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向日町競輪に行ってきた。この開催が終わったら5年間の全面改修に入るため、なじんできた古い施設は見納めになる。8日(日)が決勝戦で本当の最後だが、今日で最後です、みたいな日に行くのは何となく嫌で、前日の準決勝にしておいた。向日町は自宅から最寄りの競輪場になる。かつては、西宮・甲子園というもっと近い所があったのだが、それらは2002年廃止になった。岸和田、奈良もそれほど遠くはないが、複数の会社線を乗り継がなければいけないので交通費がかかる。生観戦がますます縁遠くなる。

最初に向日町に行ったのはいつか。過去の手帳を見ると1996年には行った記録がある。それより前にも行ってるような気はするがハッキリとは覚えていない。その後は、何度も足を運んでいる。競輪から離れた時期を経て、もう一度、競輪の研究に取り組もうと思いなおした2010年頃以降は、より頻繁に通った。大学生の大会や、高校生の日韓親善交流戦なんかを見に行ったこともある。そういう大会の時は、バンク内から見学もできた。アウトプットにつながらなかったそれらの取材記録もいつかここなどに書いて残しておきたい。


きれいな施設の平塚競輪は無料だったが、きっちり50円徴収
楽園への入り口

東向日の駅には昼前くらいに到着。歩いて15分程度なのでいつもは歩くのだが、乗り納めだろうということでオケラバスを利用した。お母さんとちびっこ、という組み合わせが何組かいて、選手の家族かなと思ったが、プリキュアショーがあるようで、それ目当てに家族連れが沢山来ていた。運営会社の企画らしい。


リニューアル後、彼はどうなっているだろう


なぜこんなところにプリキュアが来ているのか、という疑問は心の奥にしまい込み、目の前にプリキュアたちがいる、という事実をストレートに喜べることのすばらしさ。
5年後の向日町競輪は君たちのものだ。


施設はボロボロで有名だった。最初に行き始めた頃も、もちろん綺麗ではなかったが、スタンドもゆったりとしていて、居心地の良い空間だった。食堂なんかも何軒も営業していた。しかし、ここ10年、老朽化はどんどん進み、耐震基準を満たさないということで、いくつかのスタンドが立ち入り禁止になった。特別観覧席は2018年の地震以降、ほとんど閉鎖されていた。一番目立つ建物が立ち入り禁止の施設というのも珍しい。これは向日町に限らないが、ネット投票が中心になると客入りはどんどん悪くなり、現場客相手の商売は成り立たなくなって、食べ物屋はどんどん廃業していった。ホルモンうどんが名物だったが、最後に食べたのがいつか、覚えてない。海苔巻きとか、土手焼きとかを買って食べたのは、そんなに昔ではないような気がするが、今日時点では全店舗店じまいをしていた。

夢の跡

9月だというのに最高気温は34度くらい。暑かった。メインスタンドに座って、ぼんやり観戦した。体調がイマイチで、喉の調子も悪く、金網から声援を送る楽しみも実践できなかった。車券は固いのがかすったくらいでハズレばかり。でもまぁ楽しかった。準決勝の一つ目は地元の山田久徳が地元の売り出し中の若手・窓場千加頼の強力先行を追い込んで勝ち、大盛り上がりだった。最終レースは、輪界のトップスター・脇本がぶっちぎって勝利。こちらも盛り上がった。

平安時代の絵師が残した壁画

場所の記憶を脳裏に焼き付けよう、という思いからついいろいろ写真を撮ってしまった。でも、どうせすぐに忘れるのだ。自分は普通の人よりどうやら記憶力にかなりの難があるらしい。甲子園、西宮競輪も、断片的なイメージしか残っていないし。リニューアルオープンする5年後を楽しみに、なんてとても思えない。若い時ならそんな気にもなったかもしれないが、5年経ったら自分はどうなっているのか、今より状態が良くなっている可能性はほとんどない。生きてはいたいと思いますけど。とにかく「新しくできるもの」を楽しみにする気持ちは全体的にほぼゼロになっている。年取るとそんなものだろう。

美しい廃墟、特別観覧席を臨む
閉鎖中の1角のスタンド、1センターの階段席。かなり良い場所だった。
奥には京都市内が見渡せる
出口に向かうファンのみなさま
破れ傘刀舟

帰りは駅まで歩いた。西国街道にあたる道が近道でさすがに外れとはいえ京都、何となく風情があるオケラ道だ。お地蔵さんが祀ってあるちょっと立派な祠があったり、ちょっとした田んぼがあったりで。この道を通るのも、東向日の駅を使うのも、最後かもしれないなぁ、と思いながら帰ってきたのだった。暑かったから、駅のホームで「本麒麟」という第3のビールを飲んだが、びっくりするくらいイマイチだった。おわり。

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