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共通テスト会場では「防護服をつけてはいけない」「体温を測らない」の施策方針の背後に見える目的意識のズレと過保護性

 どうもこんにちは,今日もひとりごとです。先日,Twitterである話題を見かけ,ふと一言ふれておきたくなったので,記事にします。(仕事が繁忙期のため,話題が出てからこの記事になるまでに10日以上経ってしまいましたが…)

 タイトルの通り,共通テスト実施における会場運営の方針で,「防護服をつけてはいけない」とか「体温を測らない」という施策がとられそう?であるということなのです。

共通テスト会場における感染対策の矛盾

 私が見かけたのは以下。

 いずれの会場でも試験監督は、マスクの上にフェイスシールドを装着し、手袋もはめて対応しますが、大学入試センターの方針で動揺を与えないよう受験生の検温は実施しないため、試験監督を務める教職員の一部からは不安の声もあるということで、入試課では濃厚接触者の試験監督は、なるべく基礎疾患のない若い教職員に担ってもらうことも検討しています。
(上記リンクより引用)

 私も二度見してしまいました。これ,目的と手段がズレていませんか?
さらに問題点がうまくまとめられたものが以下。

 あくまで会場運営側への内部通達の趣旨とと思われますが,「試験官が防護服・ガウンを着用するのは受験生に不安を与えるので禁止」という方針もあるらしいのです。ますます「???」となってきました。そもそも,先述の検温も,この防護服についても,いずれも受験生及び会場運営スタッフ(大学教員等)が安全に試験を実施するための工夫であるはずなのに,受験生の不安を軽減するためという別の目的が覆い被さってきて,それを妨げているようです。

対策は工夫次第でいくらでもやり方があるのでは?

 繰り返しになりますが,本来は受験生の安全と安心のために,(もちろん検温が万全ではないのを百も承知の上ですが,一つの有効な指標として)検温をし,もしそれが一定水準を上回った場合は,万が一のリスクを考慮して別教室での受験を案内する等,やり方は(これも会場側の負担を増大させることにつながるのも理解できますが)いくらでもあると思います。体温が高いからといって受験できないわけではないという認識や理解が浸透していれば,当然検温は不安を与えるものではなく,むしろ誰に対しても安心を与えるものになりうるわけです。

 また,大前提ですが予備日程(追試)も準備されているわけで,(もちろんそちらの難度のほうが多少高いと想定されるから避けたい気持ちはわかるが)それを押しても体調不良時に受けるよりは(言い訳体質で受験時に最高得点を叩き出そうとしている勘違い系受験生以外は)よほどいい結果が残せると思われます。

 防護服についても同様のことが言えるでしょう。確かに見た目は(まるで受験生自身が危険な環境に置かれたかのような錯覚に陥るレベルで)イカツイかもしれませんが,それは試験監督の業務を遂行するために必要な安全のための方策であり,巡り巡っては(後日私大入試や国立二次試験でお世話になるであろうことから)受験生の安全にもつながります。会場運営スタッフとしても,どこの誰だかわからない(とはいっても居住地は近隣市町村在住であることは確かですが…)ような受験生が雑多に集う会場で,しかも受験生によってはマスクの着用が不十分(鼻出しとか)だったり,喘息かもしれないが周囲を不安にさせるような咳を連発させる者もいると思われる中で,万全の対策でもって臨みたい気持ちは十分に理解できます。それを,“受験生に不安を与えるから”という理由で禁止するのは,一辺倒と思われます。そういう状況で感染・重症化リスクを低減させるために,若く基礎疾患のない大学教員を優先してスタッフに充てるとかいっているので,人柱だとかいうコメントが出てくるのも頷けます…。

 もちろん,今後,試験会場側の声を吸い上げて,施策が変更になることはある程度想定できますので,私はこのままの状況が100%変わらずに試験が実施されるとも思っていません。が,少なくとも私が目にした現状はかなりヤバイのです。

大学受験が過剰な緊張感でもって演出されていないか?

 そもそも,検温や防護服が受験生に不安や動揺を与えるという前提に,多少なりとも疑問を呈するのは私だけでしょうか?

 10年も前の自らの経験をもとにして話すのは憚られますが,確かに私も入試本番は多大な緊張感をもって臨んでいたし,(国立二次試験での話ですが)試験前日は「浪人したらどうしよう…」という不安と緊張で1時間くらいしか眠れず,そのまま(さながら徹夜でハイになっているような状態に似た感じで)試験を受けた経験があります。そんな緊張感のなかですので,もし万が一,試験会場で検温して38℃とか出たらどうしよう…と余計な不安が生じるのはわかります。ベースの体温が高い者や,況や女性であれば不安は一層のものと思われます。

 ただ,受験はそもそもそういう緊張や不安を踏まえて,そういった環境や条件の中でも実力を発揮できるかどうかが試されているとも思うのです。すなわち,「検温の動揺で思うように結果が出せなかった」とか「試験監督の防護服が怖くて集中できなかった」とかいうような受験生は,検温とか防護服の諸々がなくても言い訳に事欠かないでしょうし,そういう些細なファクターを言い訳にして受験でふるい分けられて然るべき,という観点もあるのではないかな…と思うのです。

 もちろん,受験生の中には,例えば鉛筆の筆記音がやや大きいとか,会場内の誰かが鼻をすする音が数回聴こえるだけで気になって気になって仕方がなくなり集中できないという,比較的過敏な方もいると思います。少しの変化にも弱かったり,場合によっては症状名がつくような方もいると思います。それらを十把一絡げにして「緊張や不安に弱いから受験で不利なのは仕方ない」とまで言うつもりはありません。ただ,最大公約数が「受験生に不安や動揺を与えるから検温や防護服は禁止」では,本来検温や防護服によって得られるはずのメリットが,やらないデメリットに押し潰されてしまって本末転倒ですよね?という話なのです。

大人が先回りで対処し,子どもに失敗をさせまいとする,日本の教育の過保護性

 でも,ここまで考えて,一つ引っかかるところがあります。実際のところ,検温や防護服に動揺したり,それに物申す受験生(当事者)など,ほとんどいないのではないか?と。そういう異議申し立てのリスクがないのであれば,大学入試センター(ないしは文科省)も,黙って「検温推奨,防護服OK」にするのではないかと思うのです。そっちの方が100倍ラクですから。

 では誰が怖くて,誰の顔色を伺うかたちとなっているのか。私は,背後に「親」の視点や存在があるのかな,と思うのです。受験生が通常と異なる環境で受験をした際,おそらくクレームをつけてくるのは,(もちろんそういうクレーム気質に慣れ親しんだ受験生自身も一部にはいるかもしれませんが)概ねその親なのです。予備校の授業や各種テストをもってしてもそう。そういう親は,些細な事象でも我が子に不利益があるならば必要以上に平等性を主張してきたり,何かにつけて“他責”にしたがるところがあります。

 これを,受験生本人(当事者)が主張してくるのであれば,全くもっていいことです。(むしろ自治意識?があって感心するばかり)。ただ実際は,本人の意識を上回るかたちで,親が主張してきます。そう,より端的に言えば過保護なのです。親が子どもの受験スケジュールやら受験科目やら,それら一切を把握し,子どもが不利益を被らないように先回りで対処する。そういう親が少なくありません。(中学受験ならそういうのは大いにアリですが,さすがに大学受験でそうなってくると高等教育って何だろう…と思い始めてきますよね)

 そういう親が少なくないからこそ,そのニーズに応えるかたちで,私教育業界をはじめとして,近年では公教育も過保護になってきています。開成中高の前校長の著書でも大袈裟な例を見かけましたが,例えば順位づけによって自尊心が傷つけられるのを避けるため,徒競走も順位をつけないとか,みんなが主役の演劇にするとか,そういうことになってきています。さすがに大学受験の現場では,そこまで行き過ぎた過保護性は見かけません。しかし,それでも(特に家庭教師の仕事をしていた頃は)やけに言い訳が多い子だな…と思って親子の会話を聞いていると,親が率先して我が子に都合の良いように言い訳に導いている様子が垣間見られるなど,やはり子どもが傷つかないように,先回りで対処する傾向が強いのです。

 こうなってくると,もう入試改革だとか思考力だとか問題発見・解決力だとかいっても,所詮教育業界と親がタッグを組んで全て先回りで対処してしまうので,結局これからの時代に必要とされるような人間は育ちませんよね…。この類の話は,また機会を改めて掘り下げ,議論したいと思っています。

受験の不平等性に過敏になり過ぎて,必要な施策が二の次にされている顛末

 さて,試験会場での検温や防護服の話題に戻ります。上述のような意識の親は少なくないため,仮に検温推奨とした場合,会場によっては検温のやり方に差異があり,さらに場合によっては機器の性能の問題で高めに出るとか低めに出るとかいう状況が生じうる。また,几帳面であったり万全を期すタイプの試験監督(大学教員)であれば自前でも防護服装備をするが,そうでないタイプの試験監督もいるので,教室によって雰囲気(物々しさ?)にばらつきが生じる。そうすると,不平等性を主張されかねず,運営側としては何も責任が取れないから,面倒な手間は最初から控えておこう。という流れになってしまったのかな…と感じざるを得ません。

 私がどうこういったところで,何も変わりませんし,各所の苦労も計り知れないものがあると思いますので,特定の機関や組織,及び特定の施策を批判・否定するつもりはありません。ただ,なぜそんな矛盾したことをやろうとしているのかな…と純粋に疑問に思ったところを考察した結果,背景にはそういった目的意識のズレと,日本の教育の過保護性が見え隠れすることがわかりました。あくまでこれは私の経験を踏まえた見解なので,核心はもっと他のところにあるのかもしれませんが。

 ただ,やはりその一端をみるだけでも,私は大学受験の本質とのズレを感じざるをえません。大学受験や大学入学が,もっと学びたい者に開かれ,そうでない者にはそり立つ壁のようであっていいな,と思うので,それに近づくと良いのですが…。

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