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どこからも近くて・何よりも遠い

2015年から3年ほど、東北の田舎に部屋を借りていた。大学に通うためだった。

コンビニ、ドラッグストア、スーパー、DVDショップ、パン屋さん、本屋さんにドーナツ屋さん、大型のショッピングモールまで、徒歩1時間圏内に何でもあった。

あの頃の自分はとてもパワーがあったから、1時間くらいなら悠々歩いたし、それが楽しみでもあった。

大学にいることよりも散歩が楽しくて、よく知らない道を通って帰っていたし、誰よりも早く大学を抜け出して、わざと遠くの本屋さんに行ったりした。(そこで買った「鹿の王」が、アニメ映画になることを数日前知った。あの頃の楽しさと一緒に記憶が甦ってきた。)


私は散歩と本が大好きだった。だからあの部屋はとても相性が良かった。車通りはほどほど、4つしか部屋がない上、みんな夜遅く帰ってきたから静かで快適だった。本を読んだり、映画を観たり、あの部屋は私にとって、文化や芸術のための崇高な箱だった。


楽しかった。広さは9畳+3畳。キッチン、バストイレ別、ウォークインシューズクローク、2台停められる駐車場に倉庫。多分2人くらいならのびのびと暮らせる部屋だった。

キッチンが広かったのを覚えている。二口コンロが置けるよう広くとられた所に、IHクッキングヒーターを1台置いて、それで自炊初心者には十分だった。嬉しくなって毎日飯を作った。簡単だけど弁当も用意して、食材を買いに週に1日はスーパーに行った。

掃除も毎日した。最初の頃は掃除機の用意が間に合わず、クイックルワイパーで朝晩床を拭き、ハンディモップで埃をぬぐった。新築で立派な部屋だったから、綺麗にしておくことが自分の使命のように感じた。なぜか当時から返すときの事を考えていて、清掃代が浮くようにいつも綺麗にしていよう、と思っていた。

元々少し綺麗好きが過ぎるところがあって、何かにつけて手を洗ったし、スリッパをいくつも使い分けたりした。掃除もその一環だったのだろう。洗剤類も絶対に切らせなかったから、必ずストックが1つあるように、定期的にドラッグストアに行っていた。


ただなんとなく、この部屋を使う責任のようなものを感じていて、それが私に"しっかり生活していよう"という気持ちを植え付けていた。

あの部屋は私の誇りだった。


そうしていたから、生活はまともだった。ただ、本業である大学での活動は、少しずつ翳りを見せていた。

私はあまりにも"自分のペース"を作りすぎた。

2年生に上がってから、突然サークルを2つ増やした。自分なら出来ると思ったし、楽しいことならやって損はないと思った。今思えば、これが失敗だった。

生活リズムが狂った。当然と言えば当然だが、それくらいなんてことはないと思っていた。片や夜遅くまでの活動、片や朝早くからの活動。サークルばかりにかまけていたからか、私の学業成績は良い、とは言い難かった。

だんだん朝起きれなくなっていった。掃除をしなくなって、待ち合わせの時間に遅れるようになった。課題もその場凌ぎになっていったし、楽しくて増やしたサークルも一応出ている、という感じだった。

これじゃ何をしに行っているのかわからないな、と笑いながら、荒れはじめた部屋に寝に帰った。世の大学生はこんなものなのだろうか。こんななんのために通っているかわからないようなてんてこ舞い?おかしいな、と思った。


だんだん部屋から出たくなくなった。何をするのも億劫で、風呂や食事も最低限のエネルギーしか使わないようになった。部屋にいれば、振るわない成績を他人と比べることも、学食で買ったパンを講義室で食べるとき人目を気にすることも、先輩として後輩に指示を出すこともなく、静かで落ち着いていられる……。

そんなことをしていたら、うっかり1週間くらい外に出なかった。3年生の秋になっていた。出席率はだんだん悪くなっていたから、もう休めないな、という講義がたくさんあった。それは知っていたけど、知る知らない以前に安心だけを求めていた。部屋はシェルターだった。

もう次はないぞ、次はこんなことにはならない。そう思って週明けからまた、何食わぬ顔で登校しはじめた。

でも次はすぐだった。今度は2週間外出しなかった。2週間ですんだのは、親にバレて実家に避難したからだ。大学にもバレていて、もうお宅訪問も秒読みか?と思っていたから、実家への回収の方がまだ助かった。なぜか大学へ恥をさらすことだけはあまりしたくないな、と思っていた。


それからはトントン拍子で休学が決まり、いつの間にか大学中退者になっていた。惜しかったのは部屋だけで、それ以外は特になんという気持ちもわかなかった。

日当たりも良かった。小型テーブルと椅子を3つ4つ置いてもまだまだ広々としていた部屋は、とても解放感があった。思い返すと良いところばかりだと感じる。こんな部屋にはもう出会えないとさえ思う。あまりにも特別視しすぎたのかもしれない。

はじめて借りたあの部屋は、最後までゆったりと私を見守っていた。私はあの部屋にふさわしくいられなかった。それでも、いまだにあそこには憧れと誇りがつまっている。

叶うなら、もう一度あそこにもどりたい。そう思うほどに。


#はじめて借りたあの部屋

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