太平洋戦争の記憶の継承メモ

思い出したことを忘れないため走り書きします。

★祖母の母は病気で家の二階に寝たきりだった。空襲警報が鳴ると、祖母の父は、少しでも爆弾から守れるよう戸板をその布団の上にのせた。皆は曽祖母を残して、一家全員防空壕に避難した。「戸板なんかで守れるわけない。ひとりでさぞ怖かっただろうと思う」と祖母は話していた。「戦争がひどくなる前に母は死ねて良かった」とも言っていた。

★戦争が激化して食べる物がなくなった。配給はわずかなもの。家族が多かったから、わずかなお米をもらっても、お粥にしたら米粒の形なんて残ってなかったわと。

★一本の鉛筆を書けなくなったら削って。持てなくなるまで使った。たった一本の鉛筆すらなかなか手に入らなかった。

★空襲警報発令ー!空襲警報はつれーい!と聞くと、急いで防空壕に逃げた。B29の音に震えた。爆弾が落ちる、ヒュルリヒュルリという音がおっとろしかった。注)爆弾はたぶん焼夷弾であると思われる

★玄関に脱いであった草履を盗まれたこともある。中に入ってきてまでとっていかれて、履くものがなくてとても困った。

今思うと、苦労した戦時中の経験からか、祖母は物があることは有り難いことで、大切にすることを教えていたのだなと。今更ながらに気がついた。

私のお絵かき帳は広告の裏紙だった。白いノートは勉強いがいに使ったことがない。白い紙は貴重だからと教えられた。だからか物を長く使う癖がついた。15年使ってるものが普通にたくさんある。

今日は眠いのでここまで。

こやつめにお駄賃をやろう、なんて考えた奇特な方は。そのお駄賃またnoteの中で循環させていただきますぞ🍀