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永井陽子『なよたけ拾遺』*リズム研究会 読書会リポート

2024/07/07 
 七夕であり、東京都知事選であったこの日、リズム研究会初めての読書会がオンライン開催されました。
 メンバーは、岡部杏里さん(幻桃)、岩舘澄江さん(コスモス)、江口美由紀さん(幻桃)、三好くに子さん(塔)、淀美佑子(中部短歌)の超結社で、ただただ一緒に話したら楽しい集まりです!
 意外とちゃんと読んだことがない名著を、みんなで読もう!という趣旨で、岡部さんが手に入りにくい歌集を図書館で借りてPDF共有してくださり、がんばって読むことができました。
 そして、オンラインで各々が選んだ8首の歌の感想を言うという流れでした。

 永井陽子の第二歌集『なよたけ拾遺』。この歌集、ひとことで言うと、わたしには難しかったー!文語旧かなで、かつ言葉の意味がわかっても歌意はわからないということも多く。しかし、美しく魅力的な語句が、丁寧に並べられていることだけはわかる、名著なのはわかる!という歌集でした(笑)

 ちなみに、今回わたしはかなり、ゆるーく自由に読ませていただきました。
 評論を書くならば、作者やその背景の時代にまで踏み込んで読まねばならない。書評を書くならば、作者情報はそれほど重要ではないけれど、一冊のテキストとして軸になる部分を抽出して読まなければならない。と考えておりますが、「読書会」ということですから。作者の手を離れた作品を、読者がどう読むかは本来自由なものです。わかるわからない含め、解釈に想像を広げるのも自由。自分の感性のおもむくままに、好きな歌を抽出して味わいました。

〈耳〉
 この歌集には、繰り返し出てくる言葉があり、その中でも一番多く気になる語彙が「耳」でした。

   千年を経て届きたる月光(つきかげ)が耳の空洞ひたひたと打つ

   かたくなに人語をこばみ来し耳がいま早暁のみどりに痛む

   にんげんの血が流るると知りし日の耳には耳のかなしみがある

この作者にとって「耳」とは何なのだろう。一首目は、「耳」と「月」形の似た漢字が視覚的に調和しているように見えて選んだ。本来、耳の主な役割は聴覚なのだが、大きな時間や光を耳がとらえている。二首目は、耳にとって一般的な役割であるはずの人語を聴くことを拒んでいて、色を耳でとらえている。しかも「早暁のみどり」とは、通常連想される色の反対色だ。わたしは、この「耳」を「第六感」なのではないかと読んだ。そんな独特な感覚器官としての「耳」を前提に三首目を読むと、肉体の一部として血が通っているということが、与えられた場所でしか生きられないという普遍的なかなしみに昇華されているように感じた。

〈ちちはは〉

   それぞれのおもひはのべず父と母ゆふぐれに焚く火が美しき

 この作者は父を亡くしていて、特に父親の歌が多いのだが、父母を歌っているこの歌が好きだった。
 思ったことを何でも言える関係というのも素晴らしいかもしれないが、日本の夫婦は、どちらかというと愛の言葉にしても、恨み言にしてもあまりストレートに言わず、お互い少しずつ言葉を飲み込んで折り合いをつけながらうまくやっていく傾向にある気がする。そんな言葉少なな父と母と「ゆふぐれに焚く火」は、夕食のために煮炊きする火であったり、お風呂を焚く日々の営みの火であろう。それが美しい。

〈眸・土偶〉

   穴の眸はなにを見たるや月明の土偶よ汝れも少女なりし日

 「土偶」「眸」も繰り返し登場する言葉だった。個人的に「土偶」はとても魅力を感じるアイテムだ。誰もが思い浮かべる「土偶」は、胸や腰がふくよかな流線型の国宝「遮光器土偶」だろう。あの土偶が代表するように、土偶は大地の女神であり、母性の象徴でもある。そのような土偶の女性性に「少女なりし日」を見出しているのが、わたしには想像したことがない発見だった。

〈その他〉

   花柄のテーブルクロスのみ白しすべてのひととこころへだたる

   人をあやめこころくるはすまぼろしの言語は満てり秋の果実に

   婚姻をひそやかに終へ新月の魚類は空へのぼりゆくかな

 これらの歌は、わりと単純に自分の好きな歌だ。「花柄の」の歌はメンバー5人中3人が選んだ歌で、ほんとうに今SNSで流しても「いいね」がたくさんつきそうな歌だと感じた。永井陽子の生きた時代を飛び越えて、わたしは、同じテーブルを囲んでいながら全くお互いに心を許していない「女子会」を想像してしまった(笑)
 「人をあやめ」の歌は、「まぼろしの言語」をどうとらえるかだが、まるで出どころや真偽のわからないネットの虚言のように感じた。これも作者の時代とはまったく無縁のはずなのだが、そんな禍々しい言語が「秋の果実」という豊かで美しい実りに喩えられているのがむしろ恐ろしい。
 「婚姻を」の歌は、幻想的で不思議歌だ。魚の種類によっては交尾した後にオスが死んでしまう。そういった魚類の世界に人間の「婚姻」をもってくることで「婚姻」の本質がどこにあるのか考えさせられるような気がする。結婚や出産に夢が見られない現代の空虚感にも通じるのではないか。新月は暗く、その空へのぼりゆく魚の景の冷たさがいい。

 以上が、わたしの選んだ歌とその鑑賞だが、やはり読書会メンバーみんなの選と鑑賞を聞くと、自分が読み解けなかったり、気になるのに言語化できずにスルーしてしまった歌などが紐解かれ、とても得るものが多かった。

〈岩舘澄江・選より〉
   こころまでひさぐにあらぬ月の夜の輪切りにされてびろびろのレモン

「びろびろのレモン」の衝撃!と岩舘さんが率直に言ったとき、ほんとそれな!と思った(笑)歌の意味をどう説明したらいいのかもよくわからないけれども、結句の強さがこの歌の強さだ。それを素直に拾い上げて、素直に評するのは簡単なようで難しいと思う。個人的に、歌会に出てあれこれ講評することに慣れてくると、言及しやすい歌に選が流れる危険性を感じていて、この歌を選べなかった自分がまさにそうだった気がして反省した。

〈江口美由紀・選より〉
   よろづ世の鬼神を祀るこの家の長男長女菜の花博打

これも気になる歌で、わたしも何度もくりかえし読んだ。登場する語彙の調和が魅力的で、しかし、まっったく意味がわからなかった(笑)鬼神を祀る家とは何なのか、子どもの遊びの景なのか、お金を花に喩えた景なのか、次男次女もいるのか。これを臆せず江口さんが選んだのも良かった。みんなで話し合って、結局歌意は読み解けなかったが、みなが魅力を感じていたことが確認できた。

〈岡部杏里・選より〉
   ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ
   踏みつけて踏みつけられて帰り来るそのくつのみが月光に濡れ

岡部さんの選は、ほんとうにその美意識に一本筋が通っていて、その軸は「リズム」だ。この「リズム研究会」の発起人であり名づけの通り、韻律の美しい歌を選び出す。わたしは、言葉の意味や思想に惹かれやすいので、韻律を丁寧に味わって読むことを教えてもらえてよかった。櫛の持ち主の不在感や、踏みつけられた靴を美しい景につなげる意外性など、作品世界の解像度も上がった。

〈三好くに子選より〉
   座せば人なべていのちを落とすとぞ長椅子は夜のひかりにまみれ

三好さんも自由闊達な読みで想像を広げ、連想される既存の文芸や劇作なども取り上げながら鑑賞をしていた。この歌の長椅子は、病院の待合いの椅子だろうと想像し、そこに救命病棟24時のようなドラマを読ませてくれた。この貪欲な想像力が、実作にも生きているんだなあと納得。

 第一回読書会、とても充実して元気をもらえました。メンバーに感謝!

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