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居酒屋

人の歌を聞いて泣いたのは、幾何ぶりだろうか。

実家であるスナックでチーママをしている。創業50年を越えた。
なんのとりえもない小さな店だけどねと、ママは笑う。

元々この店は居酒屋だった。私がまだ幼い頃、夜に留守番がおらず、私一人を置いていけない時は一緒に店に行き、カウンターの隅っこで、店が終わるのを待っていた。眠くなれば、練炭が積まれた倉庫で毛布にくるまって眠りにつき、朝目覚めればいつの間にか家にいた。

倉庫を改装して作られた、間に合わせのような空間。一雨くれば簡単に雨漏りしてしまうトタン葺きの、お世辞でも綺麗とは言えない店だった。そんな店構えだからか、自然と寄り付く客は当時「日陰者」と呼ばれる他者や自らがレッテルを貼って貼られた男達。看板の明かりに吸い寄せされるように、入れ代わり立ち代わりドアを開ける。

レコードプレーヤーから静かに流れるのは歌謡曲。そのレコードが終わるたびにひっくり返しては、針を落としなおすのが私の役目だった。

一升瓶から直接コップに注ぎ込む日本酒。冬になれば、おでんの鍋の横に置かれたアルミカップで燗を付ける。それを口にしながら客はその日の疲れや不満、どうにもならない理不尽を吐き捨てるように置いていく。

男は泣いちゃいけないと育てられた客が、酔いも回れば遠い故郷に置いてきた両親や家族、恋人を想い、時にその日を悔しさを胸に泣きながら酒を煽る。
見ず知らずの隣同士が肩を組み、ママは頷きながら無言で酒を継ぎ足す。そうしてレコードから流れる歌謡曲を歌っては、名目のない乾杯を繰り返し、どうしようもない明日をまた生きる。その繰り返し。

店は客にとって「はけ口」だった。

ママはそんな話を聞いては受け流し、客たちのポケットから取り出されたしわくちゃの500円札を受け取りながら、私達家族を支え、本を買い与えてくれた。

■□

先週、当時の居酒屋を知っている常連さんが店に現れた。年老いて杖をついてはいたが、面影はそのままだった。

今のスナックに移転してから初めての再会。35年以上の月日が流れていた。
互いの変わりように驚きながらも、ママと共に生きて再び会えたことを喜んだ。

昔話に花が咲き、リクエストされた曲が、この「居酒屋」だった。

情けをかけて はずされて
ひょろりよろけた 裏通り

曲が流れた瞬間から、なぜか涙が溢れて止まらなかった。
私の中でやっと、幼い頃の記憶と、ここに集い、身を寄せては消えていく人達の感情が、身体の中で合致したからだ。

浮世の底に 肩寄せて 
生きるにおいの あたたかさ

「なんでお前が泣くのよ」と言いながら、ママも泣いていた。

この人やあの人が、歯を食いしばって稼いだお金をこの店に落としてくれたから、私は今を生きている。

呑み屋の娘でよかったと、改めて思った夜だった。


読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。