見出し画像

3年前、父が亡くなって母は独り暮らしになった。父が元気だった頃は、お煮しめやら田作りやら用意して、一般的な迎春的なことをしていた。父方の祖父は神主で、家の宗教は神道ということになる。父母が結婚した時に買った神棚はずっとおいてあり、正月には榊を用意したり、高めのお神酒を飾ったり、年が変わる時には蝋燭に火をつけたりして、家族内でも「めでたい」みたいなことを言い合ったりもした。大晦日の前日には大掃除なんかもやり、紅白が始まる時間には父ちゃんはかなり酒を飲んで酔っ払っていることが多かった。見慣れない歌手が出てきたら「わけがわからない」と文句を言い、古い歌手が出てきたら「いつまで昔の歌うたっているのか」とこれまた文句を言ったりしながら、ああこれ以上飲んで酔っ払って絡まれたらいやだなぁ、と心配しつつ、それでもまぁ新しい年が来るんだな、来年はよい年であればいいな、なんて思ったりした。父方の親戚は北海道なのでめったに来なかったが、母方は福井でたまに親戚が来て賑やかな年越しになることもあった。父が要介護になってからはもう酒も飲めなくなったし、年越しもどんどん形式的なものになっていった。嚥下障害があったから他の家族だけ何か食べるというのも気の毒だということもあった。父が亡くなってからは、毎年、私が一緒に過ごしている。年末になるとスーパーでもお節の材料が並べられているから何も作らない、何も買わないのも寂しいのだろう、二人分しかいらないのになんやかや用意している。今年も大晦日は、夕方に実家に向かった。父の墓参りに行った時に飾ったという小瓶の大吟醸を飲みながら、いつものお煮しめ、なます、あとは出来合いの真空パックで買ってきた、数の子やら、ニシンの昆布巻きやら、カマボコやらをつまみにぼんやりテレビを眺める。ADHD的な性格の母は、台所でいろいろ動き回りながら、若い時の思い出やら、最近の近所の人たちの事情やらを、あっちいったりこっちいったりしながら話し続ける。大半は何度も聴いた話。今、自分の家にはテレビがないので、画面には私の知らない人が沢山出ている。朝ドラと大河と幾つかドラマも見ていて、ラジオ深夜便を聞き、新聞も毎日読んでいる母は、世間について自分よりよく知っている。紅白に小栗旬が出ていたが「小栗旬は背が高いからかっこいいな」というようなことを言っていた。私は顔が分かる程度の知識しかなかったから、背が高いことも知らなかった。鎌倉殿はやはり面白かったらしい。だから来年の松潤は厳しいだろう、みたいなことを言っていた。紅白に出ていた若い歌手たちは流石によく分からないようで、わけわからんな、とは言っていた。私は、お目当てのK-popガールグループの時間だけ見計らって偶然を装ってチェックしつつ、裏番組に何度も変えながら大晦日気分を味わっていた。蕎麦は自分がゆでた。福井では大根おろしをぶっかける食べ方が一般的で、せっかくだからとそういう食べ方をした。ここ20年くらい、福井の蕎麦がこっちのスーパーにも並ぶようになっている。年越しの時間、ベランダからUSJで花火があがるのを確認。昔、酔っぱらった父が、近所の神社に出かけて、途中の寺で無理やり除夜の鐘をついて迷惑がられた思い出話を今年もまたなぞる。母が寝た後、テレビをみたり、スマホでツィッターを眺めたりしながらだらだらビールを飲んでいた。

元日は、形式的に雑煮を食う。「一応、悪いから」と父の故郷の北海道タイプらしいのを作る。鶏肉と大根とかが入っている。福井は昆布をしいて白菜と白みそだけ、だったと思う。そこに鰹節をぶっかける。子どもの頃は福井で年越しもあったので、私はそっちの方が思い出の味で、好みでもあるのだが。そういえば、注文しておいて買う「ザ・お節」は家では一度も買ったことがない。一度、正月に友だちの実家にお邪魔した時に初めて食べた。こういうの本当に買っている家あるんだなと思った。去年は、近所の神社に行って、その後、大阪天満宮に行った。今年は、西宮神社に行くことになった。ここは両親が結婚式をあげた神社なので、思い入れがある。二人は、共に西宮で下宿していた縁で知り合った。予約もなにもせず、元日に行っていきなりやってくれ、といって二人だけでやってもらったらしい。「昔はのんびりしてたな、今やったら絶対無理やろうな」という話は、もちろん何百回も聞いた話だ。JRの最寄り駅からは10分くらい歩く。膝が悪く人工関節を入れる手術をして、また歩けるようになったから可能になった遠足。いい天気で機嫌がよかった。西宮神社は十日戎がメインイベントだから初詣客はそんなにいないだろう、と母は言っていたが、昨今のスピブームもあってか、かなりな人出だった。神社の前には露店も並んでいた。「コロナは終わった」ということなのだろう。学生の感染報告は次々に来ていたし、感染者数もすごいことになっているのだが…。祭りとか、露店とか、父は大好きだった。「お父さんおったら、絶対酒飲んでるな」と言いながら、境内に向かう。並ぶのを覚悟したが、社殿前はそれほどでもなく、待ち時間などはなかった。母の簡単スマホで写真をとってやったりしながら、付き合いで普段は出さない賽銭を10円だけ投げて祈る。世界が平和でありますように。そういえば、母と同じ日生まれのアントニオ猪木はもうこの世にいないのだった。茶店で甘酒を飲む。子どもの頃に、家族でここに来て甘酒を飲んでうまくもまずくもないと思ったことを思い出す。今は美味い。帰りに猿回しを見る。猿が可哀そうで楽しくはないが、母はそれなりに面白く見ていたよう。小沢昭一が太郎次郎を探し出したんやね、というような話をしていた。NHKを見て新聞を読んでいるからこその博識。阪神の西ノ宮駅の方にも行く。コーヒーの飲めるチェーンのパン屋が営業していたから入る。母は毎朝、チーズトーストを食べているらしいが、今日は雑煮だったから物足りなかったようだ。同じく初詣帰りか、かなり年寄りな感じの人たちが元日からコーヒーにパンを食べているのを見て「いっぱいいるな」と安心していた。正月は正月らしいものを食うべし、というのは、つい最近まで習律に近い規範だったのだ。母には、解放感と寂しい思いとが両方あるのだろう。昼過ぎには実家に戻る。少し昼寝をしてから、家に帰ることにする。母は「毎年付き合わせて悪いな」と甘酒代とコーヒー代に色を付けた額を渡そうとする。天命を知る歳を軽く越え、未だにお年玉をもらう自分について一瞬何かがアレするが、じゃぁ、まぁ、もらっておくわ、また来るし、とあっさり受け取って、自転車に乗って帰って来たのだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?