6. 人間関係の問題『石橋を叩いて渡る哲学』

 脳内世界と現実世界

 職場の人、家族、恋人、友達とうまくいかないという人間関係の問題は多くの人が抱えています。人間関係の問題は多種多様ではあるものの、大抵の場合は両者の脳内に構築された世界の差異、つまり認識相違によって生じます。人は目の前で起こった現象をありのまま認識することができません。外部から入力された情報を脳が利用できる形式に変換することによって初めて現実世界を間接的に認識することができます。感覚器官から入力されるリアルタイムの情報を随時、言語として認識・記憶・想起するという思考の構造のサイクルを前提とすれば、我々の認識は知識・知識体系・体験から造られることになります。もちろん、3つの要素以外にも感覚が含まれますが、思考する際には言語の情報が重要であるため省きます。つまり、言い換えると、我々は知識・知識体系・体験を材料として脳内に世界を構築し、常にその脳内世界を見ているということになります。そして、人は現実世界と脳内世界に生じる差異にストレスを感じます。

 認知的不協和

 アメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガーは、人が自分の認識とは矛盾する別の認識を抱えた時に覚える不快感を認知的不協和と呼びました。人はこの認知的不協和を解消するために、自分の認識を改めるか、矛盾する認識を改めようとします。この認知的不協和という概念はまさに、現実世界と脳内世界の差異によるストレスそのものです。また、人は認知的不協和を解消しようとするということから、2人の人間がそれぞれ持つ脳内世界が異なる状況では、お互いが認知的不協和を感じ、自分の認識を改めるのが認知的不協和よりもストレスがかかる場合、相手に認識を改めさせようとするため衝突が起こると考えられます。この衝突という日常的な現象における重要な点は、個々における脳内世界の差異は必然であり、完全に無くすことはできないということです。上記は、両者の異なる脳内世界の差異ですが、現実世界と脳内世界の差異にも同じことが言えます。それを踏まえた上で少しでもその差異を縮めることを考えていきます。

 相手の脳内世界と自分の脳内世界の差異を縮めるには、どちらかが相手の世界に近づく必要があります。当然どちらも相手の脳にアクセスすることはできません。したがって、自分の脳内世界を相手の脳内世界に近づけるということを行います。ただし、近づけると言っても衝突のたびに自分の考えを捨てて、相手に合わせるということではありません。近づくというよりは取り込みます。自分の脳内世界の一部として相手の脳内世界を構築するということです。そうすることで相手の考え方や価値観の理解に繋げるというわけです。私はこれが俗にいう「視野が広がる」「価値観が広がる」ではないかと思います。あくまでもこの相手だったらこう考えるだろうなということが予測・理解できれば良いのです。相手の背景である知識・知識体系・体験を理解することで、予測の範囲が広がり、結果的に認知的不協和を低減することができます。このように、人間関係における構造を定義して認識すること自体が自他理解を深めることに繋がります。自分と相手がどのような構造の上で成り立っているのか認識できていない状態では、予測・理解しようにも無理があるのです。

 タイプ・パターン・型

 自分の脳内世界を拡張するためには、自分と相手がどのような構造の上で成り立っているのか理解する必要があります。これは、言い換えると自分と相手がどこに位置しているのかということです。その構造を理解する上でタイプ論(類型論)は非常に参考になります。タイプ論とは、人はパターン・カテゴリーでわけることができるという仮定のもとで考案された理論のことです。心理学者ユングのタイプ論をもとに考案された人格を16タイプに分類するMBTIや、9タイプに分類するエニアグラムというものがあります。また、岡田斗司夫氏が考案した欲求の4タイプなどもあります。人格や欲求の類型によって、その人がどういう漫画・音楽を好むのか、どんな宗教にハマるのか、どんな人間関係を築こうとするのかという傾向が現れます。そのようなタイプ論ですが、私のおすすめは先に述べた岡田斗司夫氏の4つの欲求分類です。16タイプに分類するMBTIや9タイプに分類するエニアグラムでは、カテゴリーの数が多いため日常のふとした瞬間にその理論を適用することが難しいのです。

 職場や学校の人間関係で、なんであの人は〇〇なんだろう・なんで私はあの人と違って〇〇なんだろう・誰の言っていることが正解で誰の言っていることが間違っているんだろうと考えることは日常茶飯事です。その問題の解決のヒントとなり得る知識体系の1つとしてタイプ論があるのです。

 人はある出来事について評価する際に1つの軸のみで考えるような1次元的な見方をしがちです。
例えば、
 仕事ができる・できない。
 優しい・優しくない。
 嫌い・好き。
 心がある・ない。
などです。しかしながら、タイプ論は違います。タイプ論を用いることで2次元の平面上に人を配置することができるのです。また先程の例では軸が評価軸として機能することで、優劣がついてしまいました。しかし、人を評価する際の軸として「優しい」であるとか「仕事ができる」などを設定することは、複雑な構造の上で起きた現象を無理やり1次元に落とし込んで認識することであり、偏った見方をすることになります。「岡田斗司夫氏の4つの欲求分類」のような2次元のタイプ論では、人を平面上に配置するだけでなく、軸が評価に関係ありません。例えば、「岡田斗司夫氏の4つの欲求分類」は、抽象・具体、内向・外向という2つの軸を持っています。そして、それぞれの軸には優劣がありません。このタイプ論を解説している岡田斗司夫著『人生の法則 「欲求の4タイプ」で分かるあなたと他人』ではタイプによってその人が何を大事にして何をおろそかにしがちであるのか、日常の例に沿ってわかりやすく解説されています。ぜひ読むことをおすすめします。このようなタイプ論を用いた認識によって、人の行動原理の理解に一歩近づけます。理解するとは、脳内世界の一部として相手の世界を構築するということです。自分の脳内世界を更新したり、脳内世界の空いた場所にいろんな人の脳内世界を構築すれば、この人はこのタイプなんだろうなとか、この行動を取ったということは自分と相手は平面上のこの位置にそれぞれいて、その場合の関係はこうだろうなというように構造として人間関係の問題を考えることができます。パターンがあることを知ることによって初めてパターンを考慮し、パターンの外に出られるのです。

 類型論と特性論

 心理学に関する人格や性格の分類法には、類型論(タイプ論)と特性論があります。類型論(タイプ論)は、いくつか決められた数のカテゴリーに人格や性格を分類する方法です。対して特性論は、個人が持っているいくつかの特性の強弱によって人格や性格を分類します。タイプ論の例としては、内向-外向に加えて思考-感情、感覚-直観で分類するユングのタイプ論やユングのMBTIなどがあります。特性論の例としては、開放性・誠実性・外向性・協調性・神経症的傾向から分類するビッグファイブがあります。昨今、ユングのMBTIを参考にしてネットで簡単にパーソナリティを診断できる謳うサービスが流行っています。しかし、信憑性の低さが指摘されています。実は、学術的にはタイプ論よりも特性論が信頼されています。ゆえに、ユングのMBTIというタイプ論、ましてやそれをサービスに特化するように改造したものなんて、という見方があります。しかしながら、私は実際に人間関係などを考える際に役に立つのはタイプ論だと思っています。なぜならば、そもそも特性論は各特性を数値として出力するものであり、その大小によって結果が異なります。つまり、学術研究との相性が良い反面、実際に人が普段の生活にそれを適用するのは難しいのです。一方、タイプ論はそもそも細かい差異は無視する類の分類法であるため、タイプさえ断定してしまえば、あとはすべて同じだと見なします。つまり、タイプ論のほうが扱いやすいのです。よって流行りやすくもあるというわけです。そもそも、人間関係の問題を抱えている中で、相手の特性など測れません。また、信憑性に関してですが、心理学というのは統計を根拠としています。統計学というのは全体としてそのような傾向にあるということを保証するものであって、ある特定の事例に当てはめて必ず当たるというものではありません。そのような意味では、信憑性という意味ではどちらもどっこいだと私は考えています。その上で、本質は人間関係を構造として見ることであるため、タイプ論を推奨しているというわけです。

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