VRChatで一体何が起きているのか

「結局、みんなVRChatで何をしているの?」という質問には大抵、中にあるコンテンツをだらだらと羅列するか、冗談交じりに「飲み会w」などの答えが返ってきてしまうので、「どうしてそのゲームに何千時間もログインし続けているのか」の本質的な答えにはなっていない。

ここに私なりの答えを書いてみることにする。後述するがこれはほんの一例なので正しいとか間違ってるとかいうのはそもそもナンセンスである。本当の意味で知りたいならとっととVRChatに来てその目で確かめて欲しい。

生活

VRChatで何をしているのか。「何でも」である。動画を眺め、友達とおしゃべりし、写真を撮ってSNSで共有し、ゲームワールドを渡り歩く。飲み会をする。特別な人と出会い、恋をする。喧嘩したり別れたりもする。ここにあるのは生活のほとんど全てであり、故に「何をしているのか」と訊かれると逆に困ってしまう。これを"外"の人間に説明するには、アナロジーを用いるしかないと思う。

かつてスマホが爆発的に普及し始めた頃、よく「電車の一車輛まるまる全員スマホ見てる」的な話が取り上げられたものだった。そしてスマホをまだ持ってない人々は彼らを訝しみ、問うのだ。「みんなスマホで何やってんの?」と。

"外"の人間が今VRChatに向けているのはまさにこれと同じ類の不快感なのだと思う。スマホを持っている人間は、スマホでニュースを眺め、漫画を読み、友達とおしゃべりし、SNSで承認欲求をおもちゃにし、その合間にゲームをいくつもはしごしたりする。そのうち買い物や恋愛までスマホでするようになっていく。生活の主体がスマホの中に移行したことで、「スマホで何やってんの?」と訊かれても簡単に一言では答えられなくなってしまった。だから使ってない人は彼らが何で一日中スマホを見ているのか理解できず、トンチキな注意喚起や言説が飛び交ったものである。「一億総スマホ時代!」などとアホな記事が週刊誌に載り謎のオッサンが説教をテレビで垂れ流していた。10年も経たないうちに公的機関が公式LINEアカウントを持つのが"普通"になるのも知らずに。

同じことが、VRChatで起こっている。それが私の答えだ。

基底現実というパラダイム

謎の機械を頭に被って虚空と会話している図は「電車全員スマホ」より更に不気味に映るだろう。まあそれはわかる。

確かに、スマホでLINEなどのメッセンジャーが普及した頃、私も多少は思った。「こんなテキストのやり取り、基底現実での会話に比べれば他愛のないものだ」と。それが今はどうだろう。スマホでメッセージをやり取りしない恋人同士なんてものがいたら天然記念物である。歴史的に、メッセンジャーが無い時代というのがあまりにも長かったので、急に出てきた新しい概念に適応するのに何年もかかかってしまった。しかし逆に言えば、何年か経って慣れてしまえば、それはもう当たり前の日常になるのである。

VRSNSはSFで予言されていたパラダイムシフトなのか?おそらくはそうだろう。私にとってはそうだ。これが完全に「そうだ」と言い切れるようになるには未だSFの域にある「没入型」の登場を待たなければならないだろうが、とにかくそれはもう始まっている。

"外"にいた頃、友達と会って何してた?ご飯食べて、おしゃべりして、あとは趣味の何かを色々。でもそれって本当に"外"じゃないとできないことなんだろうか?……VRChatで過ごしていると、このことについてよく考える。ほとんどの場合、答えはNoだ。心底そう思えるようになるまでには私も多少時間がかかった。でも慣れてしまった今、そうなのだ。ここには何でもある。少なくとも、満足に暮らせる程度には。

現実には勝らないと思っていた。目の前にいるように感じても、触れることはできない。毎日"会って"いる相手のリアルの姿も知らない。会いたくなくなった相手と連絡を絶つのも簡単で、儚く脆い人間関係。所詮「現実の温かみ」には勝てない、それがVRSNSだと思っていた。

だが実際には、余裕でVRが勝った。……紙の本が電子書籍に駆逐されていったように。電子書籍の過渡期は数年にわたり、論争や法整備で手間取る一幕もあったが、最後には勝った。いずれVRSNSもそうなると私は確信している。紙の本には手に取った時の重みや、中古流通、ある日突然サービス終了になって読めなくなったりしない、などのメリットが確かにあったが、いずれも電子書籍から得られる巨大なメリットに比べれば些細なものだった。VRSNSの人間関係は確かに儚い。恋をしても相手に触れることもできない。でも、VRSNSで暮らすことの楽しさや便利さの前では、そんなことはまったく些細な事なのだ。

VRの住人

で……一例として、そんな私はVRChatで何をしているのかも書いておく。よくバーで飲んだくれています。あと一年中やってる海の家で友達とおしゃべりしてます。たまに友達の家(もちろんVRChat内の)に行ってだらだら過ごしたり、話題のスポットに行って写真撮ったりゲームしたりしてます。そんな感じ。

現実でもできるじゃん!! なんでわざわざVRChatでやるの?

と思うのは"外"にいればまあ当然である。違うのだ。

「わざわざVRChatでやる」のではない。「わざわざ現実でやらない」のである。

一つ一つ言語化してみよう。まずバーだが、最大の理由は実際に出かけるより長居できるからだ。よく通っているAtrangelというバーは夜中の2時までやっているのだが、リモートワークとはいえ翌朝9時に出勤する人間が夜中の2時にバーを出たら、家に帰って風呂入ったりして寝るのは早くても3時とかである。終電を逃せば交通費はアホほどかかるし、そんなことをしょっちゅうしていたら健康を害しまくるし仕事にも悪影響ありまくりである。VRChatならそもそも寝る準備をしてからバーに行けるので店を出てから寝るまで1分だし、交通費もゼロだ。好きな飲み物を好きなように作って飲めるし、そもそも別に飲まなくてもいい。席料なんて概念は存在しない。6時間の睡眠が取れるなら、週に数度ならそれほど健康面の心配もいらない。翌朝には元気モリモリ。最高だ。

次に海の家だが、これはすごいぞ。なにせ周囲にいる「友達」、全員美少女。水着の美少女。もしくは美女。なんか男性っぽい声がするとかの些細な違いはあるが、気の合ういつメン、仲間たちが全員現実にはあり得ないほど可愛いというのはマジで健康にいい。こういうことを書くとホモソーシャルがどうのとか言われるらしいので一応補足するが、美少女よりイケメンに囲まれたければイケメンがいっぱいいるところに行けばいいし、人間やめてふわふわのくまちゃんなどに囲まれたければくまちゃんがいっぱいいるところに行けばいい。要はコミュニティやイベントは無数に存在するので、自分にとって健康にいいと思われるところに行けばただちに夢が叶うし健康になれるってことだ。

友達の家でだらだら。これはどうか?バーと同様移動時間がゼロというのもかなり大きい。だがそれ以上に、遊びに行くハードルの低さがすごい。まず「部屋にいる」ということ自体がすなわち遊びに来てもいいという意思表示にもなるので、事前にいちいち尋ねたり予定を確認する必要がない。そして去るのも簡単なので、「5分だけ入ってぐだぐだ喋ってスッキリしたらとっとと帰る」みたいなことができる。これは現実ではたとえ徒歩5分の所に住んでいようと気軽にできることではない。でもVRChatではできてしまう。そして時には"外出"する……「まず家に行って、『今から××に行かない?』と尋ねて、OKならただちに出発」なんていうのはとてもVRChatでなければできない。ましてやその行先は宇宙だったり砂漠だったりするわけで、手ぶらでサッと行って帰ってくる気軽さは"外"には絶対にないものだ。もう一度言う。

「わざわざVRChatでやる」のではない。「わざわざ現実でやらない」のである。

もちろんデメリットはある。

なかなか再現の難しいアクテビティもあるし、そもそもワールド自体ユーザーが好き勝手作っているのでクオリティもまちまちである。

渡したいものがあってもその場で渡すことはできない。貸し借りもできない。

飲食物は自分で用意するしかない。

例のヘルメットみたいな機械は実はなくても遊べるのだが、あるのとないのでは全然違う、のだけど初期投資としてはやはりちょっとしたスクーターくらいかかる。Quest2とかいう爆安優良機もあるが単体だと色々制限があって結局PCも欲しくなるし。

でも、だから何?

これももう一度言うが、これらのデメリットは、VRSNSで暮らすことの楽しさや便利さの前では、まったく些細な事なのだ。

だからみんなVRChatにいる。何千時間をVRChatで過ごす。これから何万時間になっていくだろう。みんなもう、VRChatに、住んでいるのだから。

エンドコンテンツ

これは本当に個人的な体感なのだが、VRChatでの生活は、今まさに物語のハッピーエンドの部分にいるなあという感じがある。「何年か生きてきて、色々大変なこともあったけど、こうしてVRChatで楽しいお友達に囲まれて、幸せに暮らしましたとさ。ちゃんちゃん」というわけである。今「幸せに暮らして」いるという実感がものすごくある。

これの副作用として、"外"に引きこもっていつまでもVRに来ない人間のことがわりかしどうでもよくなってくる。いつまでも"外"で苦しんでいる人のことは本当にどうでもいいし、なんで無駄なことしてるんだろうって思う。手を伸ばされたら引っ張り上げて助けてあげよう、くらいの気持ちはあるが、なにせVRChatに住んでいる以上、VRChatに来てもらわないことには手の取りようがない。

「会って相談したい? じゃあVRChatで話そうよ。 え、来ないの? そう……。[完]」

これがあるのでVRChatはなかなか"波及"しないんじゃないかと個人的に思っている。スマホの良さをスマホ持ってない人に伝えることを想像してみてほしい。まず会うのがめんどいし、URLを送り付けることもできないし。来いと言って来ないならもうあとは知らん。そいつがいなくても新しい友達はVRChatにいれば無限に増やしていけるし。来てくれないならもうそれは「旧友」でしかないよね。

VRChatへの移住は、まさしくエンドコンテンツだ。物語がここで終わってしまった。これからもここでは色んなことが起きる。よく遊び、よく学び、何かに打ち込んだり、無為な時間を過ごしたり。いいことも悪いことも全部VRChatの中で起きる。残念ながら、辛い思いをすることもある。"外"と違うのは、ただ色んな事がものすごく便利になって、その代わり少しの不便もあるというだけ。そうして起きる様々な人生もイベントも、結局は「幸せに暮らしましたとさ」の一文に集約されていく。

VRChatで我々は一体何をしているのか?

それはわからん。だがとにかく、「何でも」だ。だってここに「住んでる」んだから。

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