男が指でハート作んな

指ハート、いつから始まったんだろう。韓国から輸入されたっぽいという情報しか知らない。
楽しんごからの脱却だろうか。もう両手でハートを作るのは古いと、誰かが言い出したのだろうか。
確かに片手で、それも指2本でハートが作れるというのは斬新で、まさにお手軽な感じがする。メイドカフェのメイドは両手でハートを作っているイメージだが、それに比べると指ハートは矢張りスナック的でそこまで愛の重さを感じることがない。
僕が思うに、指ハートの台頭には少なからずインスタグラムが関与している。
コーヒーカップ、風船、うちわ等の、インスタグラミー(造語だよ☆)なアイテムを片手に持ち、余った手で指ハートを加えると、よりフォトジェニックに見える。もはや古の表現になりつつある「映え」よりも、露骨でなく、スタイリッシュで先進的なのが指ハートなのではないのだろうか。

そんな指ハートを、男が何も後ろめたさを感じずに無邪気ぶった顔でやっているのを見ると、無性にイライラしてしまう。君たちに求められているのは、そんな健気で退屈な可愛さなどではない。
男よ、ゆるだぼコーデで、女の子に寄り添うようなクシャっとした笑顔で指ハートをするな。ずる過ぎるし、そんなあざとさは女子に露呈して幻滅されてくれ。

今の時代、”男が指ハートをするな”みたいな思想は前時代的かもしれない。自分が恥ずかしくて指ハートができないのを理由に、『男性』という大きすぎる概念にヘイトをぶつけてしまった。

仮に好きな女性と2人でプリクラを撮る機会があったとして、その子が隣で指ハートをしていたとする。それでも僕は指ハートができない。
意固地になって、2011年の楽しんごのように、触ったら消えてしまうメイドさんのように、両手で巨大なハートを作ってしまう。隣の女の子の数倍もでかいハートを掲げながら、こうするしかないんだという表情でカメラを見つめる。
小顔加工が施された2人の顔面よりも大きい両の手のハートに、指では生成不可能な僕たちの愛が内包されているのだ。
だから男よ、指でハート作んな。

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