秋空の下、異国の隣人を想う〜ロヒンギャ支援に立ち上がった活動家の来日によせて〜
都内の朝の通勤電車は相変わらず憂鬱だが、その日は朝から雲ひとつない秋晴れで清々しかった。しつこい残暑もようやく重い腰を上げたらしい。
さわやかな風渡る気持ちの良い朝とは裏腹に、乗客ひしめく通勤電車内は息苦しく、ぎゅうと押し付けられた車窓から外の世界へと逃避を決め込んでいた。間もなくすると(これもまたいつものことだが)、「運転感覚の調整のため・・」というアナウンスが流れ、電車が線路上で止まった。
ふと、キラリとした光が目に入り、ぼんやりと眺めていた外の世界に光源を探した。その光は防音壁の向こう側に顔をのぞかせている薄い青色のドームが抱く尖塔の光だった。黄金色の尖塔が、秋の空に柔らかくクリアな光を反射していた。
モスクだ。ドームが描く曲線となめらかな光が美しい。こんなところにモスクがあるなんてその瞬間まで気づかなかった。この東京の真ん中に祈りの場があり、自分たちの暮らしの様式とともに日々を営んでいる人がすぐ隣にいることにハッとした。
--- 数日前にある女性に出会った。Wai Wai Nu(ウェイウェイ・ヌー)さん。ミャンマーの少数民族ロヒンギャ族の女性であり、国内で迫害を受け祖国を追われた同胞の支援にを訴える活動家だ。
ミャンマー西部、バングラデシュと国境を接するラカイン州(アラカン)にロヒンギャの人々は暮らしていた。ウェイウェイのお父さんは彼女の母のふるさとであり美しいアラカンの景色に魅せられ、その地で暮らすことを決めたという。国民の大多数が仏教徒のミャンマーにおいて、ロヒンギャは少数派のインスラム教徒。ロヒンギャの人々は第二次大戦から度重なる民族、宗教対立に翻弄され、自国で弾圧、迫害を受け、土地を追われさまようことを余儀なくされてきた。今ではミャンマーの国民と認められず、バングラデシュや他国で難民として過酷な生活を強いられている。
ウェイウェイのお父さんは民主化を掲げるアウンサンスーチー氏に共感し、その支援をしていた。そいてあるひ、その父とともにウェイウェイ自身もある日突然投獄され。実に7年もの時間を刑務所で過ごすことになったという。投獄された理由があるとしたら自分たちが「ロヒンギャ族である」ということだけだと。人としての尊厳を奪われ、劣悪な環境で過ごした7年もの歳月・・想像を絶する話に言葉がなかった。
2012年に釈放された彼女は私のような想いをする人を二度と出さないという信念から立ち上がった。
現在彼女は来日中。ロヒンギャの現状について、日本ができることについて訴えている。ぜひ一度彼女の話に耳を傾けてみてもらいたい。
日々が目まぐるしく過ぎていく。
目の前のことを懸命に生きることで我々は精一杯だ。
けれども、ときおりふと顔を上げ、今目の前にあることのその先や裏側や奥底にあることに想像力を働かせる時があっても良いのではないか。
今の当たり前の暮らしと地続きな場所で、涙を流す人がいて、痛みを抱える人たちが息を潜めているかもしれない。
ウェイウェイはこのように言ってくれていました。
「ロヒンギャの人たちがきちんと生活できているのか、日本に住むロヒンギャたちに思いを寄せていただくことも、平和につながる支援です」
ふとした時に、身近にいる隣人への想像力を持とう。
秋晴れの空の下、みんな繋がっている。
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