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【ヨガ】疲れた現代人が行き着くところ

アシュタンガヨガを始めて得たものについて、まず今回は、インド哲学との出会いです。

収入につながらない学問


 哲学と言うと、収入に繋がらない学問、というイメージで、資本主義の社会では、あってもなくても良いもの、という位置ではないでしょうか。私たちは資本主義の中で育ってきて、お金になるもの、すぐに結果が出るもの、ニーズのあるものに価値が置かれる社会で生きてきました。結果が出ないものは、どんどん切り捨てられる、ゆっくり過程を見つめることはしない。生産性のあるものだけに価値が置かれる、そういう自由主義にどっぷり浸かって、すでに道が決められた人生に何の疑問も持たずに日々生活しているのが私たち現代人の姿ではないでしょうか。
 私も振り返ると、いかに要領良く、必要なものを素早くゲットできるか、と言うことを念頭に置きながら、目標を掲げてはクリアしてきたように思います。ポイントを抑えてさっさと片付けてしまえば、早く楽になれる、楽しいことができる、そういう考えで走ってきました。

アシュタンガヨガを通して出会ったインド哲学


 しかし昨今は資本主義に疲れた現代人が、精神に病み、幸せはお金では作り出せないんじゃないか、といった風潮が出始め、特に昨年からのコロナ禍で、働き方を見直す人が増えました。私もこの機会に、もともと精神医学や脳科学が好きだったので、関連の書物を読み始めていました。
そんな中で出会ったインド哲学。
今までの生き方、考え方とは違う、お金に繋がらない学問、今までだったら、興味を持たなかっただろう哲学が、今このタイミングで、アシュタンガヨガを通して出会い、すんなりと私の中に入ってきました。

今の私だから受け入れられた


 本当の幸せは、資本主義で追及されているものではないんですね。結果が出ないと意味がない社会にいながら、なかなかこういった考えは余裕がないと追及できません。でも、人生で、自分と向き合う事が、どれだけ大切なことなのか、私たちは日々の生活に追われていると忘れてしまいます。周りばかり気にして、世間体の目標を持って、走るだけの人生。その目標が本当の自分ではなく、資本主義、自由社会から生まれたものであったら、と考えたことがあったでしょうか。
食べていくだけでも大変なのに、人生と向き合ってる暇はない、と言うのが一般的な考えじゃないでしょうか。インドでも昔から、国を治める人や貴族階級の男性しか哲学を学ぶことができませんでした。庶民は高貴なことに触れることのないまま人生を送っていたんですね。

資本主義社会での教育について思うこと

 余談ですが、資本主義社会に大人が疲れ始めたように、学校教育ももう限界に来ているような気がします。競争を掻き立て、狭き門をみんなが目指す教育が、長い人生の中で一番多感な時期に受けさせるべきことなのか、親として疑問に思います。その皺寄せで、日本のいじめはどんどん深刻化し、韓国の自殺率はどんどん増えています。食べて行かなきゃいけないから仕方がない、と言うのが多分ほとんどの大人の本音だと思いますが。それなら、少しでもいいので、親は子供達に自分と向き合うチャンスを作ってあげるべきだと思います。自分に与えられた体を知って、筋神経を開発させること。自分を見つめる力、物事の本質を見る力を養えるように教えてあげなければいけません。何の武装もなく、社会という戦場に出るので、心が折れたり、体を壊したりするのは当然のことと言えば、当然のことだと思います。

韓国人の師匠から学ぶことの意義について

 精神、心、霊魂、こういうものは目に見えません。しかしインド哲学はこの目に見えないものが幸せの源だと説きます。そしてインド哲学を取り入れたアシュタンガヨガのアーサナは、バンダという目に見えないエネルギーを使います。私は初め、バンダは修練をして始めて生じるのだと思っていました。しかし誰にでもこのバンダはあるんです。修練する中で自分のバンダに気づき、開発させていくだけなんです。
目に見えない話は、日本で育った日本人にはなかなかしっくりきません。宗教や信仰を持つ人があまりいないからです。でも韓国ではキリスト教徒が多く、神を信じます。師匠もキリスト教徒です。多分、日本でアシュタンガヨガに出会っていたら、無神論者の日本人から学ぶわけですからインド哲学を頭で理解しようとしたと思います。目に見えないものを当たり前に感じられる人からインド哲学を学ぶことで、今、深く心に響いています。
宗教と言っても、中にはご利益だけ求める信仰や、他の宗派を否定する排他信仰もありますが、そういう偏った信仰ではなく、自分を見つめ、心を磨くことを追及し、長年修練している人たちの群れ。それが韓国で私が出会ったマイソール、アシュタンガヨガ修練です。

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