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悲しくもありのままなら許される

忙しい時代の忙しい人々は、忙しいのに忙しい周りまで気を使い、忙しくも問題解決と称して忙しい他人や忙しい世間を責めている。

御多分に洩れず私もそう、この集団ヒステリーに終わりはないのだろう。

人間はとても賢いからこそ自然の一部ということを忘れてしまったし、目を向けないようにすることこそ私たちが作り上げた社会の役目なのかも知れない。

そんなものは存在しない空想みたいなものなのに、それを信じて自らに足枷をはめることで安心を得ている。

そんな安心を少しでも脅かそうとするものを、見つけ出しては根絶やしにしようと必死になる。

最近は特にそれが顕著で、きっと戦争や疫病が流行ったせいで恐怖に支配される人が多くなっているからなのでしょう。

恐怖に注目するのは生存本能としては正しいけれど、その世界に留めてしまうには余りにも勿体無い。

その内、周りの人全てが敵に見えて気が休まる瞬間すら与えてもらえないのだろう。

エゴはきっと恐怖や劣等感を求めている。

そうすればもっと安全と優越感を得られると思っているからだ。

そしてもっと巨大な敵が現れて、繰り返すことでエゴは永遠に注目してもらえる。

私だけを見て!って自分の心の中で一生やり続けることは側から見ると滑稽なようだけど、自分じゃ絶対に気が付かない。

スタートに戻って行動の動機や心の在り方を見つめ直すことが必要だけれど、もう手遅れだと思うのだろう。

そうやってもがくことすらやりたくないし、他責すれば自分の嫌な部分を見ずに済む。

でもそれで充分に素晴らしいことなのだと気がついた。

振り回されてばかりの自分に嫌気がさしたら、疲れて眠気が襲うでしょう。

夢の世界での私たちはただそれだけで素晴らしいことを知っている。

だからこそ安心して眠れるのだろうし、それは死に対する準備なのかもしれません。

向こうの世界にこの感情は持ってゆくことはできないのだから、それを味わい尽くすだけで充分だと。

忘れてしまったとしても大丈夫。

またきっと繰り返すのだろうから今日をよき日にしようじゃないですか。

輪廻なんて毎秒繰り返しているのだと、時間や歴史なんて今、この場所に常に発生しているのだということを。

過去生でもご先祖様でも呼び方は様々だろうけど、全部が自分(もしくは自分の構成要素)なのだし、宇宙とは或いは世界とは私たちの認識が作り出した共同幻想に過ぎないのだからこそ、自他共に大切にすることができるのではないか。

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