独学研究のススメ(カルト本や地雷に気をつけよ)

今、本屋に行くと色々な本がざっくばらんに並べられていますが、意外に地雷が多いです。分かりやすそうと思って手にとったらトンデモナイ陰謀論だったり、ある本の丸写しだったり、「俺が考えたスゲー歴史」みたいな作者色丸出しの本が置かれていたりします。

こういう本に騙されると、独学研究の大きなつまづきとなります。滅茶苦茶嫌味を言えば、「カルトチックな本や思想に騙され、正式な判断が出来なくなってしまう」事は多々あります。

なによりもこの手の本で厄介なのは腐っても文献である以上、名目上は参考資料になり得てしまう点です。

どれだけ嘘を主張しても「この本に書いてあった」といわれると、その本から批判をしなければならないので、論争や修正をする側においては滅茶苦茶な負担になります。

さらに、その本を信じている人が、軽石的で、すぐに己の誤りに理解をして

「その本は間違いだったんですね、おすすめされた資料を読み直します」
 
と、改心できる人ならいいのですが、その筆者や思想にズブズブハマり承認欲求モンスター、陰謀論モンスターみたいになっているのがいるので厄介極まりないです。

「お前が嘘ついているんだろ!人気がある人を嫉妬してんだろ!有識者か何か知らないけどわかりづらいんだよ!」

これくらいの事を言う人、態度を見せる人普通にいます。

昨今、SNSとかで素人が専門家に噛みついてボコボコにされる図式を散見しますが、噛みついている側などはまさにそのモンスターに成り果てた事例です。

一方的に喧嘩を売って、専門家にボコされるだけなら可愛いもので、その手の連中がインフルエンサーにでもなったら厄介極まりない事となります。
 
嘘やデマが容易に拡散され、専門家が指摘すると信者や同類が反撃にかかって、「論破」だのなんだのと醜い言葉が乱れ飛ぶ始末です。
 
専門家が正論・事実を持って制してもそれを理解するつもりがないのですから、厄介というより他はないです。

逆を言えば、そうした嘘を書く作家やインフルエンサーからしてみれば実にいい時代です。バカをドンドンカモに出来る上に、自分が批判されたら信者やシンパが守ってくれる、謝罪することなく嘘をまき散らし続けても関係者が肯定し続けてくれる――界隈の腐敗はこうして形成されていきます。
 
こんな所にまで堕落してしまうと、独学研究の進歩どころか、そもそもゼロスタートに戻るだけでも大変になってしまいます。

本当の知的欲求を満たし、独学研究の道を進みたいのならば、そういった手合いとはなるたけ出会わない事、そして批判的精神を有する事です。

「嘘をつくのはたやすいが、それを治すのは難しい」
 
これはしっかりと胸に刻み込んでおくべきです。本当に「嘘をつく」事は容易です。

己の妄想でもお気持ちでも「論」といえば通じてしまう危険性があります。

しかし、それを撤回させるには本当に大変です。その「論」を否定する資料やデータを見付け、論理的に構成し、その上で厄介な信者を制しながら一撃を加えるしかない。
 
昔なら否定された、嘘をついていた時点で相手の欺瞞を指摘し、それを学会などで糾弾する事で、失墜も狙えたことでしょう。

今のインフルエンサーや文化人は開き直りや責任転嫁を平然と行い、結果として「労多くして実りなし」という事例を目の当たりにしてきます。

「絶対許すな他人の失態、笑ってごまかせ自分の失態」

みたいな態度で学説や研究をかき回し、デマや何やらを煽り立てる人は随分います。そして、それがSNSで顕著になりつつあるので頭痛の種でしかありません。

「自分は何やっても言論や主張になるが、他人の批判や抗議は皆誹謗中傷と見なす、物をわかっていない無学や野暮の意見として信者に晒し上げる」

こんなことをしてくるのですから無敵の論法というより他はないでしょう。 

こういった連中を合法的に処罰する方法はないのか、といつも案じておりますが、暴力では解決しない上にこちらが実刑判決を食うことになりそうなので、どちらに転んでも闇です。

そんな嘘つきたちを減らすには、少しでもより良い知識を身に付け、自らの見識や独学研究で世間を渡れる人になるより他はありません。嘘つきにとってカモが減る、信者が減ることが一番の大ダメージです。相手が変わらないなら自分が変わるしかないのです。
 
少し愚痴っぽくなってしまいましたが、そんな連中のカモにならないようにする術はいくつかあります。

「ひろ〇きやホリ〇モン、youtuber推薦の帯がついた新書は出来るだけ避ける」(これも皮肉な話で、実は名著なのにトンデモナイ扱いを受けている場合もあるので、一概には言えません。インフルエンサーや文化人の推薦が本そのものの価値を駄目にするのは、「やくみつるもじぴったん事件」に通じるものがあります)
「SNSやレビューをよく確認する」(おかしい本の場合は、これはおかしいと専門家とかが指摘しているので)
「執筆している人がきちんとしているかどうか」(その道の研究者が書いたものを勧めます。ライターなどは信頼しがたいものがあります。実際、ある研究書や論文を丸写し同然で我田引水の論理やお気持ちをぶちまけ、今月は文学、来月は演劇、再来月は映画……などと、全く違うジャンルの本を毎月のように出している無責任極まりない作家もいます。大体そういう連中は、すさまじく無責任で中身がない上に嘘も多いので、研究界隈からしてみれば目障りな存在です。当人たちは部数や肩書をタテに信者を集めるので、やっていることは悪質なインフルエンサーと同じです。)
「実は子供や青少年相手の本の方が信頼がおける(説明も優しい上に、名のある学者や関係者が書いているため、信頼性もあり、中には深い知識や探求にもふれているような、優れた名著が存在したりします。)」


 これをまた説明し始めるとキリがなくなるので省略しますが、大体の目途として見て頂ければ、と思います。
 
そうした厄介な概念に振り回されるのが入門書の恐ろしい処ではありますが、いい入門書もたくさんあります。

変にバイブルや名著に挑んで挫折するより、最初は簡単な道を選んでコツコツと自分の知識や見識を広げていきましょう。

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