世界の人口推移

世界の人口の増加は人口爆発とも表現され、多くの物語でも取り上げられてきました。

「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」の悪役サノスは人口増加の結果、人々が残された資源を争うようになったことを憂い、インフィニティ・ストーンを全て揃えたインフィニティ・ガントレットによって全多元宇宙の人口を半分にしてしまいます。

もっと古い「ソイレント・グリーン」(1973)では人口増の結果、食料が足りなくなったので、人間の死体を食料として加工する世界を描きます。この物語の舞台は2022年に設定されていました。

この「際限のない」人口増に対する恐怖はイギリスの経済学者マルサスの「人口論」によるところも大きい。人口増加は指数関数的、食料供給は算術的とか言ってる人は知ってか知らずかマルサスの論法を使っています。もっとも、当のマルサスの生きていた時代ですら食料供給の増加率は人口の増加率を上回っており、マルサスはあまり食糧問題については詳しくなかったと言うことも出来ます。

このように人口増加による資源の枯渇、環境の悪化、その結果生じるディストピア、物語の題材になっているばかりでなく、真剣に問題視している人も少なくはありません。だいぶ古いのですが、ローマクラブというシンクタンクが1972年に発表した「成長の限界」という報告書は世界的な注目を集めました。

では、世界の人口はこれからどうなっていくのでしょう。果たして物語に描かれるようなディストピアを心配する必要はあるのでしょうか。

人口問題で権威のある機関の一つに国連があります。

その国連の推計では、人口の推移はかなりの幅を持たせたものになっています。

この推計はどうやって出来ているのかというと、出生率の予測と平均寿命の推移からもたらされています。

いわゆる先進国は発展途上国に比べて出生率が低いのですが、これは歴史的に徐々に低くなってきたものです。国連はこの出生率の低下の推移が、現在発展途上国である国々にも同様のタイムスケールで起こると予想しています。

しかし、この出生率の変化は国連の推計よりも急速に落ち込むだろうと多くの人口学者は予想しています(参考文献による)。

出生率と最も相関の高いパラメータは都市化と女性の社会進出や教育水準です。都市化が進めば進むほど、女性の教育水準が高く社会に出るようになればなるほど出生率は低下します。

都市化によって出生率が下がる理由として考えられるのは、都市と農村における子供の経済的価値の違いです。機械化した農業を営んでいるような場合は別ですが、古き農村では子供も立派な労働力でした。子供でも出来るような作業がごまんとあり、子供もきちんと家計に貢献します。しかし、都市では子供は経済的な観点だけに絞れば損失です。子供に掛かる費用は決して安いものではありません。しかも経済が成長すればするほど、子供に掛かる費用は大きくなる傾向にあります。これを投資と捉える向きもあるかも知れませんが、子供に掛けたお金のうちいくらが何年後に子供から戻ってくることのかを真剣に検討してみるとその効率の悪さが判るかと思います(あくまで経済的な問題としてです)。都市化は少子化に繋がるのです。

女性の教育や社会進出については、そもそも出産というのは一大事業です。妊娠すると日常生活から大きな変化を迫られます。高等教育や仕事と妊娠や子育てを両立させることは、とても難しい。従って、女性の教育年限が上がれば上がるほど、重要な職業に就けば就くほど出産は先送りになり、妊娠可能な期間は短くなっていきます。

これらの変化、都市化と女性の教育や社会進出は世界的な変化です。国連は発展途上国における、これらの変化を先進国の変化の歴史と同様の速度と見積もっているのですが、実際にはもっと急激に進行しています。発展途上国が先進国の技術を取り入れ、一足飛びに発展していくことをリープフロッグといいますが、技術だけではなく、生活や文化の面でもこれが起こり、少子化へ向かっています。

かくして、世界の人口は国連の推計よりも急激に落ち込むだろうということはほぼ確実と言える情勢になってきています。実際、現在でもほとんどの国では出生率は安定して人口を維持できる2.1を下回っており、人口増加している国では平均寿命の増加をその原因としている国も多いのです。すでに世界の人口減少は始まっていると言うことすら可能かも知れません。

世界の人口は2040年から2050年にかけて80億人から90億人の間でピークに達し、その後、人口は減少、2100年には70億人程度にまで落ちるというのが最も確度の高いシナリオです。

これまで、飢饉や疫病、戦乱などにより一時的に大きく人口が減ることは歴史上多くありました。しかし、平和裏に、自らの選択の結果、長期に渡り継続して人口が減っていく、歴史上初めての事態がすぐそこまで迫っています。

どうやら人口増を起因とするディストピアは来そうにありません。逆に50年もすれば人口の減少にどうやって対応するのかが世界的な問題となってきます。実際、先進国ではもうすでに人口減少が大きな問題となっています。

ここからは私見になります。私はこの人口減少を悪いことだとは考えていません。そもそも、都市化や女性の教育や社会進出にしてもそれ自体は良いことです。都市化によって、効率的に生活水準を上げることが出来ます。女性に限らず、人が教育を受け、その能力を社会で充分に発揮することは望ましいことです。人口を維持するために人々の生活水準を下げるようでは元も子もありません。人口が減少することで社会的な変革を余儀なくされるとしても、それはそれで対応していくべき問題だと考えます。

ちなみに、子供を産むことに対する経済的支援が少子化対策として挙げられることがあります。しかし、例えばスウェーデンなどでは国の財政を傾ける勢いで大盤振る舞いをした場合、確かに効果はありましたが、財政的な問題からそのような大盤振る舞いは長くは続けられなかったため、結局、出生率の向上は短期間に終わりました。近年では日本よりはるかに手厚い子育て支援をしている筈のフィンランドの出生率の低下が話題になりました。経済支援によるところの出生率対策は非常に効率が悪いと言えます。

また、国の人口が減少していく対策として、移民を推奨する向きもあります。実際、参考文献の著者を含めた多くの人口学者が移民推しです。しかし、世界の人口そのものが減少していくのなら、移民の受け入れも無限に続けられるわけではないことは明らかだと思います。移民元の国々が人口の急減に直面するなら、その国々も移民に対して規制する筈です。ですので、今は移民によって人口減少に対応している国もいつかは移民抜きで人口減少という課題に向き合わねばなりません。そうであるなら早い方がいいのではと愚考する次第です。

人口の減少によって生じる大きな問題の一つには経済があります。人は成長の為のエンジンであり、特に若い世代が減るということは働き手を失うと同時に消費者を失うということでもあります。新しいアイデアを産み出すのも人です。人口がただ減っていくだけなら、経済は低成長を余儀なくされるでしょう。

労働力の不足には短期的には定年の延長などでしのぐことになります。ここで女性の活用とか言い出すとさらに少子化が進んでしまい、痛しかゆしですが。長期的には、機械化やロボット、AIなどの活用が進み、また、それらに対する投資が増えれば、別に低成長とはならないかも知れない。この辺は未来の技術がどう進歩していくかによるので一概に言えません。

少し、話がそれますが18世紀のイギリスが世界で初めて産業革命を成し得た要因の一つとして、同時期のアメリカ植民による人手不足を挙げる説があります。社会が安定すると人口が増え、労働力が増えます。人間はかなり優秀な労働力なので萌芽期にある機械技術を発展させるよりも人間を増やした方が遥かに効率がいい。同時期のアイルランドや日本はこの方向へ進みました。ですが、アメリカ植民によって常に人手不足に悩まされたイギリスではそうもいかず、そのことが機械技術の進歩を促進し、ついに産業革命に至ったという説です。需要は供給を促進します。今でも人手不足と時給の高騰により、セルフレジを導入する小売店や配膳ロボットを導入する飲食店も増えてきました。こう考えれば、人口減が経済の悪化に直結すると断言することも難しくなります。

良い点は、食糧危機は来そうにないということです。人口減と相まって高齢化も進みます。老人は若年層に比べて食料の消費が多くありません。世界で消費される総カロリーは人口の減少分以上に減っていくことでしょう。一方で人々の生活水準の向上によって、消費総カロリー以上に食品の質が問題とはなるでしょう。しかし、少なくとも、天候不順や流通の混乱によって、何かしらの生産物が払底することがあっても全面的な食糧危機の可能性はなくなったと言って過言ではないと思います。現在でも総量で言えば、80億からの人口を養うのに十分な食料を生産出来ています。北朝鮮など未だに飢餓に苦しむ国もありますが、問題は食料の生産量ではなく、政治体制と流通機構にあります。

これは自然保護活動にとっても朗報です。都市化とも相まって、人類の使う土地は今世紀中ごろには減少に向かい、より多くの大地を自然に返すことが出来るようになる筈です。

また、「持続可能な成長」といった標語の意味も変わるでしょう。この言葉は現在のようなペースでの資源の消費や環境に対する影響の与え方では、資源が枯渇したり、環境にたいする負荷が大きすぎて悪影響が出るという意味合いで使われています。しかし、世界の人口が減少に向かい、消費が落ち込むあたりでむしろ如何にして成長を維持するかという方向で使われるようになる気がします。

では今世紀末を越え、さらに人口が減少し続けたとき、人類の滅亡とはいかずとも文明の維持に必要な人口を割り込むようなことは起こるのでしょうか。遠い未来のことなので、想像でしかないのですが、都市化や女性の社会進出などは行きつくところまで行きつき、出生率は現在よりもさらに低下していることと思います。しかしいざとなれば、未来の人類は人工子宮でも何でも活用して人口を維持することになると思います。倫理的な制約も背に腹は代えられないことでしょう。家族の形も必要に迫られて、大きく変わっているに違いありません。考えてみれば、いわゆる「家族」の概念も私が子供のころから今現在とでは大きく様変わりしました。100年後に家族がどうなっているかなど私には知る由もないことですが、興味はあります。こうなった世界が素晴らしいものなのかそうではないのか、とても知りたいのは思うのですが、ただ、私がそこまで生きていることはないだろうことが残念です。

参考文献
Darrell Bricker & John Ibbitson, Empty Planet: The Shock of Global Population Decline
Ronald Bailey, Ten Global Trends Every Smart Person Should Know


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