったり自分なりの正義を重んじるあまり非人道的な行動も厭わなくなってしまう。正義って何かね。カボチャです。菅原文太です。

脱線しましたすいません。シエロの戦いの先に何が待っているのか。実際の結末は知ってるので映画はどう着地するんか。したらですね、、背中にサブイボ出ました。なるほどこのラストシーンをどう捉えるか。解釈は見る人に委ねられます。
私は嫉妬しました。嫉妬。自分がこのラストを脚本で書いた人だったとしたら撮影中モニター見て泣いたかもしれないなと。エディターはオフライン編集でつないだ時に泣いたかもしれないなと。書いた通り解釈によるので「そんな意味のラストですかね?」と意に介さない方いらっしゃると思います。それはそれでいいんじゃないすかね。私は嫉妬したの。スクリーンの中ではこんなシーンを映してロドリゲスさんやラウラに捧げることができる。想いを馳せたり、母子が幸せに生きれるメキシコであってほしいと願える。
素晴らしい仕事ですテオドラ・アナ・ミハイさん。


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