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『ギャンブルレーサー』の田中誠さんに会いに行った話

 私が競輪に興味を持つきっかけの一つがマンガ『ギャンブルレーサー』だった。競輪場に初めて足を踏み入れたのと、このマンガを読み始めたのはほぼ同じ頃だったと思う。競輪場の、まるで「戦後すぐ」のような「欲望むき出し」の混沌とした雰囲気と、レースのプロスポーツとしての素晴らしさとのミスマッチな感じに魅了され、競輪場に通うようになったのだが、『ギャンブルレーサー』には、まさに自分が感じたような競輪世界の面白さが描かれていた。デフォルメの効いた個性的な絵柄で、ギャグが散りばめられていながら、競輪ファンたちの様子や選手たちの姿には、なんとも言えないリアルさがあった。マンガとしてとても面白く、競輪には興味がないけど愛読しているというファンも多い作品で、競輪の歴史を描いた拙著『競輪文化』でも、競輪を象徴する作品として取り上げている。
 拙著刊行までの経緯は「あとがき」や、出版社のサイトに詳しく書いたので繰り返さないが、最初に取り組んでから刊行まで20年というとてつもなく長い時間がかかってしまった。その間に『ギャンブルレーサー』の連載(続編も含め18年もの長期連載)は終わってしまったが、いつか研究成果を世に出す時が来たら、作者の田中誠さんにもお送りしたいなとずっと考えていた。本を出せたのは、今から5年前だった。何人かの方に献本をした。慣例に従って、大学院以降にお世話になった教員や、調査でお世話になった競輪関係者などに送り、スポーツ新聞の記者さんたちにも連絡先が分かる人にはお送りした。この時、田中誠さんにもお送りしようと思ったのだが、宛先をどこにすればいいか分からず保留となっていた。マンガの連載をやってらっしゃらなかったので、出版社に送るのはまずい気がしたのだが、今思うと普通に講談社に送っていれば転送はしてくれただろうと思う。
 刊行から二年くらい経った頃、アオケイという競輪予想紙が田中さんのイラストを使っていることを知った。関西の競輪ファンにとって関東の予想紙はかなり縁遠く、気づかなかったのだ。田中さんが、西武園競輪場の広報マンガをネットで連載している(ギャンブルレーサー.com)ことも、この時、知った。本当に迂闊な話だ。もしかしたら、もうマンガや競輪に関する仕事はやってないのかも、と心配していたので、どういう形にしろ新しいものを創り続けられていると知って嬉しかった。
 というわけで、ネットにあったアオケイの編集部住所に献本を送った。しばらくして、本田さんという記者から「田中さんが直接お礼をいいたいそうです」と連絡をいただいたので、教えてもらった番号に電話をした。
 献本させていただく前から既に拙著を読んでいただいていたこと、それは、懇意にされている選手OBの桜井久昭(28期)さんから「読め」と勧められてだったということなどをお聞きし、内容に関してお褒めの言葉をいただいた。『ギャンブルレーサー』作者からの好意的な反応に嬉しくなり、興奮していろいろ余計な話をしたのを覚えている。キャラクターでは、常荷金作が好きなんです、とか何とか。初めての電話でする話やないやろ、ってことをいろいろ。(「つねにきんさく」は、主人公・関優勝の弟子のひとりで比較的常識人的なキャラクター。)

「西武園競輪場のすぐ近くに住んでいるんです。選手OBたちが家に集まって飲んだり、泊っていったりもよくしてます。西武園競輪に来られることがあれば、ぜひ寄ってください。競輪について人と話すのは大好きなので」と田中さんに言ってもらったので、これはぜひお伺いせねば、と心に誓ったのだった。
 コロナが始まった時期で、収束したら訪問しようと、思いつつ2年が過ぎてしまった。その他、競輪選手への聞き取りなども地味に続けようと思っていたのだが、そういうことがやりにくい状況が続いた。

 今年、西武園競輪場でオールスター競輪という大きなレースが行われることになった。オールスターは、近年、お盆の時期に6日間の日程で開催されるようになっている。自分も仕事は休みだし、貧乏旅行の強い味方・青春18きっぷが使える時期でもあり、コロナ前には、名古屋競輪場や、福島県のいわき平競輪場にも観戦しに行ったことがある。去年は、まだ無観客開催だったが、今年は普通に有観客で開催されるようだし、ちょっと行ってみようかと思った。もちろん、この夏だってコロナ感染者はどんどん増えているのだが、自分も世間の「空気」に流されて、そろそろ動き出しても大丈夫か、という気持ちになった。西武園は未踏の競輪場だったし、この機会に田中さんにも挨拶させてもらおうと。
 また競輪選手会埼玉支部の支部長・白岩大助選手から、連絡をもらったことがあり、この機会に挨拶できたらいいな、というのも後押しになった。(西武園は埼玉県が運営している競輪場。)現役の選手に「読んだ」と言ってもらえたのは、白岩選手からだけだったので、ありがたい連絡だった。

 相変わらず貧乏なため、18きっぷで10時間かけてちんたら東京方面に向かおう、ということは決めたが、事前に連絡するのはちょっとためらわれた。コロナを考えると非常識かもしれないし、どうしよう。現地近くまで行ってから「来ました」と伝えて、競輪場でちょっと挨拶させてもらえば今回はいいか、というようないい加減な計画で、とりあえず東京方面に向かった。
 12日朝、大阪を出発。到着は夜。その日は、東京在住の友人に奢ってもらいメシを食べ、新大久保の安宿に泊まった。明けて、西武園競輪場へ、という予定だったのだが、台風が直撃ということになり13日のレースが順延になってしまった。13日が準決勝、14日が決勝でこの二日を観戦の予定で出発したのだが、つまづいてしまった。電車の道中含め、旅行記はまた別に書こう。挨拶だけでいいか、と言いながら、もしかして泊めてもらえるなんてことになるかもしれないから、と皮算用して、宿は初日しか取ってなかった。スマホがあるし、必要になったら安宿くらいすぐとれる。で、二日目は新大久保のカプセルホテルに泊まることにして、ようやく田中さんに「明日行きますんで」と電話をした。競輪場近くの駅に来てくれたら迎えにいくから、ということで翌日のお昼に待ち合わせた。

 オールスター競輪はナイターで設定されていて、開始は夕方前。お昼にお宅にお邪魔した。応接室には冷たいお茶を用意していただいてた。その後、3時間以上、お話させていただく。『ギャンブルレーサー』にまつわるいろいろから、デビューの経緯や、マンガ制作の現場のお話まで。インタビューとして聞いたわけではないから、仰っていたこといちいち紹介するわけにはいかないが、とにかくいろんな話を伺った。大きなお宅だが、もともとは仕事場としても利用しており、連載を持っていた頃は、アシスタントさんや、編集者の方が始終出入りしていたそう。そのため、誰でも泊れるスペースがあり、昨日も知り合いが泊まっていたとのことだった。「宿、どうしてますか?」と聞かれたので、これ幸いに「実は取ってないんです、グヘヘヘ」と厚かましくもお願いし泊めてもらうことにした。「じゃぁ、布団干してきますね」と優しい田中さんだった。

 夕方になり、私はオールスターを観戦に向かった。埼玉県選手会の皆さんがファンサービスのブースを出していたので、白岩選手に初めましてのご挨拶。お忙しい中、丁寧に対応していただいた。ガールズケイリンの人気レーサー野本選手もいたから、ニヤニヤとツーショット写真を取ってもらったりして、初めての競輪場を満喫した。観客も多く、女性も1割以上はいるようだった。自分が競輪に出会った頃では考えられないことだ。当時の競輪場は100万パーセント男性客という感じで、女子トイレにおっさんが平気で入っていったりしていたくらいだったから。もちろん変態ということではなく、どうせ女なんか来んのやからええやろ、ということで。隔世の感。

白岩大助選手(日本競輪選手会埼玉支部長)


 家で仕事をされていた田中さんと合流。準決勝、最後の二レースは一緒に観戦することになった。この日は暑く、かつ朝からいろいろあったりもして、思考力がほとんどなかった。しかも田中さんと当たり前のように喋っているというこの状況が異常で、不思議な気分で夢の中でレースを見ているような感じだった。最終レース、私の最も好きな選手であり、西武園競輪を本拠地にする地元の大スター・平原康多選手が登場したが、残念ながらゴール直前に落車してしまった。自分が現地で応援すると、こうなりがち。平原選手のためにも、自分は応援すべきじゃない。なんてことを考えつつも、この日、車券はあまり買っていなかったので、ちょっと損したくらいですむ。本当ならレース前にいろいろ展開を考えるのが競輪の楽しみなのだけど、こんな事情なので前日の夜は、田中さんに会ったらどんなことを聞くかを考えたり、ネット連載を復習したりする予習に当て、ほとんど検討できていなかった。
 レース後、お宅に。ご飯を用意していただいており、飲みながら、長々とお話をうかがう。気が付けば、朝4時にもなっていた。田中さんはもともとお酒はお飲みにならなかったそう。ここ数年で飲むようになったとのことだった。アシスタントさんや編集者たちが泊まって来たであろう部屋に寝させてもらった。

 諸々興奮していたため、4時間ほどで目が覚める。今夜はさすがに東京に戻ってカプセルホテルにでも泊まろうとサイト検索などをしていたが、連泊してもらっても大丈夫ですよ、とのことでそのまま厄介になる。プライベートなことなども含めあれこれ伺い、また夕方には自分だけ競輪場に行き、レース後、田中さんの家に戻った。本当に宿として利用させてもらったよう。
 サイトの連載は、月に二回更新で、思っていた以上にその仕事に時間を掛けられている様子だった。昼間は、そのためのイラストを描いてらっしゃったそう。今は、手書きでラフに描いたものを、パソコンに取り込んで、フォトショップを使って丁寧に加工する、という手順で作成されている。

作業用画面。撮影許可いただきました。

 すみません、戻りましたと声をかけると、田中さんは今のレース(オールスター競輪・決勝戦)をネットで確認されているところだった。「取りましたか?」と聞かれ「全然だめでした」と答える。レースの流れを見て、なんでこの選手はここで引いたんだろう、これはあの「早期追い抜き」なんて変なルールのせいだな、とおっしゃっていた。なるほどそうかと頷く指摘多し。前日の競輪場でも、レースをぼんやり眺めながら「私も現役の頃(『ギャンブルレーサー』連載時)は、一回レースを観たら、後から何も見ずに展開図を再現できるくらいだったんですがね」とおっしゃっていた。
 この日も、朝の4時まで話し続けることに。次の日は、また10時間かけて大阪に戻ることにしていたから、若干心配になりつつも、まぁ何とかなるだろうという気持ちだった。

 田中さんは、とにかく、とてつもなく真面目な方だった。ご自身が生み出したキャラクター・関優勝の正反対に見えた。マンガを連載するということが、どれほど精神をすり減らすことなのか、というのも、想像していた以上のことだった。ギャグ漫画家は特に正気を保つのが大変だ、という話は聞いたことがあったが、田中さんの場合は『ギャンブルレーサー』をリアルにするための準備作業が、怖ろしいレベルのものだった。今と違ってネット環境が整っていなかったため、選手の情報なども手作業で集めて整理し、登場人物たちの競走成績はマンガで描いてない部分も全部きっちり設定する徹底ぶりだったそう。田中マンガのキャラクターたちは指が描かれていないのがファンにはおなじみだが、あれはディズニーなどの影響かなんて思っていたのだけど、準備期間を考えて逆算したら、とても指は描けないからと省略したのだそう。
 ご自身のネット連載にも書かれているし、ウィキペディアにも出ていることだから書くが、田中さんのお母さんが敬虔なクリスチャンだという話を聞くと、納得できるような気がした。子どもの頃、教会に無理やり連れていかれるのが嫌で嫌でしょうがなかったという。お母さんは、進化論を否定するくらいの、おそらく福音派のかなり原理主義的な信仰をお持ちのよう。そのため、最近の「統一協会二世」問題は、完全に他人事とは思えないのだ、とおっしゃっていた。ご自身には、キリスト教の信仰はないとのことだけど、田中さんの抱える「真面目さ」は、プロテスタンティズムに由来するものだろうと「似非社会学者」の私は安っぽく分析せざるを得なかった。
 初めての人に会うという時、当然、いろんなことが心配になる。中でも、最近は「嫌な政治思想を持っていたらどうしよう」というのは結構大きい。もちろん、他人が違う意見を持つのは当然だから構わないし、大人なので相手に話を合わすこともそれなりにできる。とは言え、自分から見たらクソみたいな政治家を尊敬していると言われたり、あるいは、外国に対して差別するようなことを平気で言われたりしたら、ちょっと堪らないな、尊敬してきた相手だったら、余計に寂しいだろうな、ということはやはり思う。田中さんにお会いする前も、そのことは少し心配だったのだが、完全な杞憂だった。具体的な名前は差し控えるが、話の中で嫌いな人間だとあげられた名前は、全員、私も大嫌いな奴ばかりだった。特定の思想信条があるというより、他者に対して寛容な精神をお持ちで、自分の利益しか考えず平気で人の尊厳を踏みにじるような人間を軽蔑してらした。公的に政治的な主張をされるのはお嫌いなようだったが、とにかく、それをうかがって心から安心し、私のほうもぺちゃくちゃと好きなことを言うような感じにさせていただいた。
 また数時間だけ眠って目が覚めた。昼前くらいに出れば、終電までには家に帰れそうだったから、帰る準備をしつつぼんやりしていた。聞いたお話について、いろいろメモをしたりしながら。鍵かけて勝手に帰ってもらっていいですよ、とのことだったが、しばらく待っていると、見送りにわざわざ起きてきてくださった。これをチャンスと「あの…すみませんが、サインを一枚描いてもらえないでしょうか」とお願いをした。めったにない機会だし、ここを逃したら次はないかも、と厚かましく。で、描いていただいたのがこちら。本当に一生の宝です。


「またいつでも来てください」との言葉をいただき、お宅を後に。次、いつ行けるかなとあれこれ考えつつ、10時間の帰路についたのだった。競輪について、また何か書かなければいけない、という思いを新たにした。(おしまい)





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