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#私

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等身大の自分。
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#自分らしさ

「そろそろ本気出す」って、いつまでも言っていたい

自分の周りに、一人や二人はいるはずだ。 「来年から本気出すわ」 「そろそろ本気出そうと思ってるんだよね」 あるいは、自分自身がその一人かもしれない。 この言葉の信憑性はきっと、「行けたら行く」や「前向きに検討します」と同じくらいなのだろう。 言われた側は「やれやれ」という感覚かもしれないが、実は、言っている当の本人はけっこう本気なのだ。本気を出そうとしていることに対して「本気」なだけ、だけれど。 僕自身もどちらかと言えば、“言っている側”だ。 特に、この一年間は各

「感覚で生きてる」を免罪符にしたかった

「あいつは感覚で生きてるタイプだから」 いつから、人間は「感覚人間」と「論理人間」の2種類に分けられるようになったのだろうか。 血液型もそうだけど、人間をそんなにはっきりと分けるなんて無茶だ。片手で数えられる程度のタイプしかないならば、もっとお互い理解し合って平和な世の中になっているはずだから。 そんな愚痴はさておき、誰もが、感覚人間で論理人間だ。 ただ、感覚人間が論理人間の要素を多く取り入れることはできても、論理人間が感覚人間の要素を取り入れていくことは難しいのでは

やりたいことではなく、やるべきことをやりたい

この1年間、自分の中ではかなりゆったりした生活を送ってきたつもりだ。 心身ともに余裕のある生活を送ってきたけれど、正直なところ、充実感はない。 自分にとっての「充実」は、自由な時間を自由に過ごすことではなかったみたいだ。 やりたいことがない、これといった趣味もない、自由な時間の過ごし方が分からない、そんな人にとって「自由」は「不自由」でしかない。 「自由は、かえって不自由を生む」とはよく言ったもので、どうやら自由の中の不自由を生きていたらしい。 やりたいことではなく

だめだ、やっぱカッコつけちゃってる

相変わらず、何も変わってないよ。 学生時代、何者かになりたくてネットビジネスに片足突っ込んだ時もそうだし、そのネットビジネスでさえ「俺はお金を稼ぐことが目的なんじゃない」なんて本質に気づいたフリして、少しかじったくらいで辞めてしまって。 馬鹿になったつもりでやり切っている奴の方がよっぽどカッコいい。 お前はまだ、がむしゃらになれてない。 ネットビジネスを始めてみたり、塾講師のアルバイトにほとんどの時間を捧げるようになってもなお、何者かになりたくてしょうがなかった自分は、

今はまだ、まどろみの中で

「今度、ご飯でも行こう」 一体、今ぼくは何件のご飯の予定を保留しているのだろう。 街でばったり会った時の別れのセリフを、どうしていつもこれにしてしまうんだろう。 社交辞令で言っているわけではない、と言えば嘘になるけれど、100%社交辞令とは思っていない。本当にご飯に行きたい気持ちはある。 それでも行かない、いやその約束を取りつけない理由はきっかけが無いからでも、誘う勇気がないからでもない。 どこか、会うことに後ろめたさがあるからだ。きっと。 過去お世話になった人、

何でもこなせると、何者にもなれない

自分は比較的何でも卒なくできる方だと思う。 選手育成系のゲーム(パワプロ君とか)で言うところの、1つや2つ「B」や「D」はあるにしても限りなく「オールC」に近い、そんな選手だ。 経験のないことでも、少しのインプットでそこそこできる。 ただ、“そこそこ”しかできない。 よく言えば、バランスの取れているタイプであり、かっこ良く言えばジェネラリストだが、何かに秀でているわけではなく、スペシャリストと言うには程遠い。 昔から、何でもそこそこできていた。 高校も大学も偏差値