5. 知識体系の収集『石橋を叩いて渡る哲学』

 仮説思考における知識体系の更新

 石橋を叩いて渡る哲学は、仮説思考を基にした思考の構造を土台として、学問の知識体系やそれを前提として考察した幸せや生きる意味、悩みなどについての知識体系を積み重ねてきました。これまでの構築作業や定義した思考の構造から考えると、哲学はもちろんのこと、その材料である知識体系が重要な役割を果たすことが伝わったかと思います。仮説思考というのは更新機能を前提として持っています。その時点での最適解を自分で考え、それを基に行動・検証・修正をしていく思考法だからです。私は石橋を叩いて渡る哲学はこの本の状態から更新・派生せずとも十分頼りになる哲学だと自負しています。しかし、新たな知識体系や方法論などの作業体系を知り、それを取り入れて哲学を修正していくことで初めて自分だけの哲学になると考えています。また、新たな知識体系は日々世界の至る所で生まれ続けています。時代が進むと更新も必要になってくるでしょう。そのために、知識体系の収集に役立つ知識体系を紹介しておきます。

 学びの動機

 みなさんは、内発的動機付けや外発的動機付けという言葉を聞いたことはあるでしょうか。動機は、学びにおける重要な概念であり、教育分野でも重要視されています。内発的動機付けは、自分の内面から沸き起こる興味や意思に動機付けられて行動する状態のことです。外発的動機付けは、金銭や食べ物、名誉など外部から与えられる報酬に動機付けられて行動する状態のことです。思考の構造でも述べましたが、短期記憶から長期記憶への移行に神経伝達物質が関わっているとされています。動機における興味や楽しさ、嬉しさが神経伝達物質に関係するのは明白です。

 自己決定理論

 自己決定理論はエドワード・L・デシとリチャード・M・ライアンによって提唱された人間の動機付けに関する理論です。自己決定の度合いが動機付けや成果に影響を与えるという理論です。

自己決定理論では、動機付けにおける段階を5つに分けています。
 外的調整:人から言われたので行動する
 取り入れ的調整:羞恥心や罪悪感から行動する
 同一化的調整:価値があると感じているために行動する
 統合的調整:自分らしさのために行動する
 内発的動機付け:やりがいや楽しさから行動する
特に、後者3つは自律的動機付けと呼ばれています。内発的動機付けに近づくほど自己決定の度合いが大きく、高いレベルのパフォーマンスや幸福感を達成できると言われています。

石橋を叩いて渡る哲学における幸せの定義とも合致します。
石橋を叩いて渡る哲学における幸せの定義
 「自由」を前提として「知識の探求や哲学的思索などにおける精神的な快楽」「創造的な活動によって人との関係の中で役割を果たすこと」「人間関係」を求め、得ること。
自己決定は「自由」に該当し、自己実現による幸福感は、「創造的な活動によって人との関係の中で役割を果たすこと」や「人間関係」に該当します。

また、自己決定理論では、人が自己決定し、内発的に動機づけられるためには、次の3つの心理欲求が満たされることが重要であるとしています。
 自律性:自分の行動や選択が自分自身によってコントロールされていると感じること。
 関係性:他者とのつながりや親密さを感じ、社会的な絆を築くこと。
 有能感:自分が有能であり、効果的に環境に働きかけることができると感じること。

石橋を叩いて渡る哲学の幸せの観点からすると、尊厳によって有能感を獲得し、それを一部の要素として自由という自律性を確立し、それを前提として他者とのつながりである関係性を獲得する。ということになります。
また、この関係性についてですが、私は
 ・実際に人間関係を築くこと
 ・社会全体のことを考えられる広い視野を持つこと
という2つの要素に細分化できると思っています。そして、自己決定理論と石橋を叩いて渡る哲学における内発的動機付けまでの上記のプロセスの違いは、この2つの要素を用いることで説明できます。石橋を叩いて渡る哲学では、世界を定義し、認識するという俯瞰によって、実際の関係性とは別に個人主義から全体主義への視点を獲得します。つまり、関係性を構築する中で、その視点を獲得するか、その視点を獲得した上で、関係性を構築するかという順序の違いです。

 また、この内発的動機付けの状態に至る方法論として、宮台真司氏の『14歳からの社会学』の知見をお借りして、深堀りします。

 あこがれを見つけろ

 まず、内発的動機づけによる効果について述べる前に、『14歳からの社会学』における宮台真司氏の動機付けの定義を紹介しておきます。
 宮台真司氏は内発的動機付けを大きく2つの性質に分けています。
 自発性:行為の目的は喜びに結びついているが、手段自体に喜びを感じることがない状態。
 内発性:目的にかかわらず、行為自体が喜びである状態。
『14歳からの社会学』では意思という概念と内発性を結びつけることで詳細に説明していますが、その知識体系はぜひ『14歳からの社会学』を読んで獲得してください。

 また、その状態に達する具体的な動機を自発性の中に2つ、内発性の中に1つ定義しています。
自発性
 競争動機:勝つ喜び
 理解動機:わかる喜び
内発性
 感染動機:自分もこういうスゴイ人になってみたいという思いから行動することで得られるスゴイ人に近づく喜び

 感染とは、自分もこういうスゴイ人になってみたいという思いをふと抱くことです。競争動機と理解動機における喜びを感じる時間は、それが達成された瞬間です。つまり、目的が達成された時のみです。一方、感染動機は、「感染」して何かをしている時間がすべて喜びです。つまり、行為自体に喜びを感じるということであり、これは自己決定理論のやりがいや楽しさから行動する内発的動機付けと合致します。

 宮台氏はこの感染動機が最も強い内発性を与えるとしています。自発性の動機から得られる知識は手段とし、内発性である感染動機から得られる知識は手段だけではなく血肉化することで人格形成にも貢献するとしています。つまり、思考の要素を使って表現すると、知識体系として根強くその人にインプットされるということです。したがって、知識だけでなく人格形成が重要である学びにおいて感染動機が最も重要な動機であると主張しています。

 感染という表現なだけあって、本来は本人の意図とは関係なく降ってくる自然現象のようなものですが、スゴイ人を探すことで、感染に近づくのではないかと私は思っています。もちろん、自発的に本を読むことで知識体系は身につきますが、石橋を叩いて渡る哲学はまさに人格の一端を担う機能を持つと考えているため、できることならば、感染による動機から知識体系の収集に入って欲しいと思っています。ちなみに私は宮台真司氏をYouTubeで知りました。初めて見たときは衝撃を受けました。そこから普段本を読まない私でも本を読もうと思えたのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?