22歳の春、神前で愛を誓う
ミューレ橋の南京錠を眺めて、私のオールドファッションの「愛を誓う」の想いを馳せる。
それは22歳の春、由緒ある島根県の出雲大社での神前の誓い。島根県は夫の故郷だ。東京育ちの私には縁が遠い。でも、夫の家族は全員、出雲大社で結婚式をする習わしだったため、出席者は皆、出雲大社に集合。松林と玉砂利。千年以上の歴史が醸し出す荘厳な雰囲気に圧倒される。待合室で式次第を聞いた後、木造の古びた式場に連れて行かれる。夫はモーニング姿。私は白無垢の打掛けに文金高島田。出席者は林家と椙山家が対面式に座る。私と夫は祭壇の前に立たされる。待っていると5人の神主様が静かに連なって入って来て祭壇に向かって立つ。式が始まった。神主様が祝詞を上げて神様を呼ぶ。祝詞の意味は分からず、どうしてもうなり声に聞けてしまう。慣れない祝詞の節回しに私の家族は笑いをこらえているようだ。ついに誓いの瞬間が来た。式前の説明時に念を押されていたので、神主様が私の名前を呼んだ途端、「はい~!」と甲高く大きな声で答える。これが出雲大社風の「愛の誓い」。私の「はい~!」の返事が太鼓打ちへのキュー。直後、「ドーン!」と大太鼓が打ち鳴らされ、それが誓いの終了の合図だった。
林家は厳か、椙山家は笑いをこらえた式だった。椙山家の方からは「クックックッ」と忍び笑いが聞こえてくる。
ただ、オールドファッションだけどクラシックな良い「愛の誓い」だったと思う。
出雲大社と言えば「縁結びの神」として日本ではもっとも有名で、毎年、11月(旧暦の10月)には日本中の神様がここに集まって会議をする。他の土地は神様が留守になるので「神無月」と呼び、この出雲だけは「神在月」と呼ぶという。会議で何を決めるかは不明だが、私の結婚も長く続くように打ち合わせてくれたのだろうか?そのお陰(?)もあってか、夫との結婚は2回の離婚の危機を乗り越え、夫が肝臓がんで逝ってしまうまで、ちょうど30年間連れ添った。夫57歳、私52歳の、やはり、2月の初春の日。
夫はテレビの番組のディレクター兼作詞家。57歳の人生を「ザーッと駆け抜けた人。
夫の死後、私は渡米、ビジネスに失敗して夫がの残してくれた財産をきれいさっぱり失くしてしまった。カリフォルニアの青い空に向かって、きっと天国にいると思われる夫に向かって、何回「ごめんなさい!」と謝ったことか!
これは結婚指輪。内側に「R to H」と彫ってある。つまり、「良三から日南子へ」だ。
アメリカで財産を失った後、持っていた貴金属をハリウッドの質屋に持って行き、順番に売り払って換金していた。最後に残ったのはこのプラチナの結婚指輪。何回も引き出しから取り出してじっと眺める。これだけは売れない「愛の証」だから・・・と、心がザワザワしながら仕舞い直す。夫の生前、私は当然、常にこの結婚の証の指輪を左手の薬指をしていた。でも、思い出してみると???夫はいつもしていなかった!照れ屋のせいもあっただろうし、今ほど指輪を付ける男も少なかったせいだろうか。でも、なぜ、付けなかったのだろうか?今思うとかなり怪しい!
これは今更の話だけど、ミューレ橋で誓ったたくさんのカップルにもきっとドラマのような愛憎劇があるのだろうなあ~、と、写真を眺めて改めて思った。いつの世にも「愛」は揺れ動く?
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