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#私

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等身大の自分。
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#悩み

「感覚で生きてる」を免罪符にしたかった

「あいつは感覚で生きてるタイプだから」 いつから、人間は「感覚人間」と「論理人間」の2種類に分けられるようになったのだろうか。 血液型もそうだけど、人間をそんなにはっきりと分けるなんて無茶だ。片手で数えられる程度のタイプしかないならば、もっとお互い理解し合って平和な世の中になっているはずだから。 そんな愚痴はさておき、誰もが、感覚人間で論理人間だ。 ただ、感覚人間が論理人間の要素を多く取り入れることはできても、論理人間が感覚人間の要素を取り入れていくことは難しいのでは

待ちわびた夕焼け、日曜日のセンチメンタル

久しぶりに夕焼けを見た。 夕焼けを見る暇もないくらい目まぐるしい日々を送っている、なんてカッコつけたいところだけれど、あいにく程々の余裕がある。 空を見上げる気持ちになれないのは、自分の将来とか明日とか、未来に対して前向きな気持ちになれないからだろうか。 上だけを見ていた1年前、まっすぐ先だけを見つめていた1年前。 1年後、目の前すらぼやけて見えるのはどうしてだろうか。 そんな悶々とした思いに蓋をしようと、深呼吸してみる。 少し顔を上げて息を吸い込もうとすると、視

「大学へ行く意味」とか「自己投資」という言葉が気になりだしたら読むnote

モヤモヤ企画に、これまた考えさせられるモヤモヤが。 葛藤していることは次の通りです。 4年間と240万円を借金(奨学金)してまで費やして自分の通っているレベルの国立大学を卒業するのは良い選択なのでしょうか。あまりそう思えなくて迷っています。 おがたのよはくさんがもし今から4年と240万円を注ぎ込むならどんな自己投資をしますか? (りょーや @大学生パーソナルライターさん) 大学生なら、誰もが一度は通る道なのかもしれない。 怠惰な同級生、片や、大学生ながら大人顔負けの活

大学を中退すると、どうなっちゃうのか

普段、自分の気づきや思いを好き勝手書いているだけなので、たまには、誰かのためになるような記事を書いてみます。 今まで好き勝手書いた分が、この記事でチャラになれば良いなと思っています。 さて、タイトルにもある通り、ぼくは大学を中退しています。 大学中退はそれほど珍しくはないと思うのですが、 これらについて書こうかなと。 某ウィルスの影響により、ぼくが大学を中退した時とは違った事情で、大学中退を検討せざるを得なくなった方もいると思います。 直近2年くらいの間に、一度で

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今はまだ、まどろみの中で

「今度、ご飯でも行こう」 一体、今ぼくは何件のご飯の予定を保留しているのだろう。 街でばったり会った時の別れのセリフを、どうしていつもこれにしてしまうんだろう。 社交辞令で言っているわけではない、と言えば嘘になるけれど、100%社交辞令とは思っていない。本当にご飯に行きたい気持ちはある。 それでも行かない、いやその約束を取りつけない理由はきっかけが無いからでも、誘う勇気がないからでもない。 どこか、会うことに後ろめたさがあるからだ。きっと。 過去お世話になった人、

文系の僕が唯一学んだ「恋愛工学」

僕が唯一学んだ学問といえば、「恋愛工学」かもしれない。 もちろん、大学時代「恋愛工学部」に所属していたわけではないし、そのような学問は実態として存在しているものではないけれど、大学に1年間しか通っていない自分からすると、唯一まともに向き合った学問がそれだ。 知り合いから面白いと紹介されて読むことになった、藤沢数希さんの『ぼくは愛を証明しようと思う。』という本(以下、ぼく愛)。 読んだのはもう4年前くらいで、正直内容はあまり覚えていない。 誠実でまじめな主人公が恋愛工学