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#アラサー #20代

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#自分

儚くない、春。

今年に入ってから日記を書くようになった。肩の力を抜いて書いた文章の頼りなさというか、とても自分の文章とは思えないくらい知性の欠片もなくて、たまに見返しては一人でニヤニヤしている。 〇〇が美味しかったとか、××にちょっと苛立ちを覚えたとか、△△さんのあの時のあの発言にモヤモヤしたとか、「日記」と表現するのも躊躇われるくらい、本当に何も考えず言葉を並べてみている。 こうして文章を書くときはやはり肩と指先に力が入ってしまう。いくらありのままを表現しようと思っても、ちょっとカッコ

特別への執着を手放す、大人になるということ

「これから先、毎日この道を行き来するのが人生なのか」 ふとそう思った時が“大人になった瞬間”なのだとしたら、僕らはようやく大人になれたのかもしれない。 あの時思っていたほど、死んだ顔したサラリーマンを満員電車で見かけることはなかったし、東京で消耗した大人にも出会わなかったし、パソコン1台で稼いでいる大人だけが憧れの対象でもなかった。 一人でカラオケに行く、好きな人に告白する、大学を辞める、仕事を辞めて転職する、自分なりに一歩踏み出した経験は数多あるけれど、今となって振り

流れに身を任せて、人生を漂う

僕らは人間だから「何も感じない」なんてことはないのだけれど、自分の感情や感覚を一々記憶してはいられない。 だから、こうして文章を書いて、嫌でも自分が「日々何を感じて生きているか」を思い起こす機会を作っているのかもしれない。 言葉が全く出てこなくて「どうして書き始めちゃったんだろう」と後悔することも少なくないし、感覚をうまく言葉にできなくて都合の良い言葉に逃げてしまうことだってある。 そんな苦悩を経てまでして書くことが果たして本当に楽しいと言えるのか、いまだに疑問は消えな

夢中になれない自分、夢中で探し物をする彼、無慈悲なビル群に佇む二人。

休日、人気がなく忙しなさから解放された、閑散としたオフィス街が好きだ。 チェーンのカフェ店を含み、コンビニ以外の店舗は軒並み閉まっていて、この街が普段いかに労働者で構成されているかが伺える。 無我夢中で仕事をこなす日々、なんて表現すれば聞こえは良いけれど、たいていは期限や数字に追われる日々で、そんな様子は側から見れば、ある意味無我夢中なのかもしれない。無論、僕自身も平日この街に溶ける労働者の一人である。 どういうわけか、いや、だからこそなのか、こうして休日もオフィス街に

"何者かになりたい"という暇人の欲求

何となくモヤモヤして、何となく自分と向き合っているうちに、都合よく連休は終わってくれる。 そしたら、またいつもの日々が始まって、目の前にある仕事をこなしていればそれで良い、そんなどこか物足りないようで実は満ち足りた日常が戻ってくる。 飲み屋で愚痴をこぼす人も、朝の電車でSNSに憂さ晴らしをする人もみんな、嫌だ嫌だと言いながらもちゃんと仕事をする。連休で時間ができて、このままで良いのかな?なんて考えてみるけれど、結局何も変わることはなく、日々を過ごしていく。 人生とはきっ

悩む自分のことが好きなだけ。気配のない眠気を待ち続ける夜

「眠れない」 ディズニーランドへ行く前夜とか好きな人に会える前夜とか、「明日が楽しみ過ぎてこのまま眠れなかったらどうしよう、何ならもう今日じゃん」なんて考えた、忘れられない夜が確かにあった。 「眠れない」 年齢を重ねたから、いや、年齢だけを重ねてしまったからなのか、“それっぽいこと”が書かれた本ばかり読むようになってしまったからなのか、小難しく考えるのがカッコいいと思ってしまう年頃だからなのか、夜、頭の中が活発に思考する。 「自分のやりたいことってなんだろう」 「自分

誰だって、カッコつけたい時もある

「だめだ、やっぱりカッコつけちゃってる」と冷静になった夜もあれば、「結局、カッコつけてるだけじゃん」と怒りを感じた夜もあった。 「カッコつけすぎかな」と曖昧にした文章もあれば、「カッコつけすぎて中身が薄いな」と書き直した文章もあった。 誰だって、カッコつけたい時はある。 勝手に全員巻き込んでしまったけれど、少なくとも、僕はそう思っている。 目立ちたがりの男子のような“男の性”というやつではなく、“人の性”というやつだ。 数多の紆余曲折を乗り越え、酸いも甘いも噛み分け

24歳と365日、今思うこと

「明日誕生日じゃん、俺」 コーヒーを淹れながら、思い出したかのようにそう呟く朝が何とも日常的に感じられて、自分にとって誕生日がすっかり非日常ではなくなってしまった感じがして、少し淋しくなった。 - 自分が思う以上に、1年間で何かが大きく変わることはない。自分を取り巻く環境も、そして、自分自身も。 23歳と365日目、「今までの人生は、変化に身を任せすぎた」という実感があった。 だから、24歳の1年間は「自分から巻き込み、変化を作りたい」と決意した。 結果的には、思

何者かであるために、僕らは自分をアラサーと呼ぶ

僕らは、自分が「何者であるか分からない」と日々悩みつつも、何とか何者かであろうとしている。 「アラサー」 というのも、自分が何者であるかを表現するための一つかもしれない。 僕らは自分が何者であるかを表現する時、 といった要素で、自分が何者であるかを構成していく。 そこに、「アラサー」や「独身」といった肩書きも付け加えて。 少しでも華を持たせたくて、検定や資格、学生時代に獲った賞を何とかかき集めて履歴書を埋めていくように、「何者であるか」を表現しようとする。 ああ

副業したいけど、副業したいわけじゃないってことか

お金を稼ぐため、スキルアップのため、ゆくゆく本業にするため。 副業を考える理由はそんなところだろうか。 副業、複業、パラレルキャリア、働き方が多様化したり、「働く」という既存の概念がアップデートされていく中で、誰しも一度くらいは考えたり頭によぎったりする。 ネット上に転がっている「副業の目的が何か」という調査結果を見てみると、おおむねこれらで合っているらしい。 実際のところ、どうなんだろうか。 「何者かになりたい」と日々願って止まない僕らのことだから、きっと、 そ

「知り合いがYouTuberなんだよね」なんて言っているうちは

20代前半くらいまでは、活躍している知り合いや我が道を行く同級生を、どこか他人事のように捉えていたけれど(他人なのだから、そりゃそうなのだけど)、段々他人事のようには思えなくなってきたというか、素直に喜べなくなってきた。 昔は、 「知り合いがYouTuberで、チャンネル登録者数十万いるんだよね」 「同級生が起業して、今どこどこに住んでいるんだよね」 「学生時代の友人が、〜〜で全国1位なんだよね」 なんて、どこか誇らしげに言えていたけれど、 「いつまで“言っている側”