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※閲覧注意 愚痴です。すみません※ 鎌首をもたげる 「比べる」が私の中で 鎌首をもたげる …
※閲覧注意 弱音です。すみません※ お父さんはお父さんである前にひとりの男性でひとりの人…
四季の中で冬は特別に好き 関東生まれ育ちの私にとって 雪は特別で 雪が降り始めると 「お母…
「よはくちゃん、もう泣かないの ほら!お母さんのチョコあげるから」 「あら、泣いたカラス…
子どもの頃 テレビのチャンネル権は父にあった 常にCMの無いニュースが流れていた 就寝が8時…
被虐待児のその後の長い人生 まるでノイズのかかった世界で 正しい像をなかなか結ばない ひたすら見えてる振りをし続ける ちらと見かけた表現で たったひとり見えない高山で 酸素濃度の薄い世界で 周りと同じだけの努力を強いられる ひとり薄い酸素で疲労感も半端なく 普通を擬態し続ける 凄い表現力だなとぼんやり思う 虐待の内容は様々で 私は生まれて初めて あれは虐待だったと受け入れた 幼い頃から日々がどれだけ大変だったか そこに外部からの理不尽な暴力も加わっていった 身体は常に臨
四半世紀以上前のことだ 当時はケースワーカーという言葉はなく 民生委員と言っていた 民事介…
幼稚園にあがる前 私は平気で嘘をつく子どもだった 「最後のプリン食べたの誰!?」 「よはく…
車のライトくるりんを見て子どもの頃を思い出しました。 キティちゃんのぬいぐるみと眠狂四郎…
私は子どもを授かりませんでした。 諦めるまで時間がかかり40過ぎても「ワンチャンいけるんじ…
幼い頃テレビを見ては「この音嫌い」公園へ行っては「この色嫌い」とにかく嫌いを連発していた…
父が癌で亡くなった時の密葬とお骨の行方に悔いを残した。 生前希望を聞いていなかったのだ。 今思えば父の考え方に密葬と合祀はぴったりだったと思い直す。 だが悔いが残る若かった私は母を捕まえては 「ねぇねぇ、お母さんの時、どうしたい?」 努めて明るく聞いた。 母は 「そうねぇ」 間を置いて 「◯◯先生と◯◯先生に送ってもらいたいなぁ」 「お骨は?お父さんと一緒がいい?」 夫婦仲は最悪だったが時折見せる表情と数少ないやり取りで相思相愛な事に気付いていた。 不器用な二人だった。 「お