2022年8月31日

欧州のエリートはものごとを長期的に考えることに長けている。ドイツに長く生活していてそう実感する。企業も国も欧州連合(EU)も理念と現実を踏まえ戦略的にアプローチする。その資質が何に由来するかを論じるのは難しいが歴史的な根が古いのは確かだ。

6世紀末から7世紀初頭にかけてグレゴリウス1世という教皇がいた。266人を数える教皇のなかで大法王と呼ばれる数少ない1人である。
彼が生きた時代、イタリアは東ローマ帝国の支配からゲルマン人の一派であるランゴバルト族の支配へと変わり、ローマ教会は強い圧迫を受けた。東ローマは東方のササン朝ペルシャとの争いや、北方のアヴァール人の侵攻もありランゴバルトを追い払う余力がなかった。
問題はそれだけではない。信仰では教会が世俗の権力に優越するという考えのローマ教会(カトリック)は、信仰においても皇帝が決定権を持つとする皇帝教皇主義の立場に立つ東ローマ、東方教会(ギリシャ正教)と思想的に対立していたのである。

この状況下でグレゴリウスが取り組んだ課題は東ローマに代わるカトリックの世俗面での後ろ盾を新たに獲得すること、後ろ盾となる世俗権力を信仰面ではカトリック教会を従属させること、である。
イタリアを含む西欧地域は当時、ゲルマン諸族の支配下にあった。宗教的にはその大半が異端のアリウス派か異教である。
グレゴリウスは本格的な布教活動を通してゲルマン諸族をカトリックが目指す秩序へと取り込んでいった。もとより一代で完了するようなものごとではない。数百年単位のプロジェクトであり、最初に成果が出たのは800年のカール大帝の戴冠。カトリックを支える世俗権力(東ローマとは別の皇帝)の誕生である。

11世紀後半に始まった聖職叙任権闘争を経て1122年に成立したウォルスム協約では聖職者の叙任権を教皇が皇帝から勝ち取った。これは政教分離(新約聖書の「神のものは神にカエサルのものはカエサルに」に由来)の歴史の重要な転換点の1つである。
皇帝教皇主義のギリシャ正教が広がった地域には政教分離の伝統がない。現在の憲法で政教分離が定められていても、それは社会に根を下ろさない外来思想に過ぎないのだ。ギリシャ正教系のロシア正教会がプーチン大統領のウクライナ進攻を支持しているのは偶然ではない。

炭素中立実現に絡めたに欧州の長期成長戦略はロシアの大暴走で修正を余儀なくされている。天然ガスに比べCO2排出量が多い石炭の利用を増やすことを「好ましい」と考える人はほとんどいないだろう。
だが、大きなプロジェクトで予想外の出来事が起こるのはごく自然なことである。冷静に事態を判断したうえで、必要な変更を加えれば良いのであり、最終目標を変える必要はない。大切なのはプロジェクトを管理しきることである。物価高騰で市民がパニックに陥り、ポピュリズムに主導権を奪われないようにすることが為政者の最大の課題となるだろう。

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