読書メモ: 自然経営
F・ラルーによるTeal組織の登場以来、自律分散型の組織のあり方についての議論を頻繁に耳にする。そして、各所での様々な議論の中で概念的な理解は徐々に浸透してきているのかなと思うけれど、いざ自分の組織で実行しようとするとこれがまあ全然うまくいかない。
本書はTeal組織という言葉が世に出るずっと前から、組織のあり方を模索し、実直に行動し、自らを何度も変容してきたダイヤモンドメディア社の武井代表がたどり着いた、そして今なお実践的に探究を続けている「自然経営(じねんけいえい)」の実践知が詰まっている。
実践知でありつつ、Teal組織が世界的にも様々な文脈で実証実験中のコンセプトのため、正解が書いてあるわけではない。またさらに、組織の変革に取り組んだ経験がない人が読んでも、書いてあることと世の中のほとんどの組織のあり方が乖離しすぎていて、正直ピンとこないと思う。
自律分散型の組織で重要な要素は「情報の透明性」、「力の流動性」、「感情と境界の開放性」。とにかくこの3要素の純度を高めていくことで機械的ではなく、生成と消滅が同時に起き、自己組織化する生命のような組織=自然な組織になっていくという。
さてこのTeal組織、本書では何度も触れられるのだが、誰にでもフィットする組織のあり方では決してないという。事実、武井氏の組織やTeal組織への変革支援をしている企業では、その組織のあり方(ひいては個人のあり方)に合わない人がどんどん会社を去っていくという。
共著者でフロー経営を提唱する天外伺朗氏は「実存的変容」後の人間でないと合わないだろうという。※これは姉妹書の「ザ・メンタルモデル」に詳しいです。私自身、役員を務めていた企業の組織を生命のような組織にしたいと息巻いてチャレンジし、残念ながら変革をやりきれなかった経験とリンクする点が多く、当時のことを思い出しながら何度も頷きながら読んだ。
自社の変革では次のような点でうまくいかなかったと思う。今後の学びとして記しておく。
力の流動性を高めることが出来なかった。というか自分が手放せなかった。
目指す組織のあり方がぼんやりとしか描けていなかったため、抽象度の高い話に終始し、社内で共感を醸成出来ずトップダウンで進めてしまった。
Teal組織というのは上下がないフラットな組織。徹底的に情報の透明性を高める必要があるのも、情報の非対称性が生み出す権力構造を解体するためだ。にもかかわらず、役員であるという権力を持ったまま、その影響力が持続した環境で組織変革を進めていた。段階的にでも役員やその他上下関係が手放されていくトランジションプロセスを描いておくことが重要だと思う。
役員なんて単なる肩書なんだけど、それがなくなっても自分はまだここに居ていいと言われるのか、いる価値なしと言われてしまうんじゃないかということを怯れいていたんだと思う。
自分自身が、このままの自分で価値があると自分に言えるような変容の途上だったんだなと。
本当は管理されていたい、そのほうが楽という願いがあった
良い悪いではなく、自律分散型の組織のあり方になじまないメンバーが多かった。
自律分散型というのは状況に応じて、個々が判断し、またその時々で最適な行動や環境を都度対話しながら意思決定し、デザインしていく必要があり、いうなればめんどくさいの組織なのだと思う。指揮命令系統が明確で、やるべきと決められたことを高速かつ高い質でアウトプットするのが得意な人にとっては、いちいち対話したりするのはかったるかったのではないか。また、流動的に変化していくというカオスな状況が不安で居心地の悪い人もいただろう。ちゃんと「会社が決めてくれ」「意思決定するのは私達の仕事ではない」と。特に象徴的だったのは、いくらフラットにと言っても、「いや我々労働者は・・」という言葉を文字通り用い、雇用主- 労働者という構造を社内に持ち込んで議論をするメンバーがいたことで、強力な分断が起きてしまった。
新陳代謝が起きることが怖かった
新たな組織の方向性に合わない、なじまない人がいることが分かりつつも、短期的な事業の状況を鑑みて、今辞めてもらっては困るという怯れが先立ち、組織の新陳代謝を起こす事ができなかった。むしろなんとか残ってもらうために、ご機嫌取りのような施策を取った。
生命的であるというのは、生成とともに消滅も起きていないと成立しない。そして新陳代謝が起きる覚悟を持てないとTeal組織は絵に描いた餅。本書の中でも半分以上の社員が辞めたり、経営陣が変わってしまうぐらいの事が絶対に起こると書かれている。事実当社でもそうしたことが起きはじめ、そのことに恥ずかしながら泡を食ってしまい、変化の道半ばで足を止めてしまったのだ。
また新たな組織を立ち上げていくので、引き続き実践的に探究を続けていきたい。
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