「ヨガが上手」とは?(その2)

「ヨガが上手」とは?(その1)で書いたように、アーサナ(ヨガのポーズ)が美しいことが「ヨガができる」「ヨガが上手」という意味ならば、
私は、ヨガができないヨガ講師
もしくは、ヨガのポーズが下手なヨガティーチャーなのでしょう。

どうやら世間的には、ヨガをする人は体の柔軟性が高く、さまざまな難解なポーズを行えると思っているようです。
どうやったらそのポーズに至るのか不可解だったり
空中浮遊的だったり、アクロバティックなポーズ
雑技団の演目のような柔軟すぎる肉体…
確かに、それらのポーズができたら凄いけど、ヨガが目指してるのはポーズの完成や美しさだっけ?

そんな私が時折「身体が硬いです」と素直に告白すると、
「ヨガの先生のくせに!」
「ヨガの先生が身体が硬いって、練習不足なんじゃない?」
「体の硬い先生が生徒に教えられること、あるの?」
なんて言われます。

ですが、体の柔軟性が高い人、関節の可動域が広い人、
つまりヨガとは身体能力が高い人だけのものなのでしょうか?

私はそうは思いません。
ヨガはもっとオープンで、もっと深いものだと思っています。
性別、年齢、体力、家族構成、人生経験、職業、イデオロギー、病気や怪我の有無に関わらず、どんな人も自分のペースで楽しめ、深めていけるのがヨガだと思います。
他者との違いさえもまるっと受け止め、自分をしっかり見つめ、仲間と共に練習していくのが、ヨガクラスでのプラクティスの醍醐味だと思います。

人は一人一人、全く異なるバックグラウンドを持ち、さまざまな経験を経て、ヨガのプラクティスをしています。
ヨガに興味を持つ理由も、続けている理由もさまざま。
考え方でさえそれぞれで異なるのですから、その器である身体はもっと多種多様のはずです。

生まれつきの身体特徴
成長過程での特長、特徴
怪我や病気による変化
考え方や習慣による身体的変容…などなど、
さまざまな理由から、一人一人が異なる身体を持ち備えています。
それらは、その人が経てきた年月で培ってきた神聖なる場所=肉体⭐️
この世に、一人として同じ人はいません。

そんな神聖なみずからの身体を大切に、愛しく思うようになれば、きっと「ヨガが上手」ということばの意味は、アーサナそのものを指し示さなくなるのではないかと思うのです。

続く!

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