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2. ヨーガはインド生まれ?

• ヨーガは「インド」発祥と言われている
• この「インド」は、現在の国としてのインドとは違う
• 現在の国境は過去の世界には存在しない
• 現在の世界の見方から自由になると、より豊かなヨーガの歴史が見えてくる

ヨーガはインドで生まれた、とよく言われます。インドの無形文化遺産としてユネスコに登録されてもいます。ただ、当たり前ですが、1947年にイギリスから独立し、パキスタン、中国、ネパール、バングラディシュといった国々と国境を接する現在のインドでヨーガが生まれたわけではありません。現在のインドの領土に含まれる地域周辺で生まれ、発展してきた、というのが正確なところでしょう。場合によっては現在のパキスタンやネパールも、ヨーガ誕生に関わる土地だと言えなくもないのです。

細かいといえば細かいことなのですが、これはどのようにヨーガの歴史を語るか、ということに関わってくるので、意外と大事なことのように思います。私たちはどうしても、自分が生きている、ただ今現在の世界の枠組みで過去をも見ようとしてしまう傾向があります。別の言い方をすると、自分がつながりを感じている国や土地や文化などに、過去の良きものを紐づけたい、という欲望があるようです。

仏教の開祖ガウタマ・シッダールタはネパール人か、インド人か、という論争が典型かもしれません。多くの場合、現代のネパール人はガウタマが生まれたのは今のネパール領だからネパール人だと主張しますし、現代のインド人は、例えばガウタマが長じて活躍した場所は今のインド領だからインド人だと主張します。どちらの説も考えてみればおかしな話で、ガウタマ・シッダールタが生きていた時代には現在のネパールもインドもなく、地理的に言えば両者にまたがる王国で彼は生まれ、当時の王国間の国境を越えて移動しながら教えを説いてまわったわけです。つまり、彼はネパール人でもなく、インド人でもないのです。強いて言えば、当時コーサラ国の属国だったシャーキヤの人、シャーキヤ人です。

日本にも、邪馬台国はどこにあったのか論争というものがありますが、九州に縁のある人は九州にあった説を、畿内につながりのある人は畿内にあった説を主張する傾向があるようです。人はどうしても歴史のなかで際立つ存在や事象を自身に関連づけたいと思ってしまうのでしょう。

昔は存在しなかった現在の地理的境界を、過去の地図に当てはめて歴史を理解するのは、あまり意味のあることとは思えません。現在とは異なる広がりをもった過去の世界を、今この瞬間に有効であるに過ぎない概念の中に押し込めてしまっては、窮屈ではないでしょうか。もちろん、私たちは現在の世界を成り立たせている枠組みから逃れることはできません。でも、過去を振り返り、かつてあった世界を眺めるまなざしは、できるだけ自由で風通しよくしようと心がけてもいいのではないでしょうか。

ヨーガの鮮やかな彩りに満ちた豊かな歴史も、そうした風通しのいいまなざしがあって初めて躍動感をもって立ち現れてくるのだと思います。


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