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#迷い #選択 #決断

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迷える子羊。
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#自分と向き合う

路線図見るのが好きだけど、これって仕事になるのかな

「好きなことで生きていく」 「好きなことを仕事にする」 この「こと」というのが、実はけっこう難しい。 「こと」の解釈を間違えてしまったり、ピュア過ぎるあまりこれらの言葉を真に受けてしまうと、好きなことで生きていけないどころか、“好きなこと”なはずなのに「あれ、楽しくないぞ…?」、「何か違うな…?」と違和感を覚えてしまうかもしれない。 例えば、僕は電車の中に貼ってある路線図を見るのが好きだ。 人にはあまり理解されない気がして自分からは言わないけれど、一緒に電車に乗った人

「仕事楽しい?」にパッと答えられない時点で

「仕事楽しい?」 「人生、充実してる?満足してる?」 「順調に進んでる?」 こういう質問に対して、 「“楽しい”って、そもそもどういう状態だ?」 「“充実”の定義って何だろう」 なんて少しでも考えてしまうようなら、きっと満たされない何かがある。 本当に充実していたら、満足していたら、楽しかったら、己の直感が即座に働くはずで、「うん、充実しているよ!」なんて言葉がパッと出てくるのだろう。 いつだって、言葉の定義や解釈、普段難しく考えないようなことを難しく考え出す時は、

考えれば考えるほど、「やってみなきゃ分からん」となるけれど

動いている時間よりも考えている時間の方が長い時、「結局やってみないと分かんないよな」と意外と楽観的になれたりする。 ただ、考えている時間よりも動いている時間の方が長い時、「本当にこれで良いのかな」とか「もっとちゃんと考えた方がいいかな」なんて、あれこれ考えてしまう。 この塩梅だけは、年齢を重ねてもいまだに掴めない。 「やると決めたら信じてやり抜く」、これが難しい。 考えるのも動くのも、いずれも中途半端になってしまう。 「やる」の認識が甘すぎるのかもしれない。 少し

手軽になって失ったもの

パソコンでnoteの文章を読んでいてハッとした。 久しぶりに、じっくり文章を読んでいる気がする 普段、他のクリエイターさんの文章を読む時はスマホを使うことがほとんどだから気づかなかったけれど、最近自分の中で「読む」がただの消費活動になっていた。 何となくさっと読んで、読んだ気になって、気に入ればスキをつける。 その一連の作業、消費活動を、親指だけで惰性で行っていく。 元々それがしたくて文章を読んでいるわけではないのに。 - 様々なモノ・コトが手軽になった。 食

仕事も、やりたいことも、生き方も、変わっていく

何かを選択する時、例えば仕事を探す時、 ・一生続けられるのだろうか ・これが自分の天職なのだろうか なんて考えたりしてしまう。 さも、これから選択するものが“最後の選択”になるかのごとく。 けれど、実際そう思って選択をしても、蓋を開けてみればあっさり転職していたり、「あの時、どうしてあんなに迷ったんだろう」とさえ思うこともある。 仕事に限らず、やりたいことだって、生き方だって、自分自身だって、そのうち変わっていく。 たくさん経験して、刺激を受けて、挫折して、その繰

迷った末の意思決定は、迷わなかった時より強い

日々色んな選択と決断を繰り返している。迷うことは絶えない。 できることなら迷わない方が良い、迷わず選択できるならそれが良いと思っていた。 けれど、案外迷うことも悪くないのかもしれない。 振り返ってみると、過去に迷った末の決断が今の自分を形作っている。 一切の迷いなく決めたことももちろんあったけれど、迷わなかった選択よりも、迷って迷って迷い抜いた選択はその後、力強い意思決定になっている。 そりゃそうか。あれだけ迷ったんだから。 どんな選択をしても、その選択を遅かれ早

適度なストレスがないと、かえってストレス

つくづく面倒な生き物だ、人間は。いや、自分だけかもしれない。 心の余裕が欲しくて、物理的な余裕が欲しくて、そうやって選んだ生き方だったはずなのに、どうして物足りないのだろうか。 忙しなさ過ぎると自分を削ってしまうけど、あまりにも余裕があると、それはそれでかえって満たされない。 何もせず過ごす日曜日と、何かしら予定が入っている日曜日。 前者の方が充実するような、そういう感覚。 例えば、責任があると期待やプレッシャーに押しつぶされそうになるけれど、その分やり切った時は何

他者思いだからこそ、自分勝手に生きることに全振りしてみる

「幸せ」は誰のものなのだろうか。 『他人の幸せが自分の幸せに乗り移ってしまうこと』についても考えております… (みをほさん) 他人の幸せに喜びを感じられることは、人生を豊かにする一つの要素だと思う。 ただ、他人の幸せでしか自分の幸せを実感できないのは、諸刃の剣のように感じる。 大ざっぱに言ってしまえば、「他人の幸せへの依存」かもしれない。 「他人の期待」をテーマに、以前似たような文章を書いた。 幸せや期待、利他や依存について考えるとき、いつも思うことがある。

手に入れるよりも、手放してみる

手に入れようとする時より、手放す時の方が勇気がいる。 手に入れた時より手放した時の方が、心が軽くなる。 手に入れたものより手放した時に残ったものの方が、大切にしたくなる。 手に入れた時より手放した時の方が、何者かになれる気がする。 - 手に入れようとしてうまくいかないなら、手放してみる。 自由になりたい。 自分を不自由にさせているものを手放してみる。 成長したい。 「成長したい」という欲を手放してみる。「楽しみたい」と思ってみる。 何者かになりたい。 一

ほんの少しの新しさとか、挑戦で良い

現状への不満やモヤモヤ、変わらない日常や変化を恐れず突き進んでいく友人に対しての焦り。 すっかり慣れたけれど、こういう時はつい大きく考えてしまいがちだ。 「仕事を辞めようかな」 「転職しようかな」 「何か新しいスキルを学ばなきゃ」 転職や独立は分かりやすい変化で、しばしばSNSでも、退職エントリや【ご報告】から始まる丁寧な投稿が見受けられる。 そのような分かりやすい変化に見慣れているからか、自分自身が何か変化を望んだ時、真っ先に転職や独立を検討してしまう。 決してそ

今はまだ「選択と集中」する時じゃない

勉強に集中できない時のような「点で見た時の集中力」も、一つの仕事が長続きしない時のような「線で見た時の集中力」も、それらを高めるには、基本的に絞った方が良い、とされている。 英単語を覚えながら数学の問題は解けないし、仕事でも本業と副業を器用にこなしつつスキルアップを目指すのは大変だ。 「選択と集中」 優先順位をつけ選択する、選択したらあとは集中する、そうすることで目標を達成できたり成果を生むことができる。 そういえば、選択って必ず「1つ」でないといけないのだろうか。

本番になった途端、分からない問題をとばすのが怖くなるやつ

分からない問題に時間を取られてしまった結果他の問題が解けず、思うような点数が取れなかった。 本番ならではの緊張感がそうさせたのかもしれないけれど、一問をとばすことができないのは、心のどこかで「満点」を捨て切れなかったからだと思う。 そもそも、満点を取ることが目標だったっけ。 目標は「目標点数を取ること」だったはずで、その目標点数は、決して満点ではなかったはず。 だから、一問くらいとばしたって平気だし、本番どうしても分からない問題が出題されることなんてよくある話だ。過去

やりたくないことを、やらない

「やりたいことをやる」のは難しい。 だから、やりたいことをやっている人が眩しく見えるし、嫉妬もする。 やりたいことはそう簡単に見つからないし、やりたいことがあってもそれをやるのが難しい場合もある。 そう考えると、やりたいことをやる難易度はかなり高い。 けれど、いわゆる“やりたいことをやっている人”が、実は“やりたくないことをやらなかった結果、やりたいことをやれている”のだとしたら、何だか希望が持てる。 要するに、やりたいことを見つけるという足し算ではなく、やりたくな