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果たして本当に正直者はバカを見るのか

私は、基本的に正直者だと思います。
正直者にもいくらかパターンが有るようにも思えます。
私の場合、その根底にあるのは「めんどくさがり屋」だということです。

私は極端に「面倒くさい」ことが嫌いです。
「面倒くさい」ことをしないで済むなら、どんな努力も惜しまない。というくらい「めんどくさがり屋」です。

わたしの本職は「もの造り」なので、如何に効率よく、無駄なく、手間をかけず、抜かりなく、品質を落とすことなく楽をすることができるかに常に真剣に取り組んでいますので、間違いなく半端ない「めんどくさがり屋」なことは確かです。

突然話しが変わりますが、私は昔から、というより小さい頃から人の評価を余り信用していません。
かいかぶりだったり、勘違いだったりすることは日常茶飯事的に見てきました。

実際「他人の判断」などというものは常に「その程度の」ものだというのが現実的なところでしょう。
分かりやすく言うと、こういう心境です。

「どう思われようと、その思いは結局、その人の勝手な思い込み」

そういう訳で、私は親であれ教師や上司であれ、あるいは友人も、ましてや他人の評価を重視することはありません。
無論別に軽視しているということでもありませんが。

当然に、間違いや失敗を犯します。そしてその経緯は、単なる不注意もあれば、やむを得ない状況だったという場合もあります。

「どうしてこんなことに成ったのか」を上手に説明できる人は、比較的に他者からの評価を高く保ち続けるかもしれません。

さて、持ち前の「めんどくがり屋」と他者の評価というものに対する価値観の低さがあいまって、とにかく「言い訳」をすることががひどく面倒くさい。
故に、不備があった際には言葉少なに「申し訳ありませんでした」で済ますのが私にとっては最善。

まさにこれが、私が「正直者」である最大の理由です。
すなわち「めんどくがり屋」とすると他者の評価というものに対する価値観の低さ。

さて、むかしからよく言われるように「正直者はバカをみる」というのがありますが、永年の(すでに70をとうに超えていますが)経験から、「確かにそうだなぁ」とつくづく思います。

確かに、私は「正直者」の故に数知れないバカを見て来ました。
正直者には馬鹿が見えるんです。むしろ正直者だからこそ、本物の馬鹿が見抜けるというか見分けられるのではないかと思います。

これまでの長い年月で、瞬時に見抜いた馬鹿(胡散臭い人のこと)が、いや実際はそうじゃなかったということはまず一度もありません。
むしろ、ああやっぱりな。あの時の判断は間違いなかった。というのが現実です。

ほぼ一瞬で馬鹿が見抜けるのは正直者だけが持ちうる特殊能力と言って良いでしょう。


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